降りてこない。 | 落としたほんじを拾いに行きます。

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その辺に落ちてませんでしたか?

小さい頃、家に帰ると母の手作りのおやつがあった。

 

戦時中、東京大空襲で 現在の地に疎開してきて 以降 そこに住み着いて 

二十数年、自営で店をやっていたらしい。祖母と母が中心となって。

祖父は大工だったらしいが 母が二十歳過ぎたあたりに他界とか。

実際、私にとっての祖父母は 仏壇の写真でしか知らない。

その店...豆腐屋だったそうだが 勿論、私にはその頃の記憶が無い。二歳年上の兄には、うっすらと ところどころ記憶がある程度らしい。

おかげで 離乳食は 豆腐メインだったらしいし、実家に帰ると 当時を知る人に いまだに“豆腐屋の孫”と言われることがある。そういっていただけるのはありがたいが、その孫(私)も、そろそろ 生まれて半世紀経つぞ(笑)

 

で、祖母が他界したのが、私が2歳頃だったらしい。店は 母だけではやっていくのが難しい。

父は バスの運転士だったために時間が不規則で それでも空き時間に配達を手伝ってくれたりしたらしい。

結局は店を畳んだ。

理由は 母の 三人いる妹の 末妹が高校を卒業したこともあるのかな。役目を終えた、的な。

そこからは うちら親子4人の生活になったのだと思うんですよ。

その後の数年、母は専業主婦でした。

あ、衣料店からの依頼で 機械編みのオーダー服を作っていました。そういえば。

編み物学校で習得したんだったっけ?忘れていたけど そういえばそんなところに連れて行かれたような。

子供を見てくれるところも無かったので 連れてったんでしょうね。

 

兄や私が 小学校や幼稚園から帰ってくると おやつが用意してありまして。

ドーナツだったり蒸しパンだったり。

家が 町の中心地から車で10分弱と 少し離れたところにあるため ちびっ子を連れて ちょくちょく買い物に行くことは難しかったと思うんですね。

町の人たちは 「ちょっとそこまで」みたいな感覚でサンダル履きで 買い物できていたのでしょうけれど。うちには縁の無い話。食材は一週間分くらい買いだめですよ。

必ず常備していたのは 小麦粉と調味料とかー。

買ったお菓子を食べられるのは 遠足の時とか 子ども会の行事とか、そんな感じだったんだよね。

でも、それが ウチの当たり前だと思ってた。よその家のおやつ事情は(なぜ知ってる 笑)、農家さんは 家でとれた果物だとか、搾りたての牛乳だったり 家に常備してある南部せんべいだったり トマトなど野菜だったり、それぞれだった。

クラスに一人、お嬢がいたんだよ。いつも高価なものを見せびらかしてるし、そのお母さんも当時 クラスの母親の中でいちばん若かったように思う。『ドラえもん』に例えたらスネオの女の子版とそのママみたいな。

ある日、その子と数人がうちに遊びに来たとき 私の母が手作りのお菓子を出してくれた。

そしたらお嬢に嗤われた。「私こんなの食べたこと無い!おやつは店で買うもんでしょ?貧乏だから買えないんだ~笑」という内容で。

確かに貧乏だったし、言い返すことはできなかった。けれど クラスの半分以上は農家さんだったし 一緒に来た他の子たちも「え、、、うちも買ってもらってないし、親も爺ちゃん婆ちゃんも 大人は朝から夜まで忙しくて 手作りのおやつなんて作ってもらえないよ。」みたいになって。

スッタモンダがあった思い出が。

結局その話がクラス中に広まって お嬢がクラスで浮いた存在になっちまったというね。(その数年後、彼女の“裏で人を陥れる行為”がみられ、腐れ縁からの天敵になったわけだが…)

 

そんな思い出話はさておき、

小洒落たおやつとかではないけれど たとえば蒸しパンには 細かく切った人参や玉ねぎが入ってたなー、とか

焼きリンゴの匂いは好きだけど、自分 猫舌なんだよなー とか

紙袋に砂糖を少し入れて 揚げたてのドーナツを入れて ワシャワシャ振ると キレイに砂糖が付いたよなー とか

プリンはあまりお目にかからなかったけれど ゼリーは牛乳を使って作ってたなー

食パンの耳を揚げたやつとか、蒸したサツマイモとか、甘酒とか、懐かしい。

最近、そんなことを思い出していました。

食の記憶ですな。

(ただ、残念なことに 大人になった今は 懐かしさは感じるけれど自分からは欲しないものばかりだがな)

 

 

実は、来週 ムスメの誕生日が来るんですよ。

その日 ムスメはいないけれど お祝いは今月末に帰省したときにしようかな、と。

私、以前は 子供の誕生日は 手作りケーキでお祝いしてあげたいと思っていました。

今思い返すと 自己満だったんでしょうかね。

 

ある日、小学校低学年だったムスメに言われました。

 

「買ったケーキが食べたい」と。

 

あ、そうなんだ・・・。

以来、ケーキは購入したもので。

 

 

そうそう、十年くらい前だったかなぁ。

クリスマスケーキを子供たちと手作りしたら

オットが怒って

「買ったケーキが食べたかったのに!!」と。

えーーー、オットも言ったか。

頑張って作った子供らの前でそりゃ無いよ。そこ、怒るとこじゃないでしょーー(悲)

翌日の仕事帰りに セール品のホールケーキを買って帰ったら満足してたし。なんじゃそりゃ。

えぇ、仕方ないんですよ。あのオババが溺愛する末っ子長男でしたから。

 

以来、クリスマスケーキも・・・というか

手作りケーキ封印。

 

気が向けばパンとかチーズケーキを作っていましたが

ほぼほぼオットが食い尽くしてしまう被害が多発しまして 手作りそのものを封印して今に至ります。

だって、その都度イライラしますもん。精神衛生上よくないですものね~口笛アセアセ

 

あ、年に2回のお彼岸には おはぎを 作りますなぁ。1kgのあんこと それ相当のもち米を使って「これ、売るの?」みたいに 大量のおはぎを作っても 翌日には無くなっていますからね。

どんだけ食うんだよもやもや(心の叫び)

 

「最近、おやつ作らねぇのか?」って、ふとオットに訊かれた時に ハッとしたんだよ。

自分は ちょっと頑張った手作りお菓子 のつもりでいたけれど

オットは 小腹を満たすおやつに過ぎなかったんだ? と気付いたよ。

あー。だからオットは テレビ見ながら次から次へと手を伸ばすのね。

 

最近は お菓子作りの神様も パン作りの神様も全く降りてきませんよ。

 

今は、自分的には マイブームの“豆パン”さえあればいいし(笑)