ロバートキャパといえば、報道写真を目指す方々は一度は通る写真家・・・
当然の事ながら、日本では沢田教一・・・
報道写真にも色々あって、ありのままを切り取る手法・・・当たり前の事だが、
これには、シャッターチャンスを自分のものに出来なければ何時まで経っても、
時代の真実を切り取る事は出来ない・・・
すると、小ざかしい人は、自分で演出するようになる・・・そうすれば、スクープは思いのまま・・・
ようするに、ヤラセ・・・である。あたかも、シャッターチャンスを物にした様に・・・
その、手法に溺れると、写真を撮る時の我慢が出来なくなる・・・
待つ事が苦痛になってしまい、シャッターチャンスに対する感性も失われてしまう・・・
私も、その傾向が出てきた・・・そう・・・動画である・・・回しっぱなしにすれば何らかの成果が得られる、
一発勝負ではなくなる・・・が、動画は良いところもある・・・事実をありのまま伝える事が得意である。
長回しすれば、事実関係を漏らすことなく伝えることが出来る・・・
ロバートキャパに疑惑・・・ヤラセ疑惑である・・・事の真贋より、此処まで有名になった報道写真・・・
たらせであっても、そのシーンを演出しただけの経験があった・・・それだけでも凄いはず・・・
まぁ、問題提起し、分析した人はチャンスの恵まれなかった・・・どうしたら、この様な写真が撮れるのか・・・
その答えが「やらせ」・・・迷わずに被写体の行動にシャッターを切れる人は、果たしてあの写真が、
最高のシャッターチャンスだったのかを考える・・・もう少し早く・・・・もう少し遅く・・・と、
シャッターを切るタイミングを考えてしまう・・・
そのような、考えを持たない人は、あら捜しを始める・・・そして、自分も行うだろう・・・「やらせ」に、
行き着く・・・後は、「ヤラセ」の証明に奔走する・・・シャッターを切ることを忘れて・・・
今更良いんではないか・・・キャパの写真は、見た人々に戦争の悲惨さを教えてくれた・・・
そして、写真を撮ることへの覚悟・・・あのような場面でも、シャッターを切るんですよ・・・
あの写真が偶然撮られたにしろ、そうでないにしろ、あの場面の経験があればこその写真・・・
今になって、見直せば、映画の方がもっとリアル・・・悲惨・・・である。
キャパの写真は、銃弾が体をつきぬけ、血しぶきの上がる姿は描かれていない・・・
もし、今の映画であれば、もっとリアルな表現になるだろう・・・
さて、ヤラセだからこそ・・・かもしれないが・・・そうでないかもしれない・・・
でも、戦争の犠牲者は兵士だけではない・・・その意味、沢田教一の写真はもっと評価されるべきである。