大雲寺と鐘楼(Dàyúnsì yǔ zhōnglóu)
訪問日 2021年10月3日(日)
大雲寺だが、もともとここには五胡十六国時代に張軌によって建てられた前涼の宮殿があった。前涼の昇平七(363)年、九代王の張天錫が宮殿を寺院へと改め、名前を宏蔵寺とした。
唐代載初元(689)年、朝廷は『大雲経』を全国に授けたのと共に、宏蔵寺から大雲寺へと名前が改まった。
では行ってみましょう!
和平路を曲がり、鐘楼路へと入っていきます。
道路の壁に大雲寺の鐘楼の絵がありました。
「大雲寺の山門」と「鐘楼」
この大雲寺だが、1383年に日本の浄土宗の志満という僧がここまでやってきたのだが、元代の戦乱により荒廃してた。その志満は出資を募り、見事大雲寺を再建した。だが、インターネットで志満という僧の名前を調べたが詳しことはわからず。
大雲寺のチケット。訪問時は5元でした。
大雲寺の説明書き。
境内にある建物。
仏像が安置されていたが、詳しい説明書きはなかった。
また別の建物もある。
こちらにも仏像が安置されてはいるが、説明書きが無く詳細がわからなかった。
大雲寺の「鐘楼」
この大雲寺も1927年の大地震で建物が倒壊。残ったのは鐘楼だけだったという。
鐘楼へと繋がる道。
階段を登っていきます。
大雲寺の鐘楼とは言いますが、正しくは「大雲寺銅鐘」というそうです。
大雲寺の鐘楼
鐘楼の北側の面。
鐘楼の西側の面。
鐘楼の南側の面。
鐘楼の東側の面。
鐘楼の階段を登ります。
「大雲寺銅鐘」
地球雨の歩き方によると、明代の鐘らしい。
仁王でしょうか?
龍でしょうか?摩耗しています。
何が彫られているかはっきりとは分かりませんでした。
大雲寺の周囲も再開発が進んでいまして、工事をしていました。
では鐘楼を後にします。
鐘楼の階段を降りまして、境内への外へと出ます。ここへきた時間帯が夕方、そして曇りの天気、また土色の壁ということもあり、どことなくもの寂しさを感じます。
終わり。