こんばんは
朝晩の冷え込みが身体にこたえ
マレーシアに帰りたい気持ちがますます高まる今日この頃です
朝起きてTシャツ1枚でも寒くもなく
暑くもないあの感じが1年中続く夢の国
…日中は激アツだけれども
マレーシアにいた5年間
1回ギックリ腰になったのと
五十肩に苦しんだくらいで
後はほとんど具合も悪くなる事なく健康に過ごせました
やっぱり気温と健康は関係あるなーとしみじみ思います
さて明日は大好きだった亡き義母のお誕生日
夫の母はサザエさんのお母さんのフネさんのような上品でとても優しい人でした
夫も私も実家は福岡
結婚してからは東海地方に住んでいたのですが
長女が生まれてからはよく里帰りをしていました✈️
夫は仕事があるのでお留守番
そして今思えばとても迷惑であっただろう
自ら嫁が赤子を連れて夫の実家に泊まる図
来なさいとは一言も言われていないのに喜んで自ら泊まりに行く嫁
なぜならば私の実家の母は
元保育士であったにもかかわらず
赤子が泣き出すと
なんで泣きよるとね?
と私に聞いてくる 知らん
ちょっと預けて
買い物にでも出かけようもんなら10分もしないうちに電話がかかってきて
泣きよるけん
早よ帰ってこんねー!!
…( ‾ʖ̫‾)
そんな訳で全く癒されず
娘の赤子時代 心からくつろげる場所は優しいフネ母のいる夫の実家であった
久しぶりに会う友達とランチに行こうという事になった時も
フネ母に赤子を預け
そして義父に駅まで送り迎えをさせる恐ろしい嫁
そして私が一日中遊びほうけている間
フネ母は
何時にどれだけ赤子がミルクを飲んだか
何時にオムツを替えたか
いつ笑っていつ泣いたか
お昼寝をした時間など 他にも
いろんな事をしっかりメモして帰ってきた私に見せてくれるのでした
好きにこねくりまわして全然いいのに
私に気を遣ってくれていたんだろうな
夫もこうやって大事に育てられたんだなと
フネ母にあやされている天パの赤子が天パの夫とかぶる
夫抜きでの嫁のみの滞在数知れず
いつも私の好物ばかりを作ってくれて
ご馳走を頂き 一番風呂に入り
ほかほかのお布団で爆睡し
朝起きたらちゃんと美味しい朝ごはんができているのを わーい\( ˙▿︎˙ )/ෆ̈と喜びモリモリ食べておかわりもするという
とんでもない嫁でした
次女を出産した時も
実家の母に産後の手伝いに来てもらったけれども そんな風なので
1ヶ月の予定を2週間で帰ってもらい、代わりにフネ母を1ヶ月召喚した
時が過ぎ 義父が亡くなった後
フネ母はアルツハイマー型認知症を患ってしまい 言葉が全く出なくなった
そして介護が必要になり
私達が住んでいた東海地方に連れてきて、介護型の施設に入ってもらう事になった
そして体調を崩し病院へ入院
私は毎日仕事帰りに病院へ行って
洗濯物を入れ替えたり
話が伝わっているかわからないけれども子供たちの小学校での出来事なんかを話したりしていた
言葉が全く出なくなってもう1年以上経っていて
フネ母の優しい声を聞く事は全くできなくなっており
体も動かなくなり寝たきりになって
いつもにこやかだった顔も無表情になり
私がいつも一方的に話しかけるだけの日々が続いていたある日
病院でいつものように
洗濯物をしまうため
フネ母に背中を向けて引き出しを開けてガサゴソやっていた時 突然
「ありがとう」
とはっきりした声でフネ母が言った
びっくりして振り向いたまま固まって
フネ母の顔を見ると
私を見てにっこり笑っている(-´∀︎`-)
もうかなり長い間聞くことがなかった声
無表情が当たり前になっていたけど懐かしいにこやかな顔
もう涙が止まらなかった
それきり言葉を発する事はなく
それが最後の言葉になりました
あの瞬間は一生忘れません
そしてフネ母が天国へと旅立った夜
病院から出てくる棺を夫と二人で外で待っている時
雲ひとつない空に
見事な満月が浮かんでいて
それはそれは美しい夜の光景でした
フネ母の名前は美夜子
いつも優しく穏やかで上品で
物静かで人の悪口を絶対に言わない
生き方が立派な人だったなあと
その満月を見て心から思ったのでした
明日はフネ母の大好きだった
クッキーを買ってお花と一緒に
お供えしようと思います
サザエさん