住んでいたコンドの近くで

いつも会う女性がいました


我が家はティッシュおばちゃん

と呼んでいたけどおそらく私と

同じくらいの年だと思う


すぐ近くの建物の2階に1人で住んでいて


カゴにたくさんのポケットティッシュを

入れてひとつ50センで

道行く人やフードコートで食べてる人に

売ってまわっていた


足が不自由で傘を杖代わりにして

毎日毎日朝も昼も夜も遠くまで歩いて

フードコートを何軒もまわっており


私がマレーシアに行った当初から

会うと必ずティッシュを2つ

1リンギ分(30円弱)買うようにしていた


私は毎日のように歩き回っていたので

しょっちゅう会い 向こうも

私を見かけると遠くからでも待っているし

私も道を渡って追いかけてでも

ティッシュを買うようにしていた


話す事は5年間ずっと同じで

空を見上げて「hot」

そして足を指差し今日も足が痛いと

ゼスチャーで言う

私も「hot」そして「そうだよね痛いよね」

と毎回同じ事を日本語で言っていた


いつもサンキューサンキューと言い

別れた後にも遠くから振り返って

またサンキューと大きな声で言ってくれる


道ゆく人に心ない言葉をかけられて

口論している姿も見かけた事がある


それでも毎日毎日暑い中

足を引きずりながら長い距離をずっと歩き

ティッシュを売って

一日一日を必死に生きている

彼女の姿を見ていろんな事を考えた


小さい頃はどんな風に過ごしてたのかな

お母さんは天国にいるのかもしれないけど

彼女の事を心配してるだろうな


ある時またいつものように

ティッシュを買うと

足がとても痛いと指差す 


足の先の変形している骨の部分が

赤く腫れていてとても痛そうだったので

ちょっと待っててと近くの薬局で

サロンパスを買って渡した


とても喜んでいたので私も安心し


それから会う度に「hot」と足が痛い

のゼスチャーに加え

指でサロンパスの箱の形を示す仕草が

追加された


それからは1ヶ月に1回くらい

サロンパスを1箱買って

外に出る時に持ち歩き

会った時に渡していた


買い物帰りのスタバを1回我慢すれば

いいだけの事


ちゃんと貼ってるよ!と足を指差し

サロンパスが2センチ角くらいに

小さく切られて貼ってあるのを見た時は

何とも言えない切ない気持ちになった


そしてロックダウンになり


フードコートもクローズして

持ち帰りのみになってしまい

たくさんの人で賑わっていた

コンドの前の通りも誰もいなくなった


ロックダウンで営業できる業種も

厳しく制限されていたので

彼女が気になり


買い物ついでに前の通りを覗いてもいない


何日も経って

持ち帰りの店の前でイスに座って 

お店の人からもらったであろうお弁当を

食べている姿を見た時安心した

近所の人達に支えられていたんだと思う


それから3回くらい

お弁当を買って渡したり

お菓子を持っていったりしたけれども


私も外に出る事が少なくなってしまい

タイミングも合わず

彼女を見かける事も無くなった


そして帰国する事になり

彼女にもその事を伝えようと

外の通りに何度も出てみるも会えず


帰国前日にサロンパスを1箱買い

それまでに買って渡せなかった分も

一緒に袋に入れて

少額だけれどもお金を箱にテープで貼って

伝わるかはわからないけど英語で

「元気でね また会いましょう」と書いて


彼女が住んでいる建物の1階の店の

顔見知りのレジの女性に

ティッシュを売ってる彼女に

渡してくださいと託してきた


あれから1年経ち

どうしてるのかな元気かなと

思っていたら


お向かいに住んでいた私の日本人バディが

見かけないと思うとひょっこり現れる

と教えてくれて安心した


成人の8割がワクチン2回完了したという

マレーシア

少しずつ元の姿に戻っていると信じて

みんなが元気に過ごせているといいな

と思いますニヤニヤ


やしの木

読んでいただきありがとうございますチーズ