宇宙の隅から☆こんにちわ♪

宇宙の隅から☆こんにちわ♪

「ももん」のスピリチュアルで哲学的な日々。
アメンバーは関係者限定です。

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どうも、お久しぶりです。
MONです。

ちょこちょこタロット続けてみました。
そして、わかってきたのは、
「タロットは愛のメッセージ」
だということ。
(よく師匠が言ってた言葉だけど、よくわかってなかった)

ただの未来予知ではなく、
これはハイヤー(高次元)からのメッセージなんだ、
ということが
やっとわかってきました。

実は、
朝にタロットを引いて、
いわゆる「怖い」カードが出たとき
なんかもう朝から一日中ビビって疲れてたのです。
朝から「塔」とか「ソードの9」とか
出ると
「今日はどんなひどいことが起きるの!?」
と、
戦々恐々としておりました…orz
(そもそも心当たりがあるから出るわけですが)

こんなの。↓

「塔」

「ソードの9」


しかし、これは、
そのときの状態を
わかりやすくカードで表しているだけで、
「実際こうなる」
わけではない。

ということがわかったのです。

つまり、
タロットが示してるのは、
「ハイヤーが私に伝えたいこと」。

なので、
「塔」が出た日は、
「なんか衝撃的なことが起きるかもしんないから腹くくっとけー。まあ、でもこの雷は神の光だから今まで気づかなかったことが明確になるだけなんだけどな。」
みたいな。
「ソードの9」が出た日は、
「考えすぎだからあんまり悩まなくていいぞー。そもそも事実を見ないようにしているから悩んでいるだけ。」
みたいな。

いわゆる悪いカードが警告というのは
こういうことか!
というのが、ちょっとわかってきました。
(こうなりやすいから、こうしたらいいよ、のような。)

それとね、
このカード、
自分で変えられるんですよね。

「塔」の正位置なら、逆位置にしてしまえばいい。
「ソードの9」も逆位置にしてしまえばいい。
反対に、「太陽」が逆位置なら、正位置にしてしまえばいい。
私たちにはそれだけの力がある。


「太陽」

自分の力で、
未来を創っていくことができる。


そんなわけで、
実はZONEリーディングがずっと苦手だったのですが、
これも最近やっとわかってきました。

これは、
「現状」
「すべきでない」
「すべき」
「隠された秘密」
というものを見ていくのですが、
私は大体「すべき」のところに
いわゆる悪いカードが来ることが多く、
「え?これはどういうこと?苦しめってこと?」
と思ってたんですが、
これは「自分がそう思ってることが出てる」ということでした。

つまり、
すべきのところにソードの9が来た場合、
「(私はこの問題について)悩むべきだ」と思っている。
とか、
すべきのところにソードの3が来た場合、
「(私は)裏切られて傷だらけになるべきだ。そうされて当然だ」と思っている。
とか。
なんのことはない、自分で自分を苦しめていたんですね。

「ソードの3」


それなのに逆に、
「すべきでない」のところに
幸せそうなカードが来てたりしていて、
まるで自分から「不幸になろう」としているみたい。
まるで自分で自分が「幸せにならないよう」にしているみたい。

ほんとは、
そんなこと(自分から不幸になろうと)
しなくていいのにね。

幸せになっていいのにね。


とかくこの世は生きにくい。


不幸になりたい病、
少しずつ変えていこうと思います。

へばまず(^o^)/
ある日、タロットで出た
ペンタクルの5。



見るからにしんどそうなカードです。

辛くて辛くて
ステンドグラスの向こうはあんなにも光に満ちあふれているのに、
自分がその向こう側に行くことは
決してないんだ…。
と、絶望している声が聞こえてきそうです。

あちら側に行きたいのに行けない、
すぐそこにあるのに行けない、
自分にはその資格がないから…

と思っていましたが、
お世話になってる本に、

この「教会」は誰しもが持っている、豊かさを味わう権利の象徴である、と。

そして最後には、

「あなたを導き守るスピリチュアルな領域とのつながりを探し求めてください」

と、締めくくられていました。



そうか、

(いつでもどこでも)

助けを求めてもいいんだな、

と思いました。



私はずっと、
「スピリチュアル」というものは

どこか「現実とは違う夢想の世界」で、

それが確かに「在る」ことはわかっているのに、

でもどこか「自分とは違う世界の話」、

というか、

「どこか違う次元の話」、だと思っていたのです。
(要は、他人事、ということです)

だから、スピリチュアルをやることは
どこか「逃げ」ることだと思っていて、
スピリチュアルをやることに罪悪感を抱いていました。

現実をほったらかしにして、
「空想の世界で遊んでいる」、ような。

目の前の現実から「目を背けている」ような。

でも違った。



スピリチュアルをやる、ということは、

現実を受け止める、

自分を認める、

真実を見つめる、

ということであって、
「空想に逃げる」ということではなかった。



スピリチュアルをやっていいんだなあ、と

じわっと安心しました。
逃げじゃなかった。



因みにこのカード、
また別の人には
「怪我してるフリしてるだけで、ほんとは怪我してないんじゃないか」
と見えるそうで、
「だって、ほんとに怪我してたらこんな雪降ってる中出歩かないよ」
ということだったので、
この男性は怪我はしてても雪の上を歩けるだけの根性はあるようです。

怪我はしてても、
意外と心は元気なのかもしれませんね。
思ってるほど、人生はまだ終わってないのかもしれませんね。
ほんと、違う人の見方って勉強になります。



イベントに出たり、
人を見たりするのは疲れるけど、
人と話すのは楽しいし気分転換になるので
何かそういう機会を作れないかなあ、と
考えてる今日この頃です。

馴れ合いでなく、
勉強会のような。

何か思いつかないかな~。うーん…

どうも、お久しぶりです。
仕事が忙しい、というよりは
仕事に振り回されて一年、半年、が
あっという間に過ぎていた感じです。

体も心も疲弊してズタボロです。
仕事しかしてないのにね!!!( ´ー`)

案の定、
エネルギーワークだの、
タロットだの、
全くやってませんでした!!!

と、いうよりかは、
じっくりやらずに
ちょちょっとやって
やった気になってました!

そんなに軽いものじゃありませんでした!!!( ;∀;)

先日、
師匠たち御一行さまがいらしたので、
ここぞとばかりに癒され、
やっとなんとか持ち直してきた次第です。

私の好きな「ずぼらヨガ」の
帯にも書いてあります。



「何度でも
    また
    始めれば
    いいんです」

そうそう、諦めなくていいんです!
人間は飽きる生き物ですからね…
飽きたらまた始めればいいんです。
そしたら、ちょっと「休憩」
してただけになるから。

私もまた
タロット日記を始めました。

毎日ひいて、今日の出来事と照らし合わせて、
このカードが表してるのはなんのことだろう?
とやってます。

スマホを見てるだけの無意味な毎日が、
彩られてきた気がします。

その日の学びを探すのって楽しいものですね。
つい先日までは、
毎日今日あった嫌なことを思い出しては
繰り返し味わって余計にストレスをため、
スマホを見て現実逃避をし、
満たされない毎日を送ってました。

なんて空しい…!!!( ;∀;)

そんなタロット生活のおかげか、
今日は大きな何かを見つけた気がするので
久々に書いています。

私にとっての「働く」は、
ちょっと前までこんな感じでした。


やらなきゃならん!負けられない戦いがある…!

みたいな。
でも本来、私にとって「働く」は

こんな感じ。
自由に、コツコツ、自分のペースで取り組む。

同じ「働く」でも、
自分にとっての意味を変えてもいいんだよな、と思いました。

で、
今日ぼーっといろいろ考えていて
浮かんできたのがこれ。


はい、疲れてます。

責任感とか義務感で
なんかもう疲れきってる私そのものです。

背負ってるから自分より大きく見えますよね。
(ブレーメンの音楽隊みたいですよね)


そうです。
そうなんです。

私は自分より自分を大きく見せたかったんです。

仕事できるやつだって
思われたかったんです。

できないやつだって思われたくなかった。

体はズタボロなのに。

このニワトリは「見栄」だろうなあ。
この指図してる偉そうなのは「思考」だろうなあ。
「こうでなくてはいけない」「こうあるべきだ」という
常識や固定観念。

それらを使って、


こんな風にみせかけていました。

これをなんていうか知ってますか?


そうです、
私は虚勢を張ってたんです。

ほんとはツラいのに、
助けてほしいのに、
「私、全然平気ですよーもっと仕事ください」
みたいにしてたわけです。

あーもうおばかさん。

「自分そのまま」じゃなくて、
何かを背負った、
「なんかスゴいもの」
演じてたわけです。

ほら、私すごいでしょ?
みたいにね。

アホですね。

傲慢だったなあ、と。

自分より

大きくも小さくも

なれないのにね。


ちょうどいい自分のサイズ、

それで生きていくしかないんだなあ、

と、

改めて思った次第です。

どんなにがんばっても
そのままの自分
以外にはなれないですね。

これを自己受容というのかもしれません。

自分が思うより、
自分はなんだか
そんなにすごいわけではなさそう。

それは
けっこう痛いんだけど、
痛いんだけど、
心地よい、というか。

自分以上にならなくていい。

だって、なれないから。

憧れのあの人みたいにならなくていい。

だって、私には私の魅力があるから。

だから、

無理せず

おごらず、

アリのように

地道に毎日を送っていけばいい。

そう思った1日でした。
自らにとっての 太陽 とは

即ち 己 自身


たとえ 宇宙(この世)に

数多の星(存在)があろうとも

自らにとっての 輝ける星

恒星(自ら輝く星)は

「太陽」(と呼ばれるもの) の他にはない


輝きは それぞれ違えども

そのすべてが すべてにおいて

それ 自身の

太陽(輝ける星) なのである
行こうか行かないか
迷っていた予定が近づくにつれ、
だるく重くなっていく体。

胃も痛い、
腰も痛い…。

仕事で疲れてるから?
それともまた勝手にアタック引き受けてる?

考えていても仕方ないので、
紙に思ってることを書き出してみて、
私の結論は、
「どっちでもいい」

行こうが行くまいが、
どちらでもいい。


ならば、

行かない!

決めた途端に
かるーくなった。

気が進まないことは
無理にやらなくていいんだなあ。


アタックが来るのは、
やろうとしていることが
自分にとって重要で、
だからこそ邪魔するように
足を引っ張るようなべったりするエネルギーが
まとわりついてくるのかと思っていたけど、
どうも
行く先の人が持っているネガティブエネルギーを
代わりに吸いとっているみたいだ。
(掃除機みたいに)

そうした集まりに参加するときは、
大体とても気を使って疲れる上に、
充実感がなく
楽しくない。

今後、
「楽しそう♪」
と思っても、
重そうな気配を感じたら
行かないようにしよう。

大体において
その「楽しそう♪」は
一時の気の迷いだから。
(余所からのお誘い、誘惑)


必要なことならば、
すでに
迷うことなく
やっているはずだから。
(すでに決めている)

迷う ということは
どこかでその選択に
疑問を抱いている
ということだから。

やりたくないことは
やらなくていいんだ。

気が進まないことは
断ったっていいんだ。
(ただし言葉には気遣いが必要)