おはようございますニコニコ
6月28日の朝です。


昨日はヘナが効いたのか、母との会話に疲れたからか、色々動き回ったからか、20時半には寝て4時半までぐっすりぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅでしたzzz

かなりスッキリキラキラキラキラしています。


昨日の記事を書いて、もう一つブロックがあったんだと気付きました。
 
こちらの記事にもリンクしていますが、私には「ひとに好かれたい」というブロックがありました。
「ブロック外し①【ひとに好かれたい】」


ひとになぜ好かれたいのか。
それは、自分で自分に自信がもてないから、誰かに認めてもらうことで安心したかったからです。

ひとに好かれたいというブロックが外れて、そのブロックが出てきました。

それは、昨日の母との会話を通して浮かび上がってきたものでした。



台風台風台風台風台風
昨日は祖父の17回忌と祖母の7回忌でした。

祖父母は曹洞宗で、父は浄土真宗大谷派です。

浄土真宗は他の宗派の方を一緒にお祀りすることを認めていますが、曹洞宗では「浄土真宗とは教えが真逆なので、一緒には祀れない」という考え方です。

今は父と祖父母が一緒に祀られ、曹洞宗としてはイレギュラーな形になっています。


私の夫の父は早くに亡くなっていて、次男だったためお墓を夫が建て、結婚するときに夫の祖母にお願いされて我が家には小さな仏壇があります。
そして、曹洞宗です。

これも何かのご縁なのかなあ、と思います。


祖父母は私にとって、息が詰まりそうだった実家からの避難場所でした。

祖父が認知症を患ってからは私の足が遠のくこともありましたが、看護師一年目で看護師を辞めることになり、寮を出ないといけなくなったとき、私が身を寄せたのは実家ではなく、祖父母宅でした。

一時的に実家に戻ったのですが、母と一緒に生活することに耐えられなかったのです。
そもそも就職のとき、早く家から出たくて寮がある病院に就職しました。
だからそこを辞めて戻るとき、「結局親の庇護下でしか生活できないのか」とかなり落ち込みました。

その時、祖父は寝たきりになっていて、その介護をするためというのを祖父母宅に身を寄せる表向きの理由にしました。

元々私を養子に望んでいた祖母は喜んでくれました。

でもその当時私はまだ若く、そして看護師に疲れ果てての離職だったので、母や祖母が望むようには祖父のお世話はできませんでした。

自分の次に生きる道を見つけるために一生懸命だったからです。

結果、「いい加減な子」認定を母にされましたし、私自身がもう少し祖父に色々できたら良かったのにな…、と思っています。
祖父にしてあげたかったことを、今看護師として働くなかでしているので、そういう意味では後悔も役立っているのですが…。

幼い頃から私の居場所を与えてくれた祖父母は私にとって特別な存在です。

今回お寺の方に、祖父母の位牌をうちの仏壇に迎い入れることはできないかご相談しました。


母には案の定、「何をこの子は言い出すんだ」という顔をされ、諌められました。

母には、私が葬儀会社で勤務していたことを話していません。
話しても理解されないし、「また馬鹿なことをして。やっぱり続かなかったんでしょ」と言われるのがわかっているからです。

だから私の発言も思いつきで言っているようにとっているのはわかっていましたが、私は祖父母への恩返しで供養していきたいな、という思いがあり、そのための環境もあるので尋ねてみました。

(遺産相続の時もそうなのですが、我が家の場合、専門家を挟む方がうまくいくのです。)

位牌は本来一人一人作るものですが、それをすると位牌だらけになってしまいます。
なので、過去帳に名前を書いて位牌がわりにし、亡くなって時間が経つ方の位牌を先祖代々のものとして一つにまとめるという方法があります。

位牌は立派すぎてうちの仏壇には収まりそうになかったので、過去帳を引き受ける話になりました。

これは、叔母にも相談しないといけないのでまだ決定ではありませんが、そうできたらいいなあ、と思います。



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母は叔母と二人きょうだいで、二人とも嫁いでいるため、祖父母の墓守をするひとや、この立派な仏壇を引き継ぐひとも母が亡くなったあとにはいません。

父は親戚の養子に入ってその家を継いだひとで、浄土真宗大谷派(お東さんと表現されます)のお寺と親しくしていました。

私が仏教に馴染み深い印象を受けるのも、幼い頃からお寺に法話を聴きに行ったりした経験があるからです。

父は仏教に造詣が深いひとで、家には仏教関係の本がたくさんあり、父の死後、私は遺産分けとしてそれをもらいました。
葬儀会社への転職は、そこからの流れでした。
父が興味を持っていた仏教について学びたかったのです。


父は自分が他家に養子に入り、そこを自分が継いでいるからか、その存続に責任を感じているようで、父方に関しては、長兄にお墓のことを生前にお願いしていました。

そして、母の生家の墓守がいないことを気にしていました。

母は長女で、祖母は婿養子に入ってくれるひとを結婚相手として考えていました。

父と母はお見合い結婚でした。
父が婿養子に入れないことを理由に縁談を断られそうになったとき、父が母に惚れていたからでしょうか、祖母に母と結婚させてほしいとお願いしたというエピソードがあります。

父は自分のことを語らないひとだったので、その時のエピソードについて父から詳しく聞くことはありませんでした。

母のどこが気に入ったのか、父に聞けば良かったと思っています。
そうすれば、私に見えていない母の良さを知ることができたのに、と思うからです。


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そんな結婚に至るまでのエピソードがあるからだと思うのですが、存命中父は自分の死後、祖父母の墓守がいなくなること、仏壇を引き継ぐひとがいないことを気にしていました。

そのため、父は私に祖父母の墓じまいを依頼してきました。
孫でもう他家に嫁いでいる私に墓じまいを依頼するのは本来ならおかしな話だと思うのですが、父は祖父母の跡継ぎを用意できなかったことを気にしているんだろうなあ、と思いました。

私が中学生の頃から祖母は私を養子にほしいと言っていて、私はさすがにそれは引き受けられなかったので、私にも少し罪悪感というか、責任を感じる部分があります。

今時、「跡継ぎ」は時代遅れだと言えます。
けれど、父は自分自身が家を継ぐために養子に入ったことや、祖母の思いを汲みたいと思っているのが私には理解できたので、それを引き受けました。

祖母の死後、今後の色々を話す両親、叔母夫婦の話し合いの席にも呼ばれて、気まずい雰囲気のなか立ち会いました。

結果、叔母が墓じまいをすることになりました。
「孫の世代にそれをさせるのはおかしいでしょう」と叔母が言ってくれたからです。


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母と叔母は仲が悪いです。
母は叔母のことを「わがままで、好き勝手する子」と思っていて、叔母は母のひとを「キツい、冷たいひと」と思っているのを双方から聞いています。

私は叔母と似ていると思うので、叔母が母を苦手に思う気持ちがわかるし、母が私に対して抱く感情も何となくわかります。

水と油のような相性なのだと思います。

叔母から「大変でしょ」と同情された経験があります。
叔母は私と母の関係を私が幼い頃から心配してくれていました。
ただ、自分の母を否定的に捉えたくないことから、叔母と詳しくそれについて話したことはありません。

気持ちを共感し合いたい気持ちはありますが、母批判で叔母と盛り上がってしまうと、産み育ててくれた母を裏切るような気がするし、それは品がない行動のように思うからです。


祖母の死後、お墓を今後をどうするかについての話し合いの席でも双方の相性の悪さがよくわかり、私は事がうまく収まるように立ち回りました。
父、母、叔母夫婦それぞれの思いが違っているのがわかっていたからです。

子どもの頃からの「ひとの顔色を伺う」スキル遺憾なく発揮されました。

叔母は私の様子に気付いたのでしょう。
その場は引いてくれました。
(私が席に招かれたときは一触即発のような雰囲気だったのです)


祖母の遺産分けのことや墓守のことなど、ややこしい話のなかで元々相性の悪い叔母と母は喧嘩になり、関係が断絶しています。

今回の周年の法要にも母は叔母を招きませんでした。


母は祖母に対して複雑な思いがあるようで、母もまたアダルトチルドレンなのだと思います。

真面目なひとなので、長女として自分を抑圧してきた部分があり、自由に振る舞う叔母や私を許せないのだと思います。

母には心許せる友人もいません。
だから私になんでもかんでも話してくるし、自分の気持ちをぶつけてくるのだと思います。

私は、でも、あくまで母の子どもなので、本来なら聞かないでいいことまで聞かされてきました。

私にはそれがずっとストレスでした。

でも、母の気持ちを聴いてあげないといけないと思っていました。

自分は幼い時、「わがままな子」で母に迷惑をかけた分、恩を返さないといけないと思っていたからです。

でも、祖父の介護のなかで私に限界がきて、「いい子」でいるのをやめました。
そこからまた、私に対する母の印象は「わがままな子」に変わったのもわかっています。

でも、もう「物分かりのいい、いい子」には戻りたくないのです。

母の思う「いい子」は、「母にとって都合のいい、いい子」だからです。


私は、子どもは元気に、その子らしく育てばいいと思っています。

大人の顔色を伺うのは、私の経験で十分です。

私はひとの目を気にして自分の気持ちを押し殺し、しんどい人生を歩いてきました。

娘にはそんな風になってほしくない。

「娘を否定することはしない。絶対娘の味方でいる」
私の子育ての信念のようなものになっています。

その意味で、皮肉かもしれませんが母には感謝しています。


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ただ、母にも素晴らしいところはあるのです。
祖父母の供養にしても、今時ここまできちんとするお家は少ないと思います。

お膳に食事をちゃんと用意して、お寺を招いて、それは母の愛情というより真面目さからくるものだとしても、「当たり前のことを当たり前にする」ことは意外と難しいものです。


私は自分の体調が悪いこの3年3ヶ月の間、娘に十分な食事を用意できなかったことが何回もありました。

そんな自分と母を比べ、「私は母を否定しているけど、そんな母がしてくれたことも自分はできていないじゃないか」と思い、また自分を責めていました。

そして、そこが緩んだとき、否定的に捉えていた母の良い部分にも目を向けていきたいな、と思うようになりました。

それは、私自身にとっても必要なことです。

「愛されなかった」と嘆いたり、母を責めたりするのではなく、愛されて育った部分に目を向けることで、自己肯定感をあげることに繋がるからです。


母の言葉に振り回される必要もないのです。

母には母の考え方があります。
それは母個人のものだから、否定しなくてもいい。

でも、私も、同意しなくてもいい。

私の考え方も、母の考え方も個人のもので、どちらが正しいとか言い争わなくていいのです。


ただ、母の意見は時に偏見に満ちていて、聞いていて苦しくなることがあります。

だから、ある程度聞いたら席を立つか、それができないなら、聞き流せばいい。

ひとの話を聞き流せない性分の私にとって、それはしんどいことなのですが、人間修行と思って割り切りたいと思います。


合わないひとというのは、自分を高めてくれる存在でもあります。
私はその相手が母親だったので、とても苦しかったのですが、だからこそ向き合えてこれたとも言えます。


いつまでも母の呪縛に囚われたくないのです。

アダルトチルドレンからまた少し卒業できたのかな、とこの記事を書きながら思っています。


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さて、今日は三連休最終日ビックリマークビックリマーク

バイト先の午前、午後の診察に入り、合間に友達とランチをしたあと歯医者に行くというなかなかのハードスケジュールですウシシウシシウシシ

せわしないですが、充実した1日になりそうな予感キラキラキラキラ

楽しい一日にしたいと思います爆笑

最後までお読みいただき、ありがとうございますキラキラキラキラ
皆さま、良い一日をお過ごしください音譜音譜

それでは、またニコニコ