こんばんは
1日遅れになりましたが、ののの@彩ふ読書会のレポを書きたいと思いますニコニコニコニコ

いつもなら午前の部から書くのですが、今回はあえて午後の部からニコニコ
(理由は午前の部のレポを書くときに書きます音譜)


午後の課題本形式の参加者は、のののさん含め14名で、男性5名、女性9名でした

今回は午前の部から参加の方が多く、参加者のうち午前から引き続き参加の方が11名、午後から参加の方が3名でした。

課題本は、こちら下矢印
モモ (ミヒャエル・エンデ 作)


「モモ」は、何回か読み返している作品で、以前に記事にもしました
下矢印


児童文学で、よくできた冒険物語としてサラッと読むこともできる作品なのですが、深読みすればするほど魅力を感じる不思議な作品です。


本って不思議なもので、読み返すたび、違う魅力を感じます。

前には読み流していた箇所が心に響くことがあります。
そして、その本が魅力的であればあるだけ、その傾向は強まる気がします



私は今回、ジジがモモに自分についてきてくれと頼み、モモが涙を流しながらも首を横にふる場面が気になりました。

モモのように、大切なひとの懇願を私は断れるだろうか。
そう思ったからです。

参加者の方に意見を聞いてみました。
断るのが愛。
ジジのことを信じているからこそ断った。
マスターホラに出会ったあとだったから。
モモが自分の軸を持っているから。


 午前の部で、私は「自己肯定感」をテーマに推し本を出したのですが、それが返ってきました。

モモは、自己肯定感を持っている。だから、他の人がどんな行動をとり、どんな言葉を投げかけても、自分の思う通りの行動をとれる。



無意識に私は答えを出していたのかもしれません。
参加者の方の意見で気付きました。

でも、読書会で他の方の意見を聞かないと気付かなったと思います。

昨日の読書会に参加し、更に今記事にしていて、自分のなかのモモの世界が更に広がり、物語への理解が深まった気がします。

未知の扉が開いた感覚で、新鮮でしたニコニコ


なんとなく魅力的な存在として捉えながらも、なぜ登場人物たちはモモにそんなに惹かれるのだろう、と思っていたのですが、その理由がわかった気がしました。

モモは、芯を持っていてブレず、安定しているのです。
嘘をついたり、自分を実際より大きく見せたりもしません。

モモはモモなのです。
(そしてそれが、自己肯定感の意味でもあります)

そんなモモだから、側にいると安心感が得られ、寛げるのでしょう。
だからみんな、モモの側にいたくなるんだな、と感じました。



そして、新しい価値観として、離れることが、相手を大切にすることに繋がることもあるということを、改めて気付かされました。


今までの繋がりから、手を離すことを躊躇することもあると思います。

子ども、友人関係、恋人、夫婦。

でも、いつまでも同じ関係でいることは、成長を妨げることになることもあります。


私はそれを子育てで特に感じていて、赤ちゃん期、幼少期、児童期、思春期、青年期、それぞれで子どもが求める愛、与えないといけない愛は違うと考えています。

いつまでも同じ愛だと、子どもは成長しないと思っています。

けれどそれは、子どもに限らず、人間関係全般に繋がることなのかなと思いました。


学校に、卒業という制度があるのもそうですよね。
旅立っていかねばならないのです。
更に成長するために。

もっと大きな話をするならば、人生自体もそうで、死という別れがあるから、人生が限りあるものだとわかり、精一杯生きられるし、今ともに過ごす時間や誰かを大切にできるのだと思います。


そして、書きながらまた気付きました。

灰色の男=時間どろぼうは、それを反面教師として教えてくれる存在なのかもしれません。



時間どろぼうに時間を奪われたひとは、時間を節約することばかり考えます。

けれど、生活の質、人生の楽しみは、時間を節約して時間ができたはずなのに失われているのです。

床屋の話が印象的です。
お客さんとのおしゃべりの時間、丁寧な仕事、インコの世話…。

本来、人生を豊かにするためのものを、無駄、と言われてしまいます。

仕事に対するこだわりは、仕事を楽しくし、仕事に対する誇りを持てるようにします。

また、余暇を楽しむことは、充電であり、仕事を頑張るためのモチベーションになります。

ただ効率性を求めることは、仕事を、人生を平坦にします。
時間どろぼうが、灰色の存在として描かれているのも、その平坦さをイメージしているからではないかと思います。

一見無駄と思える時間の使い方こそが、そのひとの個性であり、人生を彩るものだと気付かされます。



参加者の方から出た意見をまとめて書きます。

▪️経済的に豊かな社会になろうとすると、どの国も同じような発展の仕方をしていき、せわしない社会になっていく。
豊かさってなんだろう?

▪️口先で生きているジジは、自分に似ている。
「ご存知のように」というフレーズを使うと、多くの人はそれ以上聞いてこないので、自分も仕事の時活用している

▪️「時間の花」という感覚が素敵だと思った。一人一人に時間の花はあり、自分にも時間の花があるんだなあ、と思った

▪️こどもの頃は、モモの視点で読んでいたが、今はモモを見つめる側の視点で読むように変化した

▪️作品のなかに、自分たちの好きなようにしたらいいと言われると、何もできない子どもが出てくるが、自分もいざ何でもしてもいいと言われると、何をしていいかわからなくなる。
自分の心をつかうことをしないとだめだな、と思った。

▪️将来にしても、今にしても、楽しいことを見ながら生きていくと楽しいのに、鬱になるひとが多いことからわかるように、暗いニュースや情報が溢れ、混乱し、引きずり落とされるような社会になっている。

▪️書かれた時代はだいぶ昔なのに、今の時代の状態がわかっていて不思議

▪️児童文学なのに、モモがギリギリの極限状況に追い込まれるな、と感じた。極限状況から、解決に向かうところに、爽快感やカタルシスを感じる

▪️物語の語りが、モモに寄り添ったり、突き放したりしている

▪️案内役の亀のカシオペアが可愛い

▪️自分の家が勉強家系で、「今我慢することで先を楽しむ」ように育てられた。
今を我慢した結果、先を楽しむことがいいのか、今を楽しむことが大切なのか?

▪️モモと灰色の男の対決のシーンまでが長い。昔は読み飛ばしていたが、今はその対決に至るまでのエピソードこそ意味があるのかな、と感じる

▪️仕事でも、「先が見える」ようになってからしんどくなった。
先々を考えすぎず、今できることを一つ一つやっていって、次の一歩のことだけ考えたらいいのかな、と思うようになった

▪️時間の使い方や意味は自分で決めるものだと思う。時間どろぼうに時間をあげるのも自由なんだと思う

▪️ジジは最初、モモのためにだけ物語を語ったりしていた。時間どろぼうに出会ってからは、誰のために頑張っていいかわからなくなっている。
「目の前のひとを楽しませる」ために頑張るのも大切だなと思った

▪️灰色の男たちが葉巻を奪い合うシーンが怖かった

▪️時間を奪われることの意味は、今ならわかる。子どもの頃モモを読んでも、作品の良さがわからなかったと思う

▪️イタリア人は、寄り道が大事といった感覚を持っている。そんなイタリアを舞台にすることに意味があったのではないか

▪️モモが食べる朝ごはんが美味しそう。作者のミヒャエル・エンデ自身が巻きパンが好きだったということから、朝ごはんのシーンを通して、作者がモモを応援しているように感じる

▪️ミヒャエル・エンデがイタリアに移住して生まれた作品がモモで、イタリアで評価された。
エンデはドイツにいた時代があり、ドイツではモモのキャラクターは受けなかった。ドイツでは、現実批判的だという評価だった。
▪️芸術は、余裕があるところでしか栄えないのではないか

▪️時間をメインテーマにしているが、友達がサブテーマなのではないか。

▪️確かめず、とっさについた嘘が関係を崩すことがある。ひとに余裕がないまま向き合うとそうなるのではないか。

▪️効率よく生きていこうとすると、友達を失うんだと感じた

▪️あとがきが素敵。あとがきも作品の一部になっている

▪️自分の仕事に置き換えても、効率よく動ける人が仕事ができるひとと評価をうけ、丁寧な仕事をするひとは要領が悪いという評価をうけることがある。仕事ができるってどういうことかな、と思うことがある。効率は必要だけど、必要なことはそれだけではないと思う

▪️モモが、マスターホラの所から戻ってひとりぼっちになってしまったときの孤独感がすごかった

▪️あれこれ余計なことを考えず、今を大切にすることで仕事に向き合える気がする

▪️今、時間を買いたいと思う
▪️時間を買えたら何に使う?
▪️無限にあったら無駄に使う気がする

▪️こどもに影響を与えるのは、モモのような浮浪から生まれるという言葉をきいたことがある。河合隼雄さんは、ホームレス殴打事件が起きたとき、こどもたちに必要な存在をこどもたち自身が攻撃してしまうことについて考察していた

▪️序盤はゆっくりな展開で、それが対比となり後半のスピード感が際立っている

▪️自分がどう生きたいかは、モモのように自分が決めたことを持たないと流されてしまうなと感じた

▪️「モモ」は、包み込んでくれるような作品だ



様々な意見や感想がでました。

今回たくさん意見がでて、書きとめるのが間に合わない時もあったので、とったメモを見て、あれ、これどういった意味だっけ…、となったりしました(^▽^;)


読書会では、名言を聞くことができるのも楽しみの一つなのですが、今回の私的名言No.1は、次の言葉でした。

40代は、青年の老年期。
50代は、老年の青春期。


50代の女性から教えていただいた言葉なのですが、なんだか深いです

私は40代で、今なんとなく今までの人生の振り返りをしているのですが、そういう風にするのが、今までの青年時代の振り返りで老年期な気がします。

一方、50代になると青春時代に入るそうなので、なんだかワクワクするな、と思いました。

一般的な青春というと、中学〜大学生くらいまでかな、と思うのですが、今までの経験から物事を楽しむという意味で老年の青春期なのかなあ、と思いました



私の時間の花はあとどのくらい咲いているのでしょうか。

自分にとって大切なことを大切に、毎日を過ごしていきたいなと思った読書会の振り返りでしたキラキラキラキラ
長文にお付き合い、ありがとうございます


明日以降に午前の部の記事は書きたいと思います

盛りだくさんで、これまた長くなりそうですニヤニヤ


それではおやすみなさいぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅ