皆様、ご覧になりましたか…。

昨晩で見逃し配信が終了したわけですけども…ご覧になりましたか…?

私は観ました真顔

残念ながらリアタイできず再ライブも見逃したため、見逃し配信しか見られなかったんですけども。

それでも三回見ました真顔

 

まだ、全然考えも感想もまとまらないけれど…でも、とにかく凄まじい作品だったことは確かです。

だから、語らせてください。
今の自分が考えたこと、思ったことだけを、とりとめもなく。
あ、がっつりネタバレするので、円盤の発売を待つよ!という方は、今日の記事は見ないでくださいね!
 
 
 
 
科白劇 舞台「刀剣乱舞/灯」
綺伝 いくさ世の徒花
改変 いくさ世の徒花の記憶
 
 
 
言うまでもなく、このご時世に興行を打つこと自体、非常な覚悟と細心の注意を払ってのことであったと思います。
まず言いたいのは、この公演をしてくれた、ただそれだけでも、キャスト・スタッフの皆様に心から尊敬します、ということです。
感染防止のためにしなければならなかったあらゆること。席数が半分になるとか、地方公演ができないとか、金銭的にも「評判」的にも、苦悩が多かったであろうことは言うまでもなく、さらに舞台上でもソーシャルディスタンスを保って、とか、演者もマスクをしなくてはならないとか、もう素人からすれば「無理ゲーじゃん」としか思えないような条件をたくさん付けられて…。
それでも「やろう」と決断してくださった、すべての関係者の方々に、本当に心から感謝したいです。
タイトルに「灯」と付けてくださったそのままに、刀ステのファン…ひいては舞台ファンの一人一人の心に、希望の光を灯してくれる公演であったと思います。
本当に、心から、ありがとうございます。
 
 
 
 
さて。
 
 
 
このお話、もう語りたいことは沢山あります。
めちゃくちゃ示唆的なセリフが沢山あったし、維伝から注目されてきた「放棄された世界」を舞台にしたものだったし…本当に、今後の物語の行く末を占うような内容でしたし。
ただ難しいのは、この憎き新型コロナウイルスの影響により、元々予定されていたのとは全く異なる舞台になっている、ということなんです。
そのため、副題についても、当初「綺伝 いくさ世の徒花」であったはずのところが、「改変 いくさ世の徒花の記憶」というタイトルに変更になったんですよね。
なので、これが刀ステの世界観を考察する上で、どこまで重要になってくるかは分からないんですが、でも、非常に印象的な作品でした。

今回、キーワードなのかな、と個人的に思ったのは「この戦いは何なのか」というセリフです。
人間側には、歴史を変えるために戦う理由がある。実際、人間はよく「これで歴史が変わるぞ!」「俺が歴史を変えてみせる!」って言いますよね。
これ、我々は未来に向けた力強い決意表明だと取っているわけですが…じゃあ、もし今私たちが生きているこの時間すら、すでに決定された「歴史」の一部なんだとしたら…?
そしてその誰かの発明や行動が、「この先の」歴史の正史とズレているんだとしたら…?
そう考えると、眠れないほどゾクゾクしません?滝汗

一方、刀剣男士たちには歴史を変えるために戦うという理由はありません。
むしろ、「正史」を守るために戦う。
何故戦うのか、といえば、長義曰く「刀の本能」だということになります。
この「刀の本能」、そして「刀の延長線上に人がいる」というセリフは、前回の維伝で、南海朝尊太郎(三好大貴さん)が言ったセリフですね。

歴史を守るのは刀の本能。

もしかしたら、政府より遣わされた刀達は、そういう風に「プログラミング」されているんじゃないか…なんて、そんなことまで感じてしまいました。
この戦いは何なのか…それは、かつて悲伝の時に歌仙が燭台切へと投げかけた「刀の本分を忘れるなよ」という言葉への、反問にもなっているのかもしれません。
だって、ガラシャを斬る時の歌仙の苦しみは、本能だから仕方がない、と割り切ることなど到底できないものだったと思うから。

そしてもう一つのキーワードは「心」。
これはもちろん言うまでもなく、悲伝の時から重要視されていた言葉だと思いますが…。
獅子王がよく使う「ぬえみたいだ」という言葉。これは本当に言い得て妙といった感じで、良くも悪くも「ぬえのようだ」というのは、簡単には割り切れない、複雑なものを表すのにぴったりな言葉だと感じます。
悲伝の時、ボロボロに泣いている山姥切国広に小烏丸がかけた言葉。
それを思い出して、私は一人おいおい泣きました。
隣から苦情が来るかもって心配になる程泣きました。笑
でもこれは、布石なんじゃないかなって思うんです。実際に、ね、ほら、帰ってくるでしょう、あの刀が。
そのための布石だと思ってるんです、勝手に。
あー、ヤバい。また泣きそうえーん



閑話休題。


 
形式を変えて上演する、と発表されてから初日の幕が上がるまでの時間も本当に短かったし、本当にって何度も言ってすみませんけれども、本当に「よくやってくださった…!!」という、その一言に尽きるんです。マジで。
科白劇、というところから、朗読劇みたいな形を想像していたんですが、これが全然違う!
ちゃんと動くし、会話もきちんとやりとりしている感じがするし、何より刀ステシリーズの1番の見所である殺陣もちゃんと織り込まれているんですラブ
予想外に、あまりにもちゃんとした「演劇」で、はて、これは一体いつもと何が違うのかしら…?と考え込んでしまったくらいでした。
まぁ、もちろん当初の予定通りであれば、これよりさらに素晴らしい作品になっていたとは思うんですが…。
時間遡行軍も大活躍だっただろうし、舞台美術もがっつり組んだだろうし。
でも、これはこれで、単なる代替案、次善策といったレベルのものではなく、きちんと一つの作品として完成されているなと感じました。
さすが末満作品…恐るべしゲッソリ
 
 
 
今回の主人公は歌仙兼定。
本来の綺伝であれば、おそらく彼を部隊長とした『特命調査』への出陣の記録が描かれていたのでしょうが…今回はなにしろ「改変」なので、ちょっと特殊です。
描かれるのは、他の本丸で出陣した、放棄された世界である慶長熊本への『特命調査』の記録。
「うちの本丸での『特命調査』出陣と、似てるようで違うね?」と、本丸で刀剣男士達が話しているところから、このお話ははじまります。
普段とは違い、記録されている内容を追っていく、というスタイルなので、当事者である刀や人間達の他に、語り手が参加していることが特徴です…まさに『特命』。
今回、そんな今までにない試みに参加した講談師の方は、神田山緑さん。
迫力のある語りで、いつも通りがっつりやれなかった殺陣のシーンを、実に迫力あるものにしてくださったわけですが、彼の役目はそれだけではありません。
刀剣男士達や歴史上の人物たちを、あくまで物語の駒として動かす、いわば「神様」のような立ち位置にいることが、おそらく今回の語り部の最大の目的だったのだと思います。
実際最初の方は、「この」本丸と、「記録の」本丸の間で話が行ったり来たりしていて、よ〜く考えながら見ようとするとだいぶ頭が混乱する作りになっていたのですが、そのうちに「講談師が語るところは記録」「講男士(特殊な刀装という扱い)に話しかけているのは『この本丸』の刀剣男士達」という構造が見えて来ました。
まぁ、それも本当にそうかは怪しいんですけどね…合間合間で、ちょっと違うのかなってところも有ったし。
 
 
とにもかくにも。
 
 
別の本丸での出陣の記録、として描かれる今回の特命調査。
気になるのは「改変」されていない綺伝が何を語るか、ですが、それは置いておくことにして、今回はあくまで「別本丸の出陣で起こった物語」を描いた今作での感想をつらつらと。
 
 
まず、俳優陣。
いつもながら、皆さん素晴らしかった。
今回は特に、いつにも増して「人間」役が多かったわけですが、彼らの一人一人がしっかりそれぞれの物語を描いていて、非常に重厚感のある作品になっていました…さすがですおねがい
そんな俳優陣の中で、私が特に推したいのはお三方。
 
まずはやはり細川ガラシャを演じた七海ひろきさん。
宝塚出身の俳優さんで、さすがトップの男役を張ってきただけあり、とにかく見せ方が上手!
どう立てばより美しいか、どの角度がより魅力的か、知り尽くしているんだなぁと思うような、完璧な立ち姿です。
今回は特に、派手なアクションシーンより、印象的な静止画の連続、というようなシーンが多かったので、照明にどう当たるかって、ものすごく重要だったと思うんですよね。
この作品で、これ以上ガラシャを聖母のように見せることができる俳優は、他にはいなかったんじゃないかなと思います。
もちろん、お芝居はしっかりしているし、所作や姿はもちろん美しい。
なにより男勝りで名高い才媛を演じるのに、あの声ほど適切な声はないんじゃなかろうか…。
と、そんなことを感じた私。
前にキャストが発表された時、宝塚ファンの方々が「刀剣男士を観に行くつもりが、七海ひろきファンになって出てくる人が沢山いるんじゃなかろうか…」と言っていましたが…
それ、私です。笑
 
ただひとつだけ気になるのは、あの後半の衣装かなぁ…。
どうしても「ザ・宝塚じゃん…」って印象になってしまって、いまいち入り込めなくなってしまった。
これは俳優の問題ではなく、衣装さんのセンス…というか、好みの問題なのだと思います。でも、やっぱり生身ではないとは言え歴史上の人物に、あのきちっとしたパンツスタイルは違和感があるのよねショボーン
私個人の意見では、いまいち世界観には合ってないなと思いましたが…七海ひろきさんのファンの方だと、ああいう姿の方が見慣れているのかも知れませんね。
もしかしたら衣装さんも、宝塚ファンなのかもしれない…?
ちなみに、これは作品には全く関係のないことですが、七海ひろきさんのスタイリッシュ体操、私、結構好きです。笑
 
 
さて、次に特記すべきはこの方でしょう…黒田孝高役の山浦徹さん。
このシリーズでは、非常に重要な役割を果たすのがこの方です。
初登場はジョ伝でしたね。そのときには、黒田「官兵衛」として天下取りへと跛行していましたが…まさかこんな形で再登場するとは思ってもいませんでした…。
確かに黒田孝高、あるいは官兵衛、あるいは如水と呼ばれたこの人物は、突出した才を持つ極めて優秀な軍師であり、キリシタンの洗礼を受けた者でもあり、仏門に帰依する者でもありました。
その官兵衛の…今回に関しては孝高の物語を、こんなふうに「利用」するとは…本当に、末満さんはある意味大変に恐ろしいお人です…ガーン
山浦さんは、当時ジョ伝のバクステ映像にもそれほど多く映っておらず、どことなくミステリアスな印象がありました。
刀剣男士達とは距離を置いているようだ、というこちら側の認識が本当のところ合っていたのかどうか知りませんが、それが、今回は非常に効果的だったように思われます。
やはり今回のキモは、彼は孝高であって官兵衛ではない、というところ。
そして、私達が知っているジョ伝の戦いで時間遡行軍の指揮を執ったのは別次元の彼であり、彼自身ではない、ということでしょう。
何度も線をなぞるように時間を繰り返すうちにこの時間軸が濁ってしまった…と言った彼の言葉は、おそらくそこに存在する者達の記憶が、そこに関わるモノ達の記憶に影響されることを示唆しているものと思われます。
刀剣男士達は、あらゆる本丸から出陣してくるし、自分たちが勝つまで何度でもそこに出陣し、戦いを続ける。
そのなかで、あらゆる刀剣男士達のそれぞれが持つ「記憶」や「物語」が、その世界の人々やモノ達に影響を与えるのは、ある意味当然の事かも知れませんよね。
ジョ伝の黒田官兵衛は、己の鋭い洞察力によって、現実的には到底有り得ない存在である刀剣男士達の実在に気がつきました。
そして今作の黒田孝高は、自分の内側の混とんから、この「放棄された世界」がどのような世界であるのかを、理解しているように思われます。
…凄いですよね…これ、ちょっとメタ的な発想ですけれど、黒田孝高は、ある意味このお話を作った末満さん自身なのかも知れませんよね。
だって、このこのシリーズにおける「歴史を守る戦い」とは何なのか、「放棄された世界」とは何なのかって、お話しを作った人と、黒田孝高しか知らないんですよ??
 
やばくね?真顔
 
常識を超えて、今生じている現象を分析し、時をも超えた調略で自分の運命を切り開く…そんなミステリアスで潔いほど強欲な黒田孝高。
たっぷり堪能させていただきました…!
いやしかし、この場にへし切り長谷部がいなくて良かったね…(ほろりぐすん
 
 
 
さて、最後の推しはやっぱりここでしょ?
絶対に外せない、早乙女じょうじさん演じる、細川忠興ビックリマーク
彼も、歴史上の人物としてはシリーズ史上初の二度目の出演。黒田官兵衛(あるいは孝高)とは違って、同一人物として出演しているので、ある意味、この人だけが「二度目の出演」といえるのかも知れません。
義伝の時には、一般的に知られる残虐な人物像とは全く違った、豪胆で面倒見が良い政宗公の親友として登場した忠興様。
今回は、歴史改変のあおりをまともに食らい、落ちぶれ切った素浪人として登場しました。もう着物もぼろぼろ髪もぼさぼさ。見ているだけで臭いそうな…ガーン
でも、これが本当に良かった。
ぼさぼさの髪の隙間から覗く瞳はあまりに澄んでいて、本当に妻のことを愛していたんだと、その顔を見たら一目で分かるような、そんな表情をしてました。
義伝の際には、彼の友へかける情の深さを描いていましたが、今回は歴史に引き裂かれた妻への一途な愛情を、非常にストレートに描いていましたよねえーん
熊本城下で、ガラシャと忠興が邂逅した場面では、なんだか知らずに涙があふれて来ました。
憎さと愛おしさ…切り離せない、背中合わせの二つの感情。
自分の妻を「蛇」と呼んだ忠興。
「鬼の妻には蛇の様な女が似合いだろう」と返した玉(ガラシャ)。
この逸話は、実際によく語られているエピソードですが、これ、実際には、二人自身は何を思っていたんでしょうね。
何だか私は、忠興がかわいそうでたまらないんです。
本当に、本当に、本当に、気が狂うほど妻を愛していたんだろうなって思ってしまって。
愛は独占欲となり、嫉妬となり、残虐さになり…結果的には、二人は何一つ報われずに、死によって決定的に分かたれてしまうわけですが。
 
それにしても、蛇、ってのが凄いと思いませんか?
だって、キリスト教徒にとって「蛇」って、ものすごく意味深い存在…でしたよね?(うろ覚えですが…)
実際には、禁断の果実が何なのかも、それを食べろとイヴを唆した「美しい」動物が何なのかも聖書には書いていないそうですが、一般的には禁断の果実は林檎と言われているし、ずる賢く「美しい」動物は、蛇に姿を変えられた、んじゃなかったでしたっけ…。
 
違うかも!
違ったらごめんなさい!口笛
 
 
さて。
ここまでで充分長さを極めてしまいましたが、更に刀剣男士のこともちょっと。
 
 
まず今回の特徴は、初参加の刀剣が多かったということ。
そしてそれを演じる俳優が皆若い!若いのに上手い!凄い!!
 
今回の特命調査で新たに仲間になる地蔵行平(星元裕月さん)と古今伝授の太刀(塚本凌生さん)に加えて、篭手切江(大見拓土さん)、獅子王(伊崎龍次郎さん)、にっかり青江(佐野真白さん)。
…若いびっくり
いや、違うんだ、この若い組から松井勇歩さん(亀甲貞宗役)を抜いたのにはそれほど深い意味はないんだ。
深い意味はないけど、「憂国のモリアーティー」でお芝居見てて、ああ安定してるな〜って思ったから若手の印象がないだけ!それだけ!ニヤリ
 
まぁ、冗談はさておき。
びっくりしたのは、若手の皆さん、初登場の皆さんが、本当に上手だってこと。
お芝居の迫力もそうだけど、殺陣が上手い。存分に身体が利く。
これはすごいことですよ。
この前、「大演練」控えの間の放送の時に、ミュで三日月宗近役を演じている黒羽麻理央さんが、「刀剣乱舞に出ると人生が変わる」というようなことを言っていましたが、それは本当なのかも。
というか、刀剣乱舞というコンテンツに参加する、ということを目標に努力を重ねる俳優のたまごたち(あるいはヒヨコたち)が、猛烈に増えているのかも知れないな、と思いました。それくらい粒ぞろいだった。
私の場合、伊崎龍次郎さんはエーステでお馴染だったけど、その他の皆さんは全然知らなかったんですね。でも、本当に皆、選ばれたんだなぁ…という感じでしたよおねがい
星元裕月さんはあんな可憐な外見なのに迫力のある芝居をするし。
塚本凌生さんはミステリアスでアンニュイな感じが良く出ていたし。
大見拓土さんの動きのキレには驚愕させられたし。
伊崎龍次郎さんは太陽みたいなキャラクターに、全く違和感もイヤミもなくて。
佐野真白さんは色っぽさと強さが共存する立ち居振る舞いが完璧でした。
 
すごいね。
俳優が目指す舞台、って、こんなに突出した若い力が集うんですね。
そして目まぐるしい状況の変化だとか、公演できないかもっていう不安とか、なんとか上手くやらなくちゃっていうプレッシャーだとか、そういう色んなものに、よく打ち勝って来ましたね。
私はなんだか、職業柄もあるのか、カーテンコールでの挨拶を見ていたら、涙が出て出て止まらなくなってしまいましたよ…。
夢の舞台。
少し形は変わってしまったけれど、いつか絶対に、今回舞台に乗せるはずだった作品は上演されることになると思うし、なによりも若い皆さんががむしゃらに注いだ情熱は、きっと皆さんが思う以上に、観客の心に熱い炎を灯したと思いますよ。
 
って、マジで泣いちゃうえーんえーんえーんえーんえーん
 
 
さぁ、あんまり私が泣いていても仕方がないので、次の話題。
そりゃあ、もう避けて通れないですよ。
梅津さんですよ。梅津瑞樹さんですよ。
この人は本当に、上手過ぎじゃないですか?天才ですか?そうですか。そうですね。
でも、天才っていったら、ちょっと違う。
この人、本当に演劇が好きなんじゃないかなぁ…それが伝わって来ます。
 
梅津さんが初めて刀ステに参加したのは去年公開された慈伝です。
あの時の山姥切長義は、良くも悪くもちょっとよそよそしい感じでした。愛想良くしていても心は開いていない感じ。熱くなってはいても、どこまでも理性的な感じ。
そりゃそうだ、お話がそうだったんだから。
で、あの時にも思ったんですけれど、梅津さんって、「微妙さ」を見せるのが本当に上手なんですよね。
言ってることと思っていることが違う、とか。
冷静だけど気持ちは燃えてる、とか。
そういう微妙な「機微」を表現するのがべらぼうに上手い。
で、この人のは他の若い人達の「がんばっている」「がむしゃらな」上手さとは全然違って、もう完成されている上手さというか…この人のは、技術なんですよね。
それも、多分自分では意識していない、身に付いた技術。
ものすごく自然に、何の違和感もなく、予備動作無くくり出してくる。それがもう、ぞくっとします。
…これは、誤解を招きかねないのであまり言いたくないんですけれど、あくまで「私は叩き上げで実力を磨いてきた人々の芝居が好きですよ〜」ということを前提として聞いて頂きたいのですが…。
梅津さんについては、さすがに演劇を「学問」として修めた人は、もう格が違うなぁ、という感じがするんです。
まだ20代半ば。充分若い。
でも、既に本物の俳優の品格がある。
顔が良いとか、スタイルが良いとか、身体が利くとか、そういう「美点」を超越して、もう純粋に「芝居が上手い」という感じがする。
その「純粋に上手い芝居」が、今回の舞台では特に冴え渡っていたように思います。
味方に対するクールさと、敵に対する冷酷さの繊細で鮮やかな対比。
賢く冷静なように見せて、熱く燃えたぎる内面の見事な表現。
なにより、自分はこの本丸の一員である、という自覚が、彼の立ち姿の端々から薫ってくるようで、慈伝からの変化を絶妙に表現しておられました。
アクションシーンの、本当に相手がそこにいるかのような動きも凄かったです。
刀ステに限らず、今後絶対に目が離せない俳優の一人だなぁと思っています。
最後のカーテンコールで放った言葉に、彼の思いのすべてが表れていましたね。
「これが演劇の力です!」
そう口に出来るまでに、どれほどの不安を抱えたか…どれほど多くの涙を飲んだか…そう思うと…
 
やっぱりマジで泣いちゃうえーんえーんえーんえーんえーん
 
 
きっと、舞台に立ちたいっていう魂の叫びが爆発したんじゃないかな。
だって、この3月からずっとずっと、立ちたいのに立てない状況が続いていたもの。
本当に、本当に、よかったね。
私達もずっと、あなたが舞台に立つのを待っていましたよ。
 
 
 
さぁ、いくらなんでも長過ぎる。
だから最後に一つだけ。
 
 
どうしても言いたいのは、今作の座長が素晴らしかったということです。
和田琢磨さん。
どれだけの思いで、どれだけの覚悟で、どれだけのプレッシャーを背負って、その舞台の中心に立ったことでしょう。
鈴木拡樹さんが座長ではじまったこのシリーズ、山姥切国広役の荒牧慶彦さん、(W座長ですが)へし切り長谷部役の和田雅成さん、陸奥守吉行役の蒼木陣さんと、若いのに実直で実力のある素晴らしい座長がその任を背負ってきたわけですが、今回の歌仙兼定役和田琢磨さんは、もう満を持しての座長、という感じでした。
年齢、キャリア、シリーズ内での立ち位置と、どれをとっても不足なし、さぁ行くぞ!というタイミングですよ。それが、この騒ぎでしょう?
もう、本当に、挫けてておかしくなかったと思うんですよ。
これは想像でしかありませんけれど。
きっと、本来の綺伝の上演を一番楽しみにしていたのは座長である和田琢磨さんだったと思うんです。歌仙兼定の、「刀」としてのあり方を描いてもらう、それを板の上に乗せる…それはただ「主役」であることとは別次元の歓びだと思うんです。
なんかこう…存在そのものの証明のような。
自分が演じてきた「役」が、よりリアルに、実感を伴った「存在」になるような…。
 
それが、いったんは出来なくなってしまったんだもの。
私だったら、もう立ち上がれなくなるくらいショックかも知れない…まぁ、素人がプロの心情推し量ってもどうしようもないんですけど。
でも、絶対に、ものすごくショックだったと思うんです。
 
それを、こうして形にしてくれたでしょう?
そうして最後、また語って聞かせるって、約束してくれたんですよ。
 
 
 
 
泣くじゃんえーんえーんえーんえーんえーんえーんえーんえーん
 
 
 
 
そう、西暦2020年には、とんでもなく厄介なことが起こってるんです。
敵は目に見えないから、刀剣男士に成敗してもらうわけにもいかない。
経済とか精神とか、色んなものが打撃を喰って、まるで泥沼のいくさ世の様相。
 
でも。
こうして、何かを表現したい、物語を形にしたい…そう思って、本当に文字通り命を削って「創作」してくれる人達がいる限り、そしてその命がけの作品を、愛し、慈しみ、見届けたいと願う観客がいる限り、きっと演劇は死なないと思うんです。
死ぬわけにはいかないだろうと、思ったんです。
 
綺伝は中止になりました。でも、消え去ったわけではない。
全く別の物語として今回の「改変 いくさ世の徒花の記憶」が上演されたことによって、綺伝はそのまま、我々の目に触れないままに残っているわけです。
だから、いつか絶対に、観ることが出来る。
その時には、今度こそ「この本丸の」歌仙兼定に、存分に戦って頂きましょう。存分に泣いていただきましょう。笑っていただきましょう。生きて頂きましょう。
 
今回の作品は、その日へと繋ぐ「灯」でしたね。
ぼんやりと静かに、でも確実に、燃え続ける炎。
この灯は、私達の心に、決して消えることはありませんね。
 
 
そう、思いませんか?