※今夜もまた、辛口注意ですビックリマーク



こんばんは。
明日からまた一週間が始まることに切なさが止まらない私ですショボーン

今夜は、木曜日に突然思い立ってチケットを買ったバーチャル舞台をお部屋で観ました。
ので、このなんとも表現し難い気持ちを発散させてください。


あ、辛口注意です。





バーチャルシアターリーディング「楽屋〜鏡が観ている〜」




ライブ配信は終了していますが、アーカイブのチケットは購入できるようです。



あのですね。
先に申し上げますが、俳優はとても良かったと思うんですよ。
まぁ、噛んじゃったり読み間違えちゃったりが多かったキャストはいましたけども。
この作品の評価のポイントは、これをこの形態でやったことの是非、です。(夏井先生風)



「楽屋」は、清水邦夫の名作戯曲。
私は、もうかれこれ10年くらい前に渡辺えりさんや蒼井優さんが出演した舞台の映像を観たことがあって、その印象が強いのですが。
役者が4人で、時間も1時間ほどの脚本なので、高校演劇でも採用されることが多い作品です。
今回の「バーチャルシアターリーディング」は、最近全く人の出入りがない劇場の楽屋に忍び込んだ4人の俳優が、そこに忘れられていた台本で遊びがてらに読み合わせを始める…のを、我々が鏡の視点で盗み見る…キョロキョロ
という設定、だったらしい。

で、実際には、映像の合成なんかを駆使しつつ、時々ト書きを示すテロップなんぞが入りつつ。
出演俳優たちが「楽屋」の台本を読む。



以上。




真顔





以上。
なんですよマジで。
はいビックリマーク
ここからは辛口注意報ですビックリマークビックリマーク



俳優さんたちの芝居はとても面白かったし上手だったし、その点では良かったので、全然文句ないんですけど。
しかも安里さんの女優Dとっても可愛いし、えーこんな芝居もできるの?って新たな一面にキュンとしたし、もうそれで全然OKなんですけど。

でも、私は、この仕上がりで3000円は高いと思いました。
そのあとのトークタイムまで含めれば、まぁいいかなという感じですけれども。


だって、この作品の、作中で「俳優たちが人気のない楽屋に忍び込んだ」ことも、「遊びがてら読み合わせを始めた」ことも、全然描いてないんだもの。
原作の台本をそのまま読ませているだけで、ほぼ全く手を加えていない。
作品の外で設定を説明するというのも、もちろんありだとは思うけど、それにしてもやり方がおざなりです。
彼らは「俳優たち」としての名前もちゃんと設定されてるんですよ?
でも、全然それが生かされてない真顔
これなら下手に設定を付けず、本人達が拾った台本で読み合わせを始めた設定にすればいいのでは??

また、今回はマチソワでキャスティングを入れ換えていて、私はソワレのみ観たのですが、それでも俳優の漢字の読み間違えやアクセント間違えがかなり多かったです。
これは本来、演出家がしっかりチェックするべきではないのか??
事前に、一応リハーサルはしているんだろうし…。

今回は「バーチャルシアター」ということで、おそらくCGの技術にかなりのリソースを割いたのだと思います。
俳優を二人ずつに分けて配置し、それをリアルタイムに合成するのはなかなか技術のいることだと思います。
チャレンジとしてはすごく価値があったと思う。
でも、それはあくまでチャレンジしただけに終わってしまったような…そんな気がしましたショボーン


演出は、小林賢太郎さんも惚れ込んでいるという村井雄さん。
是非とも一度、彼が演出した舞台を観に行ってみたいところですが、今回に関して言えば、演出家がいる必要性をほとんど感じられなかった。
映像合成の関係上、カメラに写る大きさの指定とか画角の指定とかありますよね?それを指示する人は必要だと思うけど、それは演出家じゃなくちゃできないこと?
しかも画面から俳優の腕とか顔とか普通に見切れてるし…むしろ映像監督を別につけるべきだったんじゃなかろうか。


と、まぁ。
私は不満たらたらなわけですけどドクロ


繰り返しになりますが、俳優さん達の芝居は良かったですよビックリマーク
私はここのところ安里さんが気になって仕方ないから、彼がいい感じで女優Dを演じていたという事実だけで充分観た甲斐があったとは思っていますよ!
井澤さんが思っていた以上に正統派の演技をするんだと発見しただけでさらに充分観た甲斐があったとは思っていますよ!
廣瀬さんも山田さんも良かったし、楽屋トークも思った以上のボリュームだったし。
それはそれでいいとは思ってます。

けど。


問題は。
ほぼ手を加えずに、そのままの状態の「楽屋」を、この劇場に行かれないという時代に、あえて映像合成を(出来るだけ)駆使した「リーディング」でやる意味はどこにあったのか?ということなんです。
これなら、ぶっちゃけ流行のzoom演劇の手法でいいと思うんだよな…。

だってこれ、あくまで「楽屋」の読み合わせをしているだけなんだもの。「楽屋」の読み合わせをする俳優たちの物語じゃないんだもの。

安里さんと井澤さんと廣瀬さんと山田さんが、バラバラの空間で読み合わせをする、それを配信するっていうんじゃ、どうしてダメだったのか?
今回の企画や演出は、誰もやったことがない新たな挑戦…と言って憚らないほど、緻密に企画されたものだったのか?


私は先日、劇団ノーミーツの「門外不出モラトリアム」を拝見しましたけれど、あれは私にとっては間違いなく「観たことのないもの」だったし、事前に演出家や脚本家を中心に、キャスト、スタッフが緻密に戦略を練ってきたことをひしひしと感じました。
もちろん、あの作品の好き嫌いは、人によって分かれるとは思いますけれども。
今回の作品には、ぶっちゃけ「何かやってやるんだ!」って魂が感じられなかった。
配信するのブームだし、やっとくかーくらいの感じ。


まぁ、正直なところ。
こっちも俳優みたさに観たんだし、そういう人が圧倒的に多かっただろうし。
そもそも俳優見せたさに企画したのかもしれないし、だから文句を言う筋合いはないけれど。
でも、なんだかすごくモヤモヤしました。
演劇って、なんなのかなって。

いや、まぁ、勝手にもやもやしてろって話なんですけどね真顔


いずれにしても、作る側も観る側も、なかなか今までのように劇場に行けない、という日々は、まだ続いていくわけで、その中でどうやって演劇を作っていくかって、ちゃんと考えなくちゃいけないんだろうなと思うんです。
パソコン画面を通すなら映画やドラマで良いじゃないか。
そういう人がたくさんいるのは知っているし、そう思う部分は、たしかに私にもあるけれど。
けれど、再び以前のように劇場に行かれる日を待っている間に、演劇を支えるリソースはどんどん失われていってしまうような気がするんです。
だからやっぱり、今までにない演劇の形を作ろうとする作り手たちを、私は応援したいのです。

劇場に行って、舞台の上と下で、演者と客が笑い声やさざめきでつながり合うことが、今はできない。
まさに、脱劇場の時代が思いがけずに来ています。
そんな中で、どうやって二者を繋いでいくのか…。
それを模索するのは、作り手側の責任なのかもしれない。
けれど、投げ掛けられた「成果物」である彼らの作品を真摯に見つめていくことは、私たち観る側の、作品を楽しみに待つ側の…悪く言えば物語を消費する側の、責任のような気もするのです。


そんなわけで、私はちょっとモヤっとする日曜の夜になりました。
あー、でもイケメン&イケボに癒されたってだけでも、全然後悔はしてないっす!!俳優さん達は、本当に良かったなと思いますよ!!
あ、あとトークタイムの司会をしていたお嬢さんも、お話上手で素敵でした爆笑
むしろ、この記事を読んでモヤっとした方がいたら、それは本当にごめんなさいショボーン



でもとりあえず一言言いたいのは、今夜の安里さんは、いつにも増して、とっても素敵でしたドキドキ
明日は「粛粛と」の第七話がアップされる予定だし、ちゃんと仕事頑張ってきます!!


では、皆さま。
引き続き、良い日曜の夜を照れ