皆様こんにちは。
いやー、昨晩は盛り上がりましたね!!
ちょっと興奮してしばらく眠れませんでした。笑
月曜日から連夜の祭で皆様そろそろお疲れかもしれませんが、ある意味今日が本番っす。
さぁ、20時に間に合うようにお家帰って!ご飯とお酒を用意して!!
そして今日は忘れないようにバスタオルを用意!!!

というわけで、気合十分な私、配信時間に合わせて準備万端整えるために、実は今日のブログもこの部分、日中に書いてます。笑
しかも初めてこの技を発動します…リブログ!
こんなテクニックがあったんですね!?知らなかった…!!
今まで、全部アドレス調べてリンク貼ってました…なんと。
どっちが便利なのか全然分からないのですが、今回は前の記事をリブログしておきます

あれ、でもこれ同じ記事の中には一つしかできないのか。うーん…。
ともあれ、前回はもう思いのままに、激しい慟哭のままに(笑)書き殴ってしまいましたが、今回は是非とももう少し実のあることを書けるように頑張ります。
なにしろこのお話、題名の通り、シリーズのここまでのお話をある種総括しています。
ここにきて初めて分かる、あれはこれだったのか!!のオンパレード。
なので、今回はそういう個人的「アハ体験」的な部分を中心に語りたいと思います。
(あくまで私のアハ体験なので、たいした考察をしているわけではありません。)
…あ、実現するかは分かりませんけども。
また、ただただ泣き続けるだけかも。笑
んじゃ、またあとで!!





舞台「刀剣乱舞」悲伝 結いの目の不如帰



















はい。
もはや、へし切長谷部の血露と消えたい私です。
いやぁ…盛り上がりましたね…(疲弊)
本当に、悲伝は体力がないと観切れないですよ…悲伝だしな。悲しいんだもん。
でも!!
こんなに悲しい話があるのか!!!!!!!!!
というわけで。
とにかくあんまりエモーショナルな話ばっかりしていると、私の脳内がまたもや悲伝プレイバックをはじめ、そのせいで眠れなくなってしまうので、ちょっと、ちゃんとロジカルな話をしたいと思います!!
うううううう









(マツダ早くも厳しいか…!?)
さて、しょっぱなから将軍足利義輝(中河内雅貴さん)の討ち死にという衝撃的なシーンから始まるこの作品。
あらすじを簡潔に説明することはもはや不可能なので、そこはもう本編をご覧ください、しかもシリーズ通してご覧くださいとしか言いようがありませんが…
とにもかくにも、幕開いてすぐの「永禄の変」のシーン、迫力の殺陣からはじまります。
そこで、出陣していた三日月宗近と遭遇した室町殿(足利義輝)は、彼と刀を合わせた瞬間、脳内へフラッシュバックのようにこれまでの「歴史」が流れ込んできます。
それは永禄の変で討ち果たされる自分の姿であり、そこに現れる謎の剣士たちの姿であり…。
「自分は果たして何度死んだのか…?」
そう問う室町殿。
三日月宗近はそれに…驚いた顔をします。
…ん…?

そう、私、これまでこの表情にあまり注目して来なかったのですが、三日月は明らかに驚いているのです。
つまりこれ、義輝様が「自分は何度も死んでいる(人生を繰り返している)」ことに気づくのは、どうやら三日月宗近にとっても初めての事態だったらしい。
三日月宗近は、これまで何度も何度もこの時代に出陣しているはずです。
しかも、彼自身はループを繰り返し続けています。それが刀ステの重要な鍵になってるくらいだし。
その中でも、どうやら今回の出来事ははじめてのことだったようなのです…。
考えてみれば刀ステは、いつも刀剣男士が人間に驚かされている気がします

本来なら、刀剣男士のほうが驚きの存在のはずなのに…。
いるはずのないところに、いるはずのない人がいたり。
推理だけで刀剣男士の存在に辿り着くとんでもおじさんがいたり。
人なのに刀剣男士よりも強い人がいたり。
でも、自分が歴史のループ(この世界では「円環」と呼んでいますが)の中にいることに気づいた人間は、考えてみると確かにいなかったのです。
前作ジョ伝で大活躍だった弥助も、彼は本能寺の生き残りだから刀剣男士達の存在を知っていたのであって、自分自身が何度も歴史を繰り返していることには気づいていない。
だから、義輝様は初めてだったのです。
しかも、義輝様の円環の中でも、それは初めてだったのです。
いや,マジで今まで見逃してた自分が恥ずかしいくらい分かりやすい顔してたわ鈴木さん(三日月宗近役)。
いやぁ…これまでの数々のびっくり案件も、ちょっと笑いのオブラートでごまかされて蒔いたが、全部「ここ」への布石だったんだなって思うと…本当に恐ろしいですね。
本当に

末満脚本は恐ろしい



それにしてもこの作品、見れば見るほど謎が増えていきます。
いや、そもそもぼおっと観てただ泣いているだけの私が悪いんですが。笑
例えば個人的な謎No. 1は、小烏丸の存在です。
これはね、案外結構大きなポイントになりそうなんですよ。先日SFマニアの友人とも話していたんですが、どうも小烏丸は、刀剣男士の中でも特別な存在っぽい。
この悲伝で初登場の小烏丸ですが、なにしろ彼、序盤でこんな意味深発言をしているんですよ。
「しかし主人よ…この父まで引きずり出すとは。これも運命なのか?」
え、待って?
え、え、え、待って待って??(半笑い)
これ、この時のために小烏丸様は顕現されたってこと?
そしてこうなる(悲伝本編参照)のは決まっていたということ??
…ぞくっとするわ…

謎はそれだけではありません。
思い起こせば、この悲伝のオープニング。
刀剣男士達が歌って、踊って、殺陣をして、中央でポーズを決めてタイトルコール!
というのが、いつもの基本的な流れなのですが…。
そんないつも通りのOPの終盤、今回登場する12振りの中で、小烏丸は最後に階段上センターから登場するのですが…
その小烏丸の元に、なんだか三日月含め、皆が集っているように見えるんです。
…これ、意味があるのでしょうか?
いや、たぶんあるでしょう。
そもそもそんなことは無いですけど、仮にこれがなんとなく振り付けたものだとしてですよ?
それが客観的に観て「意味があるように」見えてしまったら、絶対変更するはず。
だって、意味なく重要なイメージを付加してしまったら、のちのち面倒くさいもの。
どう考えても、小烏丸はとんでもないキーパーソン(刀だけど)であるはずです。
実際に、今回一挙配信はされませんが「維伝 朧の志士達」でも小烏丸は登場しています。
そしてやはり、意味深な働きをしているんです。
この刀が一体なんなのか、私は何度も繰り返して映像を見ては考えているのですが…
私の頭脳では全然分かりません
(分からないのかよ!)

ですが小烏丸様…。
この先、確実に大どんでん返しの要になってくれることは間違いないと思います…。怖い。
というか、小烏丸は、なにか不穏なことが起こる時に顕現される「運命」だということ?
今回のタイトルがホトトギスであることと関係している?
謎は深まるばかりです。
そもそも小烏丸様の「烏」というのは、おそらく我々が普通に目にする烏とは違うのでしょうね。
おそらく神の使いである八咫烏のイメージなのでしょう。
小烏丸様は歴史を司るような、とんでもない役割を背負っているのかもしれない。
本丸ではただの「勝手にパパ」なのに…

余談ですが、私の中で小烏丸演じる玉城裕規さんは、もう「サクセス荘」のムーさんて固定されてしまっているので(笑)、最近じゃもうどんな役やってるのを見ても、はじめは「出たな占い師!」つてなっちゃうんですが。笑
でも、玉城さんって、すごく個性的で「癖がすごいんじゃ」って部分がありつつ、すごくこう…うまいですよね…。
刀ステの小烏丸もそうですし、もちろん他のいろんな舞台で思うことですけど、特にそれを感じたのがこの3月に滑り込みで観に行った「熱海殺人事件 ザ・ロンゲストスプリング」でして。
あの時はもう、玉城さんに全部持っていかれました。あんなに泣ける金太郎は初めてだったよ…。
そういえば、オープニングの話。
最後、三日月宗近が納刀するじゃないですか?
あれ、虚伝の初演と同じなんですよね。それも何か意味があるのかな…?
実は虚伝の再演でその振りが変更になっているのを見て、私は個人的にすごく納得したんです。
だって物語の始まりに納刀するっておかしいじゃありませんか…。
でも、もしかしたらそれすらも意図的だったのかも。
しかも、虚伝で一度変更した後なのに…意図的としか思えません…。
えーん





末満さんは脚本だけじゃなくて演出でも怖いよぉぉおおおお!!!!





んんん(咳払い)
さて。
そろそろ次の話題に。
続いては〜?
もはや避けがたい、しかし触れるのが恐ろしいこの話。二人の骨喰藤四郎について、です

そう…この刀ステにおいて、キャス変には意味がある、というのはもはや常識。
つまり、今回悲伝で三津谷亮さんが演じる骨喰藤四郎は、一昨日・昨日と配信のあった外伝と如伝に出てきた北川尚弥さん演じる骨喰藤四郎とは別個体と考えざるを得ないのです。
しかも戦闘シーンを観ると、三津谷骨喰は、もしかして北川骨喰より弱い…?ような気がしません…?
いや、確実ではないし、殺陣の個性もあるかもしれないので分からないのですが、なんか助けに入られるシーンが多いような気がするんです。
しかも、なんかジョ伝までの物語が無かったことになってるみたいに過去がないことに拘ってません??
正直、悲伝は胸の痛みを堪えながら何度も何度も観だんですが、お恥ずかしながら今まで、キャス変の意義を鶴丸以外で深く考えたことがなかったんです、私。
でも、なんとなくずっと三津谷骨喰に違和感があって

いや、芝居が云々じゃないですよ!
三津谷くんは本当に情緒的な俳優さんで、彼のお芝居、私とても好きなんですよ。
なので、本当に、彼の骨喰が気に入らないとか、そういうことではなくて。
明らかに、あのジョ伝での成長がないことになっている…ということに、ものすごく違和感があるんです。
もしこれが「わざわざなされた設定」だとしたら、三津谷骨喰は顕現したばかりなのではないでしょうか…?
そうなると、ものすごく話が複雑になってくるんです。
まぁ、そのせいで骨喰のキャス変については、今まで考えないようにしてたんですけど

いや、だって。
これは本当に繰り返し書いていることで恐縮なのですが、キャス変ってすごくセンシティブな変更で、基本的に事情によりキャストを変更する場合、脚本的にはそのキャラクターの性質などは一貫していないといけないので、役者には「前の演者に似せて」あるいはあらかじめ設定したキャラクターに寄せて演技するように求められるものと思われます。
ところが敢えて変えてきている=この二振りの骨喰は別個体だとするとですよ?
これ、単純なループなんでしょうか?
だって、おかしいじゃないですか。
ついこの前まで北川骨喰がいたのに、なんらかの事情で居なくなって、代わりに三津谷骨喰が顕現したのだとしたら、他の刀達の態度が、あまりにも自然すぎやしませんか?
だって、なんらかの事情って、この刀剣乱舞の世界観ではほんのいくつかしか考えられないんですよね。
刀解したか、連結したか、折れたか。
いや、どれもトラウマ案件でしょ?





そんなの、そのうちのどれだろうと自分の周囲で起きたら、もう今までの自分ではいられんわ。
ましてや山姥切国広は「自分の本丸の刀がそうでないかくらい見れば分かる」近侍殿ですよ?(ソースはジョ伝)
となると、可能性は一つ。
刀ステで描かれている本丸は、複数ある。
いわゆるパラレルワールド的なもので、ほんのわずかな条件の違いで、存在する刀剣男士に違いが出ているのではないかという可能性。
なにしろ維伝からは放棄された世界に言及しているし、これまでも「歴史」についての見解は様々に述べられてきています。
例えば、歴史は一本の糸ではない、ということ。
この悲伝で、三日月宗近が、糸のように続いていく歴史の「結いの目」になっていると説明された時、小烏丸がさりげなく「我々はそのうちの一本に過ぎない」と言ったんです。
つまり、この世界観では、歴史は「唯一」の一本道ではない。
枝分かれもするし、並走しながら長く伸びていく糸もある。
そういうものだと考えているようです。
おお!
少しは真面目な話ができた!
なお、このパラレルワールド的な見解については、SFに詳しい友人(私は有識者と呼んでいます)に聞いておきますので、回答を得次第、改めてご連絡いたします。
さぁ!もうすでに目がシパシパしてきたので、もうあとは流しますね!!
前回書きたくて書けなかった、若手の二人の話!
大包平役の加藤将さんと、大般若長光役の川上将大さんについて

このお二人、今回の舞台では、やっぱり先輩達に囲まれて、お芝居にも殺陣にも経験の無さが目立ちますが、二人ともすごくいいなぁと思うんです。
加藤将さんは、否応もなく目を惹きつけられる特異な俳優だと思います。
とにかく元気で熱くて明るくて、なんかこう、舞台裏では先輩達に頭抱えられてそうですが(笑)もう絶対に構って助けてあげたくなってしまう人なんじゃないかなぁと想像します。
そういうのって、いい役者だと思うんです。人を引きつける力というか。明るく直向きで…そういうのが結局のところ一番愛されるのは、多分平凡な社会でも芸能界でも同じでしょうし。
一方、川上将大さんは、バックステージ映像なんか観ちゃうと、なんかとっても悩みが深そうで心配になってしまいましたが

彼も非常にいいですよね。ビジュアルや声は勿論ですけど、役柄とのシンクロ率の上がり方が半端ない気がします。
悲伝ではもちろんですが、慈伝ではマジで爆発してる気がする。お前こそが大般若長光だと思いましたよ私は。笑
川上さんは、加藤さんより人に助けてもらうのが上手じゃなさそう(※勝手なイメージです)だけど、自制的で内省的で、一人で着々と成長していきそう。でも、彼のような努力家をしっかり見てくれる先輩もいるはず

慈伝で大般若長光を見たときには、私はちょっとホロリとしてしまいましたもの。
って、母ちゃんか。
さ、どんどん行きますよ!次!鵺!
鵺!!!!!お前!!!!
泣けるんじゃー!!!!!!
鵺と呼ばれる、という変わった役ですが、演じる碓井将大さんの演技力が圧倒的すぎてびびる。
ってかこの座組、将大さん二人いたんだな…(雑談)
いや、とにかくね。
三日月と初交戦した鵺の刀が、頭の中でたくさんの物語が混線するところ。
「僕は…私は…俺は…!!」ってところ…あそこの碓井さんが上手すぎて、心底ゾッとしました…。
この鵺の刀、のちに義輝様によって「時鳥(ホトトギス)」と命名されますが、この刀、たくさんの刀で出来ているため、自我がうまく確立できなかったようで、初めの方は言葉がすごく辿々しいんですね。
幼児が喋っているような感じで、語彙も少なく、舌っ足らずな感じで喋るんです。
で、中でも「なんで?」って思うほどうまくいえないのが、「かたな」という言葉。
これを言おうとすると、か、か、かたなってなったりして、とにかく上手に発音できない。
これ、何故かと考えていたんですが…その理由に思い当たりまして。
それは、彼が「刀」と定義されていないからではないかって。
役名から言ってもそうなんです。彼は「鵺と呼ばれる」であって、「鵺と呼ばれる刀」ではない。
義輝様が、お前は俺の刀だ、と認めてくれるまで、彼は刀に込められた思念の集合体でしかなく「刀」ではなかった…だからうまく発音できなかったのかなって。
そもそもこの物語、頻繁に「刀」とはなにか、とか、刀の本分とか、そういうふうに、「刀であること」やその自覚があることが、非常に大事にされていますよね。
この本丸の刀剣男士達も、主人が「これらは自分の刀である」と認め、刀として扱っているからこそ、刀であることを自覚し、刀として戦っていられるのかもしれません。
鵺の刀は、他にも強い印象を残します。私の中で最も印象強いのは、彼のラストシーンで不動行光とへし切長谷部に投げかける言葉。
これはあまりにも胸に痛い。
「自分たちができなかったからって、それ俺にも強いるのか。」
今なら間に合うんだ、今なら守れるんだ、今なら救えるんだ…そう嘆く鵺の刀は、果たして悪なのでしょうか。
不動行光は「こいつは俺たちなんだよ!」と言いますが、その通りなのだと思います。
鵺の刀は、沢山の刀で出来ている。
きっと彼を作っているうちの、ただの一振りに過ぎない無名の刀も、主人を守るために戦い、死なせたくないと願ったんだろうな。
名はなくとも、刀として。
ううっ

さて。
彼については、他にも物議を醸す考察がありまして。
中でも私が震えたのは、彼が「幾つもの刀の気配で出来ている」ということに気づいたのは、三日月宗近と鶴丸国永、それに骨喰藤四郎だけだ、というTwitter上の呟きでした。
(なお、今日も刀ステ一挙無料配信のハッシュタグはトレンド入りしてましたね!)
そう…お気づきでしょうか。
三日月はまぁ、今回の悲伝でバレたちょっと特殊なケースというわけですが…鶴丸と骨喰…その共通点は、キャス変組だということです。
ほんとこれ意味深

マジで、この先キャス変がどう扱われ、どう収束していくのか…もう、このシリーズが完結するまでは、私は絶対に!何があっても!死ねない!!
あー、だめ。もう眠い。
いや他にも…やだまだ語りたいことはあるんです!!
今回の真剣必殺は、もういかんせん腹筋がいいよね。貴方達なんなんですかその腹筋は!プロテインですか!?
とか。
三日月宗近が言う「結びの時」ってなんなんだろう?今まではどうだったんだろう…?
とか。
まんばちゃんの近侍としての顔が良すぎる。
仲間を取り戻してくれと頼む山姥切国広の表情は、若くまだ成長途中の刀でありながら、凛として美しく、だからこそこれから先に彼にのしかかる運命を、余計に哀しく見せるのですな

とか。
義輝様!
三日月にただ俺が死ぬのを眺めてるのかだなんて!ひどいよ…!!
あんたが使わなかったから三日月は不殺の剣になってしまったんだろう!?
とか。
ラストのスローモーション、まんばちゃんは何故か布までスローモーション!!
とか。
最後の山姥切が空を見上げて笑ってる…三日月を見てまたいつぞやって言ってるのかな…尊い…
とか。
エンディング歌わない三日月宗近は円盤の方がつぶさに見えるな。
とか。
あー、カノンの音源買っちゃいそー…そしたら毎日死ぬほど泣くんだろうな…
とか!
マジで書き始めたら一週間くらいかかりそうなので、またそのうちに一人で円盤観て泣きながら書きます。笑
キャストにとっても、きっと、本当に忘れがたい作品になっただろうな。
彼らの戦いに…それは勿論、スタッフの皆様も含め。
心から感謝します。
そして心から、三日月宗近の帰還を願っています。
さ!明日(もう今日か!)は慈伝だよ!!
ほんと、祭の最後が悲伝じゃなくてよかった…今日が最後だったら、最後じゃなくて最期になるところだったわ…

では、明日こそは



ほのぼのじんわり盛り上がりましょう!
悲しい気持ちはビールで流して、また明日、慈伝一緒に笑って観ましょうね





おやすみなさーい!!