※最初に申し上げます。

 今日の内容は、いままでになく辛辣&毒舌。

 身の程知らずに言いたい放題です。

 お許し頂ける方のみ、先にお進み頂けますと幸いです。

 

 

皆さま、こんばんは。

私、本日は休暇であります。

平日に休みを取ると、暇人の粋を味わい尽くせる気がして、大好きなんですよね。

普段は滅多に出来ないことなので、この時期に爆  笑

 

それで、今日は遅く起きた午前中いっぱいを使って、先日DVDを入手した「画狂人北斎」を観ました。

演出はかの有名な宮本亜門氏。

俳優陣も、葛飾北斎役の升毅さんをはじめ実力派揃い。

私はもちろん和田雅成さんを目当てに観たわけですが…。

まぁ、ちょっと、色々と考えさせられました。

ので、今日はそのお話を。

あ、いつも通りがんがんネタバレするので、これから観るから〜という方は、是非ご覧になってからお読みください。

 

 

 

「画狂人 北斎」

※最初にも申し上げましたが…。

今日の内容は、この舞台に関していいことを言いません。

本当に、本当に、自分勝手にダメ出ししまくっています。

正確に言うと、役者については褒めてますが、脚本については非常に辛辣です汗

ですので、この舞台が大好き!めちゃくちゃ面白かった!!

という方は、ここで回れ右をしていただきますよう、心からお願いいたします。礼

 

 

 

この作品は、現代と過去を行き来しながら話が展開します。

現代の主役は、北斎専門の美術学者長谷川南斗(津村知与支さん)と、その後輩で画家の峰岸凛汰(和田雅成さん)。

(※本当は凛の字がちょっと違うんですが、こちらの表記で失礼します。)

過去の主役は言うまでもなく葛飾北斎(升毅さん)と、その娘お栄(黒谷友香さん)。

おおまかなストーリーとしては、画家として才能を持ちながら、恋人を津波で亡くした哀しみから逃れられずに絵を描けなくなった峰岸凛汰が、葛飾北斎の作品に出会い、考え、真実を描こうとする狂気的なまでに純粋な生き方に呼応していくことで、自分を取り戻していく。

という話だと思うんですけど…合ってますかね?

自信ないんです。正直に言うと、あんまりよくわからなかったんです、この話ショボーン

 

先に言っておくと、役者さんたちは皆すごく良かったです。

安定の津村さんをはじめ、ベテラン勢は実力者揃い。紅一点の黒谷友香さんは相変わらず若々しくキュートで、お栄さんは江戸っ子らしい勢いと可愛さを合わせ持った女性に仕上がっていました。

若手としては、和田雅成さんと、他に玉城裕規さんも出演なさっていて、その若々しい感じがとても魅力的です。

 

玉城さんは先日観た「改竄・熱海殺人事件」の時もそうでしたが、彼の元々のキャラクターを生かして役を生きるのが、とても上手な役者さんだなという気がします。

ちょっと舌っ足らずな喋り方を生かして風来坊のクズ男の役をやったかと思えば、その甘さを封印して、しゃんと背筋を伸ばした好青年を演じて見せる。

非常に器用で、それでいて個性が強く、振り幅の大きい俳優という感じがします。

 

和田雅成さんも、良かった。

私はこの人推しなので、見る目甘いかも知れないけど。

関西弁も封印し、表情やしぐさで見せるところも、なかなか良かった。特に、北斎の絵を見て沈み込んでしまうところや、回想シーンで恋人とふと目を合わせたときの幸せそうな表情。そしてなにより、ラストシーンでキャンバスに向かう表情なんかは、グッと来ました。

良いところがたくさんあったし、本当によくがんばってる〜と思いました。

でも、他の作品での様子に比べて、格段に窮屈そうな感じがしました。

鬱屈したものを抱えた若者の役だから、それはそれでいいのでしょうが、彼が本来持っている躍動感が押し込められているような…。

 

 

で、私は思った。

これは脚本が悪い。

 

 

ここからはあくまで、ただ趣味で演劇を色々観ている素人の感想として読んで頂きたいのですが。

この脚本、私には全然面白さが分からない。

それどころか、結局何が言いたいのかもよく分からないし、もっというと、どうしてこれで演出家なりプロデューサーなりがOK出したのか分かりません。

サイトに載っている説明しか読んでないのでよくわからないのですが、元々は朗読劇だったようなので、脚本家と原作者が違うのでしょうか。

 

おそらくこの作品のミソは、現代を生きる悩み多き人たちと、過去を生きていた人たちの苦悩や苦境が段々と融合し、何かに一途に純粋に生きることの苦しみや、そう生きることでしか得られない歓びを知っていく、というところだと思うんです。

 

でも、そもそも登場人物たちの心境の変化が、明確に見えてこない。

特に、現代の主役であり恐らくこの作品の「本当の主役」であると思われる凛汰が、最も強く脚本段階の表現不足のあおりを喰っている気がしました。

 

凛汰は三陸沖の津波で恋人(お栄を演じる黒谷さんが演じてます。しょっぱなに写真が出てくる。)を無くし、今もその哀しみの中に沈んでいます。

先輩である長谷川は(彼なりに一生懸命に)凛汰を支えようとしているのですが、なかなか上手くいかない。

そんなか、凛汰は長谷川の勧めで久しぶりに絵を描きます。

真っ黒な絵の具でキャンパスを塗りつぶしただけの絵とも言えない絵…。

それを長谷川のマンションに持っていき、彼に見せ、そして窘められ、凛汰は荒れた心の内側を彼にぶちまけて部屋を飛び出します。

そして、その絵を踏みつけ、蹴りつけている時、かつての恋人にそっくりなお栄さんとエンカウントするのです。

満点の星空のした、邂逅する二人。凛汰は少し驚いた顔をしますが、お栄さんはもちろん涼しい顔です。

とても美しく幻想的な場面になっていて、ちょっとほろっと…しなくもなかったんですけど。

心の汚い私は「ん?待てよ??」ってなったわけです。

 

どこで時空歪んだ?

 

そこまでは、過去と現在を行ったり来たりしながら、どちらのシーンもとっても現実的に進行していたんです。

それが突然の時空を超えたエンカウント。

え、え、こういう話だっけ…?

 

いや例えば、凛汰が葛飾北斎の生まれ変わりっていわれているくらい圧倒的に絵がうまいとか、なにか彼らの人生に共通する符号があるとか…そういうきっかけがあれば納得いきますよ。

でも、そういう「匂わせる」きっかけも一切なしに、凛汰とお栄は出逢うんです。

で、しかも凛汰はあっさりと、こんなに似てるのに、「生きてたのか…」とか、「なんでここにいるんだ…」とか言うこともないんですよ。

普通、失った恋人と同じ顔形の人がいたら、何か反応しません??

 

ヘン!この反応ヘン!!

 

というわけで、このシーン、たぶんかなり重要な位置づけのはずなんですけど、その分すごい違和感大きくて。

私はもう、それっきり、そこから後ろの「融合」シーンが、全然頭に入ってこなくなっちゃったショボーン

 

で、しかも。どうやら凛汰はそこで何らかのカタルシスを得たらしく、そこから妙に素直に前向きになるんです。

そして最終的には長谷川先輩に「僕は三陸に帰ります。」「自分のために絵を描きたい。」と突然前向きになり、開放され切った笑顔を浮かべて去っていく。

 

 

…しっくり来ない…!

 

 

私は思いましたよ。凛汰、お前の悩みはそんなものだったのか、お前の痛みはそんなものだったのか…!不思議エンカウント一つで悩みを振り切り、そんなに明るい顔をできてしまうのか!?

しっくり来ない!

そしてね、長谷川先輩もしっくり来ないんですよ!

この人も悩み多き人なんですけど、とっても真当なんですよ。

両親に期待されていた道は歩めなかったけれど、その分自分自身の力で、意思で、真当に生き、学者になった人なんですよ。

本人も言っている通り、学者なんて掃いて捨てるほどいるから、その中で生き抜いていくためには、斬新な発見と強烈な主張が必要なんですよ。

だからこそ彼は、ちょっとこじつけとも思えるような学説を立て、それを懸命に貫いているわけです。多分、どこか自分の中に違和感を感じながら。

ところが、それを凛汰に指摘される。指摘というほどではないんだけど、痛いところを突かれる訳です。情熱とか、感情とか、そういうことを抜きに絵画を語れるのか、と。

でね、これがとてもリアルなところだと思うんですけど、長谷川先輩は絶対に折れないんですよ。

俺の理論が違っているなら、違和感があるって言うなら、それをちゃんと言語化しろ

、それができないなら黙ってろ!とこう言うんですね。

学者が言いそう!

ってか、全く同じような反応観たことある!!


私、大興奮。


ところが先輩、最後の最後であっさり折れるんですよ。凛汰が去った後、学会発表の場で。

いつも通りに「北斎の絵は計算でできている」という理論を主張して…最後まで言いきる前に自説を曲げる。

曲げて…ちょっと何が言いたいのか分からない感傷的なことを言う。


「これは…北斎の目です…。」


分かる、分かるよ。分かる。絆されちゃったんだよね。

才能ある画家の凛汰、才能がなかった自分。

自分のために絵を描こうと決意した凛汰と、それができない自分。

ああ、俺の目は間違っている。俺の考えは違っている。

それをようやく認めることができたんだね…良かったね…。

 

でも。

 

でもさ。

 

 

 

 

なぜそのセリフなのか

 

 

 

もうちょっと、もうちょっと何か無かったんだろうか!?心を揺さぶるような言葉が!!

彼の「計算された絵画」という説の全く逆を行く感情的で情熱的な指摘…もうちょっとあったんじゃないか??

しかも先輩、ちょっとポジティブ凛汰に影響されすぎじゃない?

そんな簡単に方向転換できるのに、なんで今まであんな強烈な持論を盾にして、父権的に凛汰に接してたの???

 

 

分からん!

 

 


いやいやいや、他にも!他にもあるんですよ!

鴻山なぜそんなにあっさりと北斎の帰江を許すのか案件とか。

北斎が奥義に目覚める瞬間が案外あっさりくる案件とか。

長谷川の名前が「南斗」なのに、今作の最も大きなモチーフである北極星と何のつながりが見いだせない案件…などなど。

そして極め付けは心理描写の少なさ。全体的に、ころっと気持ちが変わっちゃう(ように見える)シーンが多くて、全体としての深みに欠けるように感じてしまう。

ところどころに照明や音響、映像によるエモーショナルなシーンが挿入されていて、それが登場人物の心理を表すものだというのは理解できるのですが、イマイチ効果的とは思えない。

あまりにも、言葉足らずに感じてしまう。

 

それで。

じゃあどうすればいいのかと言われれば、もちろん素人の私が口を出す話じゃないと思うんですけどね。でも、まずはお栄さんと凛汰の恋人を同じ女優が演じるのは止めたほうがいい。

だって、二人の共通点ないもん。

もし「画家を支える女」というところを共通点と観ているなら、あまりにも浅はかだと思います。

だって「支える」方向性があまりにも違うし。そもそもお栄さんの描かれ方に対して、凛汰の恋人はあまりにもおざなりにされている。どうして敢えて実体を登場させたのかが不明なレベル。

あの程度なら、凛汰の一人語りやひとり芝居のほうがよかったのでは?

 

そして、津波を絡めるのも止めたほうがいい。

エピソードに必然性がなく、話題作りのために無理矢理入れ込んだのではないかと邪推してしまいます。

そもそも凛汰が南三陸の津波で恋人を失ったということは、何かの伏線になっていたのでしょうか。

せいぜい、「波」繋がり…それも、最初に提示した北斎の「富嶽三十六景神奈川沖浪裏」が波の絵だってところだけじゃないのか…まぁ、ちょっと穿った観方をしている自覚はありますが、少なくとも初見で何となく観ていたら、津波を扱う必然性は感じられませんでした。

非常に個人的なことですが。

こういうデリケートな話題を軽々にストーリーに絡めようとするのは、私は好きじゃないな。絶対にそうしたい理由があって、それを重要なエッセンスとして扱う意思が意味がないし、それを描ききれる技能がなければ、無駄に痛みを与えるだけ。

 

ともかく。

 

なんだか、全体に、脚本の不完全さが目立つ話でした。

そして、その不完全さが役者の自由な羽ばたきを阻害していたような気さえします。

和田さんは以前、この作品は非常に苦労したという話をなさっていましたが…それは彼の若さや経験の少なさによるものというよりは、脚本のせいじゃないかと思います。

正直、和田さんだけではありません。

演技力については絶大な信頼感のある津村さんも、なんだかちょっと精彩を欠いていたような気がしますし、玉城さんも持ち味を生かしきれていなかった気がします。

それは俳優の力云々ではなく、その前段階に原因があったからでは?

ここまで言うと、ちょっと辛辣が過ぎるでしょうか?

しかし、この作品については、私はかなりがっかりしました。

 

まぁ、これはあくまでただの観客の一人に過ぎない、それも生の舞台は観ていない人間の感想に過ぎません。

だから、気にすることはありません、が。

なんだか、実力のある(ことがわかっている)俳優さんがそれほど魅力的に見えない作品を観ると、本当に残念に思います。

今回の作品も、シーンごとに短いスパンで見れば、良かったところもたくさんあるし、俳優の表情やしぐさが素敵だと思うところはたくさんありました。

だからこそ、前提になる段階がイマイチと感じると淋しい。

…なんだかなショボーン

 

そんなわけで、ちょっと今日は、あまりにも辛辣になってしまいましたが…でも、このDVDを見直すことは、多分無いと思う。

それくらい、私にはイマイチな作品でした。

勝手に期待していた分、勝手にがっかり。

いやな気持ちになってしまった方がいたら、本当にごめんなさいショボーン

 

明日は他の作品を見直して、素敵なところをたくさん探したいな。

もう一回「ハリトビ」を観るか…たまには映画でもいいかな〜。

舞台全体が生き生きした、そういう作品を観たいなと思います!