ご無沙汰しております。
折角の大型連休だというのに、外出自粛&在宅勤務の連続により、休日だという感じがあまりしません…
いつもならここぞとばかりに録りためていたドラマを観たり、舞台のDVDを観まくったりするのですが、なんだか何もする気が起きなくて、ここ数日だらだらと過ごしていました。
次の休みには、また舞台のDVDを観まくることにして(新しいのも仕入れたんです、それも2万円分以上!笑)、今回はつらつらと読んでいた本の感想でも
以前、こちらのブログでもお話したのですが、私は細々と朗読を習っておりまして、時々朗読コンクールに出たりもします。
コンクールとか、コンテストというのは、課題となる作品と抜粋箇所があらかじめ知らされていて、参加者は自分なりに工夫をこらして、表現の組み立てを考えるわけです。
課題は、多くは版権が切れた文学作品です。読むとおおよそ3分程度の抜粋ですから、あらかじめ作品を全部読んでおかないと、前後の関係がわかりません。
私は朗読コンクールに挑戦し始めて約1年半?2年くらい?になりますが、おかげで信じられないほどたくさんの文学作品を読むことになりました。
朗読を始めていなかったら、絶対に読まなかったであろう作品もたくさんあります。
今回新たに出逢ったのも、そんな可能性が高い作品のひとつです。
ところで皆さまは、太宰治の作品は好きですか。
私はお恥ずかしながら、ちゃんと読んだことがあるのは「走れメロス」とその他いくつかの短編(しかも全く内容を覚えていない)のみ。
あと話を知っているのは、朗読会で聞いたことがある「お伽草子より『カチカチ山』」と、教科書で抜粋されていた「富嶽百景」。
その程度なもので…彼の傑作と言われる「斜陽」とか「人間失格」とか「津軽」とか、そのほとんどのものは、文学史の小テスト前に必死に題名だけをおぼえたものばかり…。
私の中での太宰治のイメージは、ねちねち、めそめそ、うじうじ…要するに、あんまり良いイメージじゃないのです。すまんな太宰治。
自然、あまり読んでみようと思う機会もなく、今に至ってしまったわけです。
ところが今回某コンクールの課題を確認したところ、4つのうち2つが太宰治の作品だったのです。
え、世の中の人達ってそんなに太宰治が好きなの!?と私はいまいち腑に落ちない気持ちでいたのですが、これを期に挑戦してみることにしました。時間はたくさんあるしね〜。
一つは「ヴィヨンの妻」、もう一つは彼の代表作である「人間失格」。
で、先に短編の「ヴィヨンの妻」を読みました。
感想は、最悪。
なんなのこいつ?
私はキレた
太宰治にマジギレした
お前最低だなと声に出して罵りましたよ、誰もいない家でね。さみしい。
まぁ、私には分かりかねる素晴らしい点があるんでしょうけども。
でもねぇ!
ぼかぁねぇ!ああいう都合のいい女を創り出すような男はねぇ!嫌いですよ!!(水曜どうでしょう風に)
ところが!
「人間失格」のほうは違いました。
いや、やっぱりねちねち、めそめそ、うじうじはしているんですが。
すごく面白かったです。ものすごく興味深かった。
こんなにも自分のなかの違和感や劣等感や卑屈さ、失望や葛藤なんかを、切々と言語化できる人は他にいないだろうと感じました。
なるほど、太宰治とはこれだったのか…と、すごく納得しました。ごめんね太宰治、「走れメロス」で君を知ることを諦めてごめん。やっぱり名作を読まずしてイメージを固めてしまってはいけなかったよね。反省しました、マジで。
さて、この作品。
多分、中高生くらいの時にこれを読んだら、かなり多くの人が「これは自分の物語だ」と思うのではないかな。それが一番の感想です。
いい年になってきた今でも、作中の言葉には非常に抉られるものがあります。そしてその度に思うのは、
「ああ…私だけじゃなかったんだ…」
ということ。
当たり前なんだけど、この世界で自分一人だけが感じる何かなんてあるはずないんだけど…でも、心の内側に抱えているもやもやって、上手く言葉にできない分、人と共有しずらいじゃないですか。
それを、太宰治がものすごく的確な言葉で表現してくるものだから、ここに自分の気持ちをこんなにも分かってくれる人がいる…と感じるんですね、多分。
親和性の高い人や若い人たちの中には「これは自分だ」と思う人も多くいることでしょう。
太宰治は、ある意味で思春期にある少年少女たちの旗手なのかもしれません。
というわけで、「人間失格」はとても良かった。気に入りました。
勝手に避けていた太宰治に心からおわびを申し上げ、そのうちに「斜陽」も読もうと心に決めました。
あとはなんだろう「晩年」「グッド・バイ」?このあたりは必須なのかな。
さて。
タイトルに書きました、もう一人の文豪、坂口安吾。
なぜこの二人を並べたかというと、「人間失格」を読んだ後に、安居の「不良少年とキリスト」という随筆を読んで、とっても胸が熱くなったからです
坂口安吾も言わずと知れた大文豪。無頼派なんて呼ばれて、無骨で粗っぽいイメージですが、かの有名な「桜の森の満開の下」のような驚くほど美しく繊細な作品も書いています。
自信満々に「好き!」と言えるほど精通している訳では無いのですが、私は坂口安吾の作品が結構好き。
寓話風の作品もいいですが、がつっとした語り口の歴史物もなかなかいいです。「二流の人」とか、かなり好きなやつ。
で、最近では安吾の随筆も読んでみたいなぁと思い立ち、これまたかの有名な「堕落論」を読んでいたんです。角川文庫版のやつを。
そうしたところ、その本の最後に「不良少年とキリスト」が収録されていまして。
これはいいと思って、「人間失格」を読んだ直後に、そっちも読んだという訳なのでした
そして私は思った。
文豪同士の友情、美しすぎじゃね?
と。
太宰治と坂口安吾、それから壇一雄が良くつるんでいる仲良しだったというのは、以前読んだ、進士素丸著「文豪どうかしてる逸話集」で紹介されていたので知っていたのですが(というか、この本めちゃくちゃ面白かったので読んでください!)、実際に坂口安吾が太宰治を語っているのを読むと、なんだかジンとするんですよね。
いや、全然褒めてないんですよ。
あいつは自分にとっては良いヤツだが、面倒くさいし変わってるから、付き合いたくないヤツの気持ちも俺はよく分かる、とか。
ちゃんと書けば最高のものを書けるのに、おおよそ「フツカヨイ的なもの」が若者の支持を得ちゃったもんで、それに嬉しくなって縋りついちゃってサービスなんぞするもんだから、ろくでもない作品を量産することになったわけだ、とか。
でも、最初から最後まで彼が書いていることは「お前なんで死んだんだ」っていうこと…のような気がしたんです。
死ぬなんて間違いだ。
惚れたから死ぬなんてとんでもないことだ。
ずーっと、要するにそれだけを言っていて…。
本当に素直じゃないんだけど、安吾がどれほど太宰治を愛していたかが、とてもよく分かるんです。
おまえさん、太宰治が好きだったんだね。
なんか、読んでいたら切なくなってしまって、随筆なのに泣いてしまった次第
太宰が死んだことにコメントもせず、葬儀にも行かなかったという坂口安吾ですが、背中で泣いて、内心はこんなことを思っていたんだなぁと思うと、非常にしんみりしてしまったのでありました。
自殺した友を間違っているといい、馬鹿者だと罵る。
そういう友情も、美しいもんですね。
そんなわけで、今は「堕落論」の残りを読み進めています。坂口安吾の随筆は、これまた本当に面白い。大好きです。
太宰治の作品ももっと読んでみたくなったし、読みたいものがどんどん増えて大変だ!
課題にまつわる本を通して、世界が段々広がっていく。
ふと思い立って始めた朗読ですけれど、こういう新たな出会いをプロデュースしてくれたことに、本当に感謝しないといけないなと思います。
文化的なものは、私に力を与えてくれる。
皆さまにとってもそうでありますように。
さて、明後日からはまた新しい日常が始まるし、優しい気持ちをチャージするために、今夜はもう一度「ハリトビ」でも観ようかな〜