その男を知っているか…

というセリフで始まるこの作品。
衝撃的です。むしろそのセリフをそのままもらって、聞きたい。

この作品を知っているか。




舞台「刀剣乱舞」悲伝 結いの目の不如帰


あまりにも辛い作品です。
初めて観たときには、本当に、騙されたと思ったくらいです。
観るだけでエネルギーを使う。
題名の通り、下手したら「もう二度と観たくない」と思うほど悲しくて、どうしようもない。
でも、これこそが、今まで虚伝・義伝、ジョ伝(および外伝)と繋げてきた物語の結いの目です。
結びのお話。
まさに、起承転結の結です。


改めて話の内容をおさらいするのも辛すぎるので、今回は本当に、ただただ私の個人的な感想と考察を垂れ流しにさせてください。もう、改めて観て涙も枯れるほど泣きまくってしまったので、すでにエネルギーが枯渇しております…(´・ω・`)

この作品はとにかく何もかもが見どころですが、これほど辛い話なのに、それでも何度も何度も観てしまうのは、やはりこの話に込められた「答え」と「新たな謎」のせいだと思います。
たとえば、答えというのは、すなわち三日月宗近が虚伝の時に発した「大きな試練」とか、「俺がいなくなっても安心だ」とか、そういう思わせぶりな言葉の真意が、ここにあるということです。
実際、作り手の意図がどこにあるかは、観ている側には分からないわけですが、勝手な想像をするならば、この刀ステで描かれている三日月宗近は、本当に何度も何度も、この時間を繰り返しているのだろうと思います。
この「悲伝 結いの目の不如帰」本編映像だけを観ているとピンとこなかったんですけど、先日悲伝の「蔵出し映像集」というのがリリースされましてですね。いわゆるバックステージ映像集みたいなやつなんですが。そこに、明治座特別公演の映像が入ってるんですよね。
明治座特別公演、全景映像は元々リリースされたDVDのディスク2に収録されてたんですけど、私、実はそれちゃんと見てなくて。
全景映像って、どうしても個々の表情が見えないので、根気よく全編観られないんです、私。
それで、オープニングとエンディングとか、出てくる人数がべらぼうに多いところだけ抜き見してたんです。だから気づかなかったんですが。
蔵出し映像集で、初めて明治座特別公演を通しで見て、初めて気づきました。

ラストシーンが、違うんですね。

本当に、まるっきり違うんですよ。こんなに違ったら違う話じゃないかと思うくらい、決定的に違って。
それで初めて分かったんです。
この悲伝の中だけで、彼らは何度も何度も、この結びの時を繰り返しているんだと。
だからこその、あの大千秋楽の、三日月宗近の表情なんですね。自分の一刀を受け止めて、反撃してきた、そのことに、彼は本当に驚いていたんです。
初めて観たときには、全然わかりませんでした。まさかそんな、同じ公演の中で大変「意図的」な演出上の変化を起こしているなんて、想像もできなかったから。

凄すぎませんか。
役者の芝居が上手くなるとか、こなれてくるとか、演出や効果をちょっと微調整するとか、そういうレベルではない。
公演中に話を変えてるんです。それも、ストーリーを進める上での、重要な要素として、脚本を変えてくる。

改めて映像で確認しなければ、あるいは特別講演か東京公演のどちらかしか観ていなければ、悲伝そのものが、その中にいくつものループを内包しているなんて考えもつかないはずです。



くう…!!
まさに稀代の天才演出家兼脚本家…末満健一恐るべし…!!



明治座特別公演では、最後のシーンで三日月が勝ちます。ところが、千秋楽公演だと山姥切が競り勝つ。「次は俺が勝つ」といった言葉が、実現しているのです。


明治座公演で描かれた段階の時から、三日月は信じていたのでしょう。山姥切国広なら、いつか自分のこの異常な強さを超えて、もっと強くなり、そしてもっともっと強くたくましくなった仲間たちを率いて、地獄のようなループを断ち切ってくれると。
それが千秋楽公演では実現している。
相変わらず結いの目は固く結ばれ、三日月宗近は本丸から消えてしまうけれど、それでも確実に変わっている。少しずつ、少しずつ。
それが分かったから、三日月はあれほど驚いた顔をしたのでしょう。
そしてそれを知らないからこそ、三日月宗近に競り勝った「いくつか後の円環の果て」の山姥切国広は、あれほど深く、慟哭したのでしょう。
そう思うと、冷静に観られない、三日月宗近と山姥切国広との最後の一騎打ち。

明治座のラストシーンは、後から観てみると、わりとあっさりしています。いわば、行き着く場所に行き着いた、とでも言うかのような。それは、山姥切国広も、三日月宗近も、同じように。
悲しいけれど、諦めるしかないと言うような、そんなシーンなのです。そして山姥切国広は最後に言います。
「その時は、俺が勝ってみせる」
その言葉に、三日月宗近は
「ああ、約束だ。」
と笑って、消えていきます。

さて。
大千秋楽公演の二人の立ち会いは、本当に、本当に、涙なしでは見ることができません。子どものように泣き叫ぶ山姥切の声には、これ以上ないと思うような、言葉にできない痛切な想いが溢れています。
一太刀一太刀に、苦しみが見える。いやだ、行かないでくれ、ここににいてくれ。そんな思いで撃ち込んでいるのが、手に取るように分かる。
そしてその思いが、もしかしたら繰り返されてきた「歴史」の流れを変えたのかもしれない。
明治座公演と、基本ほとんど変わらない殺陣。ところが途中に一箇所、そして最後に、素人でも分かる、大きな違いがある。
そこで、三日月宗近は大きく目を見開き、信じられない…という顔をするのです。
最後に刀を取り落としたのは三日月。勝ちをとったのは山姥切国広でした。もっとも、まだ彼らに時間が残されていて、刀を拾い上げた三日月が、あと一手二手撃ち込んでいたら、分からなかったけれど。
でも、山姥切国広が勝った。
明治座特別公演の時と同様、サヨナラを言う代わりに「また刀を合わせたいものだ」と笑った三日月宗近に、山姥切国広は泣きながらこう言います。
「その時には、今より強くなった俺が相手になってやる!」


「ああ…楽しみにしているぞ」




私は泣いた。


いや、本当に。
今日改めて悲伝の千秋楽映像を観ながら号泣致しましたよ。

だって、三日月言ってたんです、何故燭台切を斬ったのかと聞かれた時に。約束がある、山姥切国広と、過去と未来で交わした約束がって。
それって、あの時「ああ、約束だ」って言ったそのことでしょう?何度でも、円環の果てで、こうやって刀を合わせようって、そう約束したことでしょう?
なのに、千秋楽公演では約束だって言わなかったんです。
これは、果たされたって、ことでしょう?
無間地獄みたいに続くと思われた円環が、少しずつ、少しずつ変わって、ついに永遠に三日月宗近が勝つはずだったところで、山姥切国広が勝ったってことでしょう…?


もう、終われるかもしれないって、ことでしょう…?





この作品は、ここまで続いてきた刀ステの、ある意味一つの区切りになっている作品です。
これまでの作品に散りばめられてきた様々な伏線が回収され、それは真面目なのもギャグも含めて、非常にボリュームのある作品なんです。
そして、この後に続く作品の起点にもなっています。
すなわち、この作品がシリーズの中でも「結いの目」になっていると言うことなんです。
全くオリジナルのキャラクターで、かつ刀剣男士の特徴を備えた者が出てきたり、本丸に時間遡行軍が直接攻撃を仕掛けてきたりと、とんでも無く予想外だった設定がゴリゴリに盛り込まれています。
だからこそ、今まさに進行中のこのシリーズのお話の謎を考えるには、どうしてもこの作品は避けて通れない。だから何度も何度も繰り返しみる。


結果、めちゃくちゃメンタル削られます。苦笑


私は、今日多分通算10回目くらいにこの映像見ているんですが、いや、実際もっと観てるかもしれないんですが、それでも相変わらずメンタルを削られます。
途中途中に重いシーンがこれでもかー!!!というくらいあって、その度に、これはきっと語ろう、ブログにも書こうって思うのに、結局いつも最後の一騎打ちシーンに、全部持っていかれる。
それくらい、あのラストシーンは何度観てもキツい。
観てるこっちがこれだけ辛いのだから、演じる方にとってはどれほどだったか…。考えるだけで、もうヘロヘロになります。苦笑

でも、冗談抜きで。
鈴木拡樹さんと荒牧慶彦さんと、立ち会い人となった小烏丸役玉城裕規さんも、多い時はマチソワでやってたんでしょ…??
どんだけすごいの…常人の100倍くらいの濃さで生きてるわ…。エネルギー消費半端ないわ…。
尊敬する以外のことができないです。自分なら、こんな重い役どころ演じたら、一回につき一週間くらい哀しみ引きずりそうですもの。

役者って、すごいね。




いや、本当はもっと、この10倍くらい、いろんなことを書きたかったのですが、残念ながら明日は普通に出勤日なので、そろそろシャワー浴びて寝ないと。
おはぎに渋い顔する長谷部とか、小烏丸様の役所の不自然さ(謎が多いという意味で)とか、加藤将ってすごくいい役者だと思うなぁ、とか。
そういうことも、また改めてたくさん書きたいと思います。
が。今日はこの辺で。

明日も私と同様、出勤を余儀なくされている方々、もしおいででしたら。
一緒に頑張りましょう!!

では、いつもどおりの締めですが。
舞台「刀剣乱舞」、是非観てください!!!