緊急事態宣言がなされたこの夜。
立て続けに舞台の延期や中止か発表され…もちろん延期であればいつかまた観ることができるのですけれど。中止の知らせは、素人ながらにも、聞くたびに身を切られるように辛いものです。
私の職場はアナログを極めた現場なので、これからも変わらず続いていくのでしょうが、とりあえずしばらくは、若者たちの声のない、寂しい日々になりそうです。

そんなわけで、普段は自宅に帰り着くのも21時頃になるのがデフォルトだったわけなのですが、この2ヶ月ほどは19時前帰着というのが普通になりました。
はじめの数日は嬉しかったけど、こうも続くと飽きるというか、切なくなるというか、晩酌のネタが尽きるというか…。


というわけで。

今夜から数日間連続で、勝手な企画をすることにしました。
題して「刀ステナイト」!!

つまりは、間も無くブルーレイ&DVDが発売となる舞台「刀剣乱舞」の最新作「維伝・朧の志士達」へと繋がる全ての作品を、一夜一作ずつ観ていこうという、勝手な連続企画であります!
どの作品についてもめちゃくちゃネタバレするので、これから観るから〜!という方は是非回れ右をお願い申し上げ奉り候。



さて、このシリーズは、三日月宗近役鈴木拡樹さんを座長としてスタートしています。
ゲームが原作になっているこの作品、実際には「この一振りが主役!」というのはありません。
それぞれの審神者(プレーヤー)にとっての、その瞬間の「この一振り」が主役、とも言えるわけですが、舞台「刀剣乱舞」では、さしあたって天下五剣の一振りである、優美を極めた名刀「三日月宗近」が主役に据えられています。
もう一振り、主役と言って差し支えないのが、ボロ布を纏ったひねくれ者の若く美しい刀。荒牧慶彦さん演じる「山姥切国広」です。
全作を通して、今も物語は進行中。伏線だらけの複雑なストーリー構成が何より魅力の作品ですが、それだけじゃない。
とにかく役者のビジュアルクオリティ、高すぎる。殺陣の難易度、高すぎる。照明や音響、舞台美術などの効果、高すぎる。
最早これまで積み重ねられてきた、いわゆる2.5次元作品の粋を集めたと言っていいほどの、すごい作品なのです!(いや、本当に!)

これまでに発表された作品は以下の通り。
虚伝・燃ゆる本能寺(初演・再演)
義伝・暁の独眼竜
外伝・此の夜らの小田原
ジョ伝・三つら星刀語り
悲伝・結いの目の不如帰
維伝・朧の志士達


というわけで今夜は、末満健一演出・脚本の伝説的作品「舞台刀剣乱舞」…その記念すべき初公演作品「虚伝・燃ゆる本能寺」初演、を、観た!!



舞台「刀剣乱舞」 虚伝 燃ゆる本能寺



舞台は、とある本丸。
新しく織田家ゆかりの短刀不動行光が顕現し、それまで近侍(本丸の主人である審神者を補佐する刀剣であり、第一部隊の隊長)であった三日月宗近が、その任を山姥切国広に引き継ぐところから始まります。
まぁ、あらすじを描き始めると止まらないので詳細は是非とも観ていただくことにして。

このお話、基本的に織田信長とその家臣達にゆかりのある刀達がメインになって進行していくのですが、まずキャストが豪華なんです。
今川義元の元から奪われて織田信長の手元に移り、その証として刻印を入れられたことで、炎で焼かれた刀身になりながらも次々と天下人の手を渡り歩くことになった宗三左文字に佐々木喜英さん。
厭世感丸出しのアンニュイ刀なんですけど、佐々木さんの宗三ったら、立ってるだけでアンニュイ。すごく気怠げ。色っぽい。なんかよく分からないけどとても人妻感がある。
そして、信長切腹の際に使われ、その後本能寺と信長の遺体とともに焼けて現存しないとされている薬研藤四郎に北村諒さん。
当時25歳ですごい短い半ズボン(というか短パン)はかされてもビジュアル的に大丈夫な人は、世の中にそうそういないぞ、たぶん。
さらに、織田信長に「不本意ながら」銘を受けたにも関わらず「直臣でもない奴に下げ渡」されたことを今でも屈託しているへし切り長谷部役に和田雅成さん。
私はまず顔が好みなわけですが、体つきもすごく美しい。最近の細長系の俳優さんの中ではかなりガツっとした体つきなのではないかと思われる。後半に真剣必殺する時は、もう瞬きすらできない。思わずガン見してしまう。おまわりさん私です。
最後に、この作品のキーパーソン。
信長が心底愛した小姓森蘭丸の愛刀である不動行光に椎名鯛造さん。
コロコロとよく変わる表情と、凄まじい演技力。いや、演技力というか…もう憑依してる。特に最後のシーン、不動が泣きながら短刀を振りかざすシーンでの芝居は、もう何度見ても泣いてしまう。ううう、思い出しただけで泣けてくるぜ。

他にも錚々たるメンバーが参加しているわけですが、この人たちの一番すごいところは、なにより身体能力です。
いや、芝居もしっかり出来る、顔もスタイルも素晴らしい、もちろん全員びっくりするほど美形ですよ?フィギュアかよ??って思いますよ。
でも、顔じゃないんだ。顔なんて二の次だよってくらい、とにかく動く動く。信じられないくらい動く。
普段のシーンの身のこなしも綺麗だけど、とにかく殺陣がすごいんですよ。
刀剣乱舞って、出てくるのは「登場人物」じゃなくて刀なんです。たぶん、そこがものすごく特殊なところだと思うんですが、人間ではなく、刀の付喪神が人の身を得て顕現したもの、という設定なんです。
だから殺陣のシーンも、人が刀を扱っているのではなく、刀の付喪神が自分自身である刀で戦っている、という特殊性があるんですね。これがなかなか難しいと思うんですけど。
それをこの演者達は見事に表現している。

特に秀逸なのは、やはり座長の鈴木拡樹さんでしょうか。
まるで舞うような、役者であれば「これじゃあ本当には斬れないよな」と躊躇しそうなところを、ばっさりと舞のまま表現している。それでいて、観ている側にはきちんと「斬れている」。
これが表現の見事さだなと思うわけです。
時代劇をはじめとして、日本には殺陣を見所とするエンターテインメントがたくさんあるし、いままでもたくさん作られてきたわけですが、こういう設定の作品って、たぶん初めてだと思うんですよね。
そうすると、たぶん殺陣師の方も大変でしょうね。だって、短刀と脇差と打刀と太刀とでは、まず扱い方が全然違うでしょう、操作性が。しかも、刀剣乱舞に出てくる刀達は付喪神だから、彼らを道具として扱った人々の生き様や死に様、それらに懸けた想いやなにかが、全部刀剣男士達を構成する要素になっているわけです。
この刀はどんな動きをするだろうって、たぶん考えているんですよね。
例えば、前の主人の人生から、復讐に懸ける想いを色濃く受け取った担当の付喪神小夜左文字は、くるくると小回りのきくアクロバットな動きに加えて、沈鬱な表情と、体つきの割に深い悲しみを宿した声、そして刀身の大きさの割には重たい斬撃を放ちます。
明らかに、そのキャラクターの特性を考え抜いた動きは、そういう視点で見始めると、何回見ても新しい発見ができる。は!と思ってまた見ちゃう。その繰り返しであります。そう、これが沼というもの。

ちなみに私は和田雅成さんの熱烈なファンなので、もちろん自分の本丸の近侍も長谷部、お部屋に飾ってるヌーストも長谷部、推し貯金の貢ぎ先も長谷部、パンフの折り跡がついてるページも長谷部、という、もはや病気とも言えそうな長谷部モンペですが、刀ステでの殺陣の動きは圧倒的に薬研が好きです。ごめんね長谷部。



閑話休題。



片っ端から語っていると埒があかないので、まずは一番の見どころと思うところだけは存分に語りたい。色々すっ飛ばすがお許しあれ。
このお話、「燃ゆる本能寺」というだけあって、物語に登場する「人物」は、基本的に明智光秀と森蘭丸のみです。それぞれ窪寺昭さんと丸目聖人さんが演じているのですが、このお二人が凄くいい。
実際、シリーズとしては刀剣男士達を中心にお話が進んでいくし、歴史上の人物は、あくまでそのエピソードの材料となった時代を象徴する存在としてしか存在し得ないのですが…本当のところ、演劇的に一番重要な役割を担っているのは彼らなんじゃないかなと、こうして見返してみると、そう思ったりするわけです。
私たちは、よほど興味がない限り、歴史の教科書や大河ドラマで描かれる歴史しか知りません。そうしてそれは、特に大河ドラマは最近変わってきたように思いますけれど、大概は有名な、誰もが知っている歴史通りの姿をしている気がするのです。例えば、明智光秀は裏切り者で三日天下で落武者狩りに遭って死んだ、みたいな。
でも、実際には、彼らにはそれぞれの人生があって、数十年間積み重ねてきた一日一日が、あるいは一秒一秒があったはずで。
刀ステは、さりげなくそういうところに踏み込んでいるような感じがするのです。歴史の、自分の知らない一秒を覗いているような、そんな気持ちになります。
例えばお話の中程。森蘭丸が主人から不動行光を下げ渡してもらったと喜んでいるシーン。
天真爛漫な蘭丸の、心底嬉しがっている様子が伝わってきて、大変可憐で可愛く、なるほどこれはかの大魔王でも、ついつい甘やかしちゃうよな、なんて思う。そしてその一方で、明智光秀は落ち込んで、嫉妬すらしているのです。もちろん、歳若い蘭丸相手には年長者らしくきちんと隠しているし、礼儀正しく振る舞っている。蘭丸も光秀の屈託には気付いていないのですが、それでも観客にはちゃんとわかる。ああ、光秀が謀反を決意したのは今だな。と思う。

こういうところが、本当に見事だなと思うのです。
だって、生きている時代が違っても、私たちも同じ人間じゃないの。だからこそ、自分もとこか、光秀であると思うに違いないのです。
愛されたいのに愛されない。その葛藤が、手に取るように見えてくる。
けれど、同時に蘭丸でありたいとも思っている。そうでなくてはならないとも思う。誠実で天真爛漫で愛される存在でありたいと願ってしまう。
だから、舞台の上に描かれる虚構を観ながら、心がかき乱されてしまう。それを現実に引き摺り込んでしまう。
私なんか特にもう年齢も年齢だから、やっぱりピチピチの今が盛りの可愛い少年よりは、歳をとって失速していく草臥れたおっちゃんに思い入れちゃうわけですよ。
だから窪寺さんの演じる光秀の表情が、声が、仕草が、自分の感情とシンクロする。頑張っても頑張っても、上司に見向きもされないの辛いよね、怒られるの嫌だし、できて当然の扱いされるのめちゃくちゃ辛いよね…!
泣いちゃう、ううう。

ところがどっこい、物語のクライマックスに、炎上する本能寺で手を負い、それでも敵に向かって刀を振りかざす蘭丸役丸目さんの、泣き叫ぶ声を聞くと、今度は完全に蘭丸に感情移入しちゃうんですよ。
まさにこれが死際。狂気に支配されているようでありながらちゃんと判断力を保っていて、傷の痛みと動き続けなければならない呼吸の苦しさと、もはやここまでと分かっている無念さと、そういうものを混ぜこぜにした悲痛さが、あの言葉にならない声に全部内包されている、
もはや、それこそがこの物語の全てであるかのような、蘭丸の嘆き。
そしてそれに呼応する、椎名さんの不動行光が、思わず涙を誘う、のですが。
実はこの話、再演時と比較して語った方が効果的なような気がするので、とりあえず明日、「虚伝・燃ゆる本能寺」再演のDVDを観てから改めて書こうかなと思います。

んー、なんかとっ散らかってしまって、どこまで書いたらキリがいいのか分からないので、刀剣男士達の芝居についてはまた改めて語らせていただくことにいたします。
こんだけ書いたのに足りないのかよ。笑

語りたいことは沢山あるんですよ!!軍議とか、軍議の軍議とか。笑


とにかく。


本当にお勧めします、舞台「刀剣乱舞」通称刀ステ。イケメンが出てるからってわけじゃないんです、もちろん私は和田雅成推しですけれども!でも!和田雅成が出てない話もあるけどお勧めしたいの!!伝わって!!!!
とにかく、今言いたいことは、末満健一恐ろしいってことですから。脚本が怖い。本当に怖い。いや、むしろ愛してる。

というわけで、急に企画して急に書き始めて、最早何もかも全然伝わっていないとは思うのですが、とりあえず刀ステすごくいいよってことが分かってもらえたら幸いです。
刀ステ、観て!ください!!

では、明日は予告通り「虚伝・燃ゆる本能寺」再演を観ます。そして頑張ってブログ書きます。出来るだけおうちで楽しめることを見つけていきましょうね。

では皆さま、どうぞ明日も、お元気で。