外出自粛中の土曜日、せっかくだから映画でも見ようかと、配信されている沢山の映画の中からなんとなく選んだ作品が、なかなかのお気に入りになりました。
稀代の名女優樹木希林さんの遺作となった「日日是好日」。日日の読み方は「ひび」ではなくて「にちにち」ってなんだそうです。
ごくごく普通の女子大生典子が、母親の勧めで従姉妹の美智子と一緒に茶道教室に通い始め、お茶の魅力にどんどん引き込まれていく中で、少しずつ円熟した「大人」になっていくストーリー。
まぁ、物語としてはごく普通の人間生活していく話というだけなんですが、変にドラマチックじゃないところが逆にリアルなんですよね。
どうやら元はエッセイだそうで、それを映画として一編に仕立て上げたのは脚本家の力だなーと思います。
個人的に一番面白かったのは、茶道という、全く関わったことのなかった世界を垣間見ることができたこと。
私にとっては厳粛で、作法が多く、ただただ緊張するものという印象しかなかった「お茶」の世界が、こんなにも豊かな魅力を持っているなんて…驚きでした。
というわけで、せっかくですから私の、茶道にまつわるトホホな経験を書かせてください。
その一。
初めて私が「お茶席」を体験したのは、勤務している学校の文化祭でのことでした。(あ、申し遅れましたが、私の本業は高校の教員です。)
仲良しの先生が茶道部の顧問で、その関係で「文化祭でお茶席を設けるから、是非いらして!」と誘ってもらったわけです。
事情があって「お茶」と聞くだけで震えが走っていた私だったのですが、靴下さえ履いていればOKだし、せっかく生徒がお茶を立てるから是非に…とのことだったので、数百円のお茶席代?を払って入ったところ。
やはり全然作法がわからん。笑
客は皆、小さな畳の部屋の壁際にぐるりと座っているわけなんですが、なにしろ参加者はずぶの素人ばかり。呼ばれてやってきた教職員も含め、何処が上座で何処が下座なのかすら誰にも分からない。笑
結局、そこら辺はきちんと考えてくれていたようで、正客っていうんですかね、最も上座に座るお客さんには、他校の茶道部の生徒さんが座ってくれて(すげー金髪のお嬢さんだった。笑)、他の全員でその人をガン見しながらお菓子を食べ、お茶を飲むという。
非常に緊張感のある空間をなんとか乗り切ったわけなのでした。
お茶菓子って手で食べていいのね…饅頭って割ってよかったのね…と、上座の方をガン見しながら、色んなことを学びました。あの日、正客までもが素人だったら、我々はおそらく全員饅頭を喉につらませていたに違いありません。汗
その二。
実は私が「お茶席」アレルギーを発症したのには深〜い訳がありました。
というのは。
初めてのお茶席から遡ること一年前。当時関西に住んでいた私は、気まぐれに京都の茶道総合資料館を訪ねました。
その日私は、関東から来る友人と鞍馬口駅近くにある町屋ゲストハウスに泊まることになっていて、ちょうど茶道総合資料館のあたりをぶらぶら散策していた訳です。
近くには茶道関係のお店も沢山あり、それまで全く接点がなかった「お茶」に、なんとなく興味が湧きはじめていたところでした。
堀川通を南下していた私の左手に、お寺のような、曰くありげな、そして趣深そうな敷地が。
「へぇ、茶道資料館。せっかくなら入ってみようかな〜」
と軽い気持ちで中へ。
当時はまだ学生だったので、通常展大学生料金で400円。安いもんだとお財布から400円を出して渡したら、受付のお姉様はにこやかに
「入館料にはお茶が付いていますから、お帰りの際にでも寄ってくださいね^ ^」
と仰る。
「いや…全然、お作法わからないんで…」
と恐縮しまくる私に、お姉さんは更ににこやかに
「気にしなくて大丈夫ですよ!気楽に美味しいお茶を楽しんでください^ ^略式ですし心配ありません!」
それで、ルンルンと向かったのですよ私は。まんまと。一階奥の呈茶席というものに。
おそらくあの時お姉さんが言っていた「気にしなくて大丈夫」というのは、多分「それほどちゃんと茶道のお作法を知らなくても」大丈夫という意味だったものと思われる。
というのも、私がそこに行った時には先客が3名様ほどいらしたのですが、それがどうやらご両親とお嬢様の親子連れだったようで。
「…完璧やないかい…」
静々と茶碗を口元に持っていくその仕草、茶碗の飲み口を懐紙で拭うその仕草、そしてお茶碗を下げにきた方に対する凛とした礼…
明らかに三人揃って玄人。ただものではない風格ですよ。もう背中で分かりますもん。
まぁつまり、その人たちがお茶飲んだり茶碗拭ったりする仕草が本当のところどうだったのかは、正面見てないんで分からんのですが。
兎にも角にも、その時の彼らは大変に神々しく見えた訳です。
「す、凄すぎるぜ…さすが裏千家の本拠地…」
それですっかりびびった私。
恐る恐る後ろの方にポツリと腰掛け、素直に「こういうのは初めてなんですぅ」といえば良かっただけの話なのに、何も言い出せず、黙ってお茶を待っていた訳であります。
例の三人組はもう帰っちゃったし…広いこの緊張感溢るる空間にただ私一人だけ…。
するとそこに救世主が。
「失礼いたします」
と凛とした声をかけて入ってきたのは(多分そこそこ)若い男性。
堂々たる態度で一番前の席に着き、落ち着いた態度で周囲を見回す。斜め後ろから見たところ、口元にはほんのり笑みさえ浮かべている。
「こ、この人や…!!(心の声)」
私はその人の行動を斜め後ろから盗み見しつつ、まったくそのまま真似ることにしたのであります。
菓子が来れば、菓子を食い。(ちなみに、私は茶道の世界では先に菓子を食べるものだと知りませんでした。口の中を先に甘くしておくってこと??)もちろん「頂戴いたします」のご挨拶も忘れず。
そのとき出していただいたのは、透明な寒天で固めたあずきを乗せたういろうみたいなやつ。
運んでくれた若いお嬢さんが
「水無月でございます。鼓月でございます。」
と紹介してくれたのですが、これは後からしらべてわかったことで、当時の私には『ミナツキテゴザイマスコゲツデゴザイマス』としか聞こえず。
何処で切れてるのかすらわからない。っていうかこの人何言ってるんだ???って思ってたわけですが。
しかし斜め前のお兄さんが既にもぐもぐしてたから、私も慌ててもぐもぐ。
美味しかった。これがすごく美味しかった。
できればお茶と一緒に食べたかったんですけど、斜め前のお兄さんが(多分)二口で食べたので、私も名残惜しみつつ完食。楊枝で切り分けたから懐紙にべとっと切り跡がついてしまって、後から考えるとお行儀悪かったかも…。
すると次には、これぞ本丸、お茶が運ばれてきました。
斜め前をガン見する私。
多分お茶碗を取り上げて回してる兄貴。
『そうだった!回すんだ!』
目一杯回す我。多分めちゃくちゃ回した。茶碗が三周か四周くらい回った。
すると、兄貴、茶を飲む。
『今か!』
私も飲む。ごくごくと飲む。美味しかった。思ったより全然苦くなくて、あれって泡立っているからまろやかに飲めるのかと思ってましたけど、普通に泡立ってなくても苦くないんですね。
『う…うまい…!』
感動に打ち震える我。飲み終える兄貴。ズズズズとかなりすごい音がして、私は『!?』となりつつも、忠実に兄貴の真似をしてズズズズズズズズズ。ごくり。
「お下げいたします」
とすかさず来てくれたお嬢さんにおいしかったです!と元気に伝えた私の斜め前で、おそらく型通り「結構なお手前で」と挨拶なさった兄貴。
「お茶碗は?」
は?
この人何言ってんの?お茶碗はって今下げてもらってるやないかーい!
「〇〇先生のお作でございます(うろ覚え)」
兄貴のご担当は、私についてくれたお嬢様に比べるとだいぶベテランの感がある方で、その方がにこやかにお茶碗について語る。
『そうか…茶道とは…オチャワンについても尋ねなければならないのだなぁ…』
「あの!お茶碗は!」
「…奈良の茶碗です。」
ん???
分からん。
私はお茶というのは飲めば終わりかと思っていましたが、兄貴を見ているとどうやらそれだけではいけない様子。お茶碗を下げてもらってからは、掛け軸を見せてもらったり、お道具を見せてもらったりと忙しそう。
ぴったり後にくっついていくわけにもいかないので(というのも、私が勝手に兄貴と親しんでガン見しているだけで、言うまでもなく全く知らない人だし。笑)兄貴が帰りの支度をはじめてから、私も掛け軸の前へ。
「拝見いたします」
「どうぞ。」
ってなわけで掛け軸の前に立ち、兄貴を見習って直角にお辞儀をし、顔をあげたところ。
「ん?」
目の前には掛け軸。
と、
花。
そう。そこにはちょっと趣深げな竹の壁掛け花瓶に生けてある花が。
『し、しまった…!兄貴…どっちを見れば…いや、どれを見れば…?掛け軸?花?いや待てよ、兄貴は掛け軸を見ていたのか?この字を?この字って有名な人が書いてるの?ってかなんで書いてあるのか全然読めん…もしかして書いてあることじゃなくて、墨の色とか、紙とか、そう言うのを見るもんなの?待って、待って、装丁かも…周りのところ金のところあるし…え、でも本当は花瓶を褒めるべきだったらどうしよう、ってかこの花さっき庭で見たしよ、珍しい花じゃなさそうだし…ってことはやっぱり花びん?この竹を使うところが風流ですね、とか?もう分からない…距離感も分からないこんなに近づいていいのか?鼻息とかかかったらダメなのでは…日本刀とか、半紙口元につけて見てるし、もしかしてこれも同じ?兄貴の後ろ姿しか見てなかったから分からないなったけどもしかしてハンカチ口に当てないとヤバい系???ダメだ…なんかグルグルしてきた…』
その後、兄貴も帰ってしまい、頼る人がいなくなった私は、朧げに残る兄貴の後ろ姿を参考に、ちょっと怖そうなお姉さまにお道具の説明をしていただき、そうしてちょいちょい変なことを言ってはお姉さまに軽く呆れられ、いたく疲れ果て、這々の体で茶道総合資料館を後にしたのでした。
受付のお姉さんの朗らかな「またいらしてください」という言葉に、素直にはいとは言えませんでした。
自動ドアを通り抜けたとき、もわっとした京都の夏の独特な空気が体を包んで。
「あ…」
普通の世界に帰ってこられた、と、ちょっと涙ぐんでしまったのは、今思えば笑い話なのですが。
さて。
そんなわけで、私はしょっぱなから「茶道は難しくて辛い」という印象を持ってしまっていたのです、が。
「日日是好日」は、そんな私の中のイメージをキレイに書き換えてくれるような、清々しい作品でした。
樹木希林演じる茶道のお師匠様が、すごく魅力的で。いかにも「師匠」という。
古流剣道をやっている私にも師匠という存在がいるわけですが、入門するときには、
「師匠と弟子は親と子の関係。君がどんなに出来が悪くても、私は君の親になったのだから、絶対に見捨てたりしないよ。ただ、君も自分がしたことが、親である私の責任になることを、決して忘れてはいけない。師匠と弟子とは、さういう関係です。忘れてはいけないよ。」
と、そう諭されたものです。
この映画の中でも、典子さんと先生は師匠と弟子。本当の親子ではなく、何かの道を極めんとする中で結ばれた、綺麗事だけではない深い結びつき。まさにそういう感じで。
典子さんに不幸があった場面で、お師匠様と彼女が縁側に座って、散っていく桜を眺めながら、寄り添って泣くシーンがあるんですけれども。
そのシーンがよかったな。すごくよかった。言葉少なに、二人の結びつきをまざまざと見せつけるような感じがして。
いいな、ああいう表現。
映画としては、淡々としていて、ちょっと独特なんですが、普通の人の、普通の日常なんですよ、あのお話の芯にあるのは。
大きなトラブルもない。そのかわり、華々しいサクセスストーリーもない。
嬉しいことはそこそこで、でも悲しいことは大なり小なり沢山あって。でも例えばそこで自殺しちゃうような、そういうドラマチックなエネルギーの爆発もない。
退屈、なのかもしれないけれど、それはとても普通なことで、なんの変哲もない毎日というのが、いったいどれほど幸せなことなのか。
あの映画は、おおきくいえば、そういう「当たり前」という幸せを描いているような、そんな気がしたのでした。
さ、まとまりなく書いてしまったが、過去の自分のアホ話を暴露してちょっとすっきりしました。笑
あれこれ大変な世の中ですけど、家にこもって、たくさん映画を見ましょう。アニメ見ましょう。小説やマンガを読みましょう。
知らない世界を見せてくれる、とっても手軽な異世界への扉。それはまるでどこでもドア、みたいな。
せっかく家にいないといけないんだから、今見なくちゃ。読まなくちゃ。
そんなことを考える、日曜の夜。
さ、皆さま、来週も、ご安全に。