障害の重度と保護者の心労は比例しない | 人間だもの/ごく稀に、むっちゃ良いこと書きます。

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爽やか観相師(手相鑑定します)/かわいい雑貨の卸売と放課後デイのWワーク/昔、カフェのマスター/昔々、おもちゃ屋店長:たまごっち爆売時/資格は社福以外に宅建士、総合旅行管理、調理師など/長女が重度知的障がい

「療育手帳がB1(中度)からA(重度)になってしまいました…」
 『出来ること』を伸ばそうと、本人もお母さん達も一緒に頑張ってきたのに… 重くなってたなんて…

 障害児のお母さんが嘆いていました。

  よくある事なのですが、これは、本人の発達年齢が後退したのではない、発達年齢と実年齢との開きから重度を測るからです。

  例えば、本人の

発達年齢が4才、実年齢が13才で B2

 から4年経って

発達年齢が5才、実年齢17才で A

  今までの努力がムダだったと落ち込むのはちょっと違うんですと説明するのですが、親としては辛い判定に違いなく。

 重度になると、電車や高速道路の割引など何かと福祉サービスの幅がグッと増えて、活動範囲を広げられますので、ポジティブに捉えて欲しいと思います。

⭐⭐⭐

  娘の障害基礎年金の2級判定に審査請求、再審査請求で、1級にひっくり返したのを、喜んで調子に乗ってSNSであっちゃこっちゃに拡散しまくってたせいか、初めて障害基礎年金請求をされるお母さんからちょいちょい相談?  グチを受けます。

 今まで『出来ること』に目を向けて頑張ってきたお母さんからすると、
我が子のため『出来ない』と書かなければ!
の作業で メンタルをやられてしまいそうだと。

 でも、ボクごときがアドバイス出来るのは『見守りも支援です』くらいでした。

 お母さんの見守る中で(支援があるからこそ)出来る事も、独り暮らしで、出来るか?
を判断基準に、お母さんの 見守りが無かったら出来ないだろう事を『出来ない』って書くようにしたら、少しは憂鬱な作業が軽くなるかもしれません。

 ボクは常々思っているんですが…

障害者へのサービス給付が『出来ない度』ではなく、老人の介護認定の様に、現実に『どれだけ支援を要しているか』が基準にならないものか? と。

ただ、とちらにしても、
『改善⇒給付が減る』なので、
今の形態は、本人、支援者のやる気を削ぎます。

 自立を目指す って聞こえは良いけど、 病気ではない、治らないから障害 、障壁を取り除き『改善』結果に褒美をくれとは言わないけど、『改善』したとて、それで給付が無くなり支援が途切れて逆戻りはあるある、これは辛い。
 支援によって『改善』されているなら、支援の継続が必要なはずです。

  障害者への給付が支援の方に向けられないのは、考え方が未だに、可哀相な障害者だから『施してやってる』から抜け出せていないからではないか?

ボクはそう思います。