6月11日
CAPIRI療法45クール8日目
やっと外に出た。1週間ぶりです
相模原はPayPayキャンペーン中なのですが
2週間足らずで終了だから焦って買い物へ
何かに背中を押されて外に出るのも大事
今日は大切な記録を残したいと思います
数日前、病友さんからラインが来た
4年前、初めての再発で手術した時の仲間
出会った日に毎年くれるのだ(愛か?)
今までブログに書くことをためらっていた
(理由は後でわかると思う)
2020年4月に卵巣への転移が見つかり
その年6月に入院して摘出手術を受けた私
手術翌日「起きて歩く練習をしましょう」
「はいっ大丈夫です」と元気に返事をして
そのまま、意識を失い床にぶっ倒れた
気がついた私は、何人で自分を運んだのか?
そればかり気になって聞いたりしていたが
隣のベッドに入院してきたばかりの方は
翌日に手術を控え、恐怖が増しただろう
申し訳なくて、カーテン越しに挨拶をする
それからは、退院する瞬間まで毎日ずっと
一緒に過ごしていたような気がする
我が子と同じくらいで、娘のように感じた
お子さんの写真を見て、色々話していたら
👩🦲「今は、ネーミングもおしゃれだね~」
「パパもかっこいい名前なんじゃない?」
👩「普通ですよ~○○だし~」
👩🦲「へえ~息子の幼稚園の友だちにも
そんな名前の子がいたなあ~アハハ」
「学区が違うけど、遊びに来たりしてたな」
幼稚園時代って、みんなフルネーム呼びね
そこで、お互い「へっ?」となる
👩「今は越したけど、昔住んでた近くかも」
小学校は違うけど、中学はまた一緒のはず
彼女は夫君に連絡、私は息子に連絡
息子の幼稚園の友だちの奥さんだった
同じ市内に住むとはいえ、人口70万都市
こんな所でめぐり逢い、こんな縁があり
「運命」としか思えない私でした
病気になって嬉しかったことベストテンに
入れたいくらいの出来事なんだけど
私の死後に、もし息子がブログを見つけて
これを読んだら泣いちゃうかな・・と
今まで書けなかったのでした
では、なぜ今さら書いたのか?というと
もうこんなに、おまけ寿命をもらったし
終活も思い出作りも心の整理も十分したし
私がいなくても大丈夫だなと思えたから
話しは戻って・・・
13日に久しぶりに彼女に会いに行きます
こんな時、まだ元気でいられることが嬉しい
本当に幸せだなあと感謝しかない
そんなところにトラブル発生
ほぼ全滅の右足の爪、唯一残った一部分
取れそうで取れない面倒な状態になり
つながってる部分が痛み出してきた
閲覧注意です↓
↓
↓
両サイドがまだ肉の中なので取れない
腫れもひかずジンジンと痛い
自然に取れるのを待てる性格じゃない
覚悟を決めてハサミで切り離した
ジョキっと切ったらハサミが吹っ飛んだ
(痛くて放り投げた、とも言う)
うわ~っと声が出るほど出血したが
翌日には痛みも消え、これで良しとする
例えるなら「会陰切開」の痛みに似ていた
気分を変えて・・
PayPayで20%バックは嬉しいが
こんな時、欲しい物も買いたい物もなく
とりあえず・・銀だこを食べた
これだけじゃ・・と、モスチキン
まあびっくり、ちゃんと味がした