お昼ごはぁ〜ん
こちらは「クレオパトラ」なりぃ。
これまた安直な店名
全部言うと
「グランンド レストラン インターナショナルフード
クレオパトラ バー」
クルーズ以外での食事は 久しぶりぃ〜。
こちらは団体さん対応のレストランなのでしょう。
めぇ〜ちゃ広いっす。
通路っぽいとこにもテーブル
その奥にもフロアーがあってお2階もあります。
飲み物は イチゴとグァバを選びました。
イチゴはフレッシュなイチゴをそのまま
飲んでる感じよっ
美味ちぃ〜。
味が微妙すぎて味を言葉にするのが難しいグアバだけど
ある決着を導きましたぁ。
その味とは
リンゴとナシを合わせて2で割った感じぃ〜。
ってな 単純な表現
カウンターには たぁ〜くさんのジュースが
用意されています。
団体さんの準備かなっ。
まずサラダぁ〜
キュウリ、レタス、トマト、ニンジン、紫タマネギ
浅漬けっぽい感じで おそらく酢と塩胡椒と いった
シンプルな味付け。
スープには お米型パスタが入っているぅ。
味は薄い塩味で 生姜っぽい辛みを感じる。
スパイスが香るお野菜の煮込み。
チキンのトマト煮
おそらくトマトの中に
クミンやカルダモンやコリアンダーなどのスパイスが
入ってる感じかなぁ〜。
あっ
団体のお客様がぁ〜〜
このうるささ、そして平たい顔
そうですチーム中国です。
50人は いたでしょうかぁ。
私らのテーブルがチャイニーズに囲まれましたぁ。
彼らは バフェのランチだったのだけど
もぉ〜うるさいのなんのってぇ〜
本日デザートは エジプシャンスウィーツよぉ。
今まで食べたので一番 甘くて重かったぁ。
シロップでぐしゅぐしゅ〜〜。
店のオーナーとハマちゃんの立ち話によると
日本人の団体客と比べたら
チャイニーズのうるささは桁はずれらしい。
会話はもちろんの事 食器などの音なども。
トイレ係のおねーちゃんまで
鼻を潰す動作をして嫌がってたぁ〜
だよねぇ〜
トイレマナー悪いし
ドアが少し開いていたので空いてるんだなぁ
と 思い オープンすると
びっくり。
おばちゃん 座ってるっちゅーねん
で 何か文句言ってたっ。
空けられてく無かったら
鍵締めやぁ〜
ってな事で
次はルクソール神殿に向います。
こちらは クルーザーから見えていたルクソール神殿
カルナック神殿の付属として3200年前から
作り始められました。
こちらもアメンへテプ3世や ラメセス2世など様々な王によって手を入れられています。
あと コプトや イスラムの時代にも。
その正面には カルナック神殿へと通じる参道があるのぉ〜
2つの神殿は複合施設になってるんだねぇ。
カルナック神殿への道 3キロに渡って
ライオンの身体に ネクタネボ1世のお顔が乗っかっている
スフィンクスが ずらぁ〜と並んでいます
こっちは羊じゃないのよっ。
今やこの参道には 民家があったり道路が横切っていたり
スフインクスが台座だけになったりしているので
ここいらで「スフィンクス通り」なる名称で
整備し直そうと工事が始まってるのぉ〜。
民家は移動し 道路は橋を渡し
昔の姿を蘇らせるらしい。
それにしても3000年もの間
この道が残ってる事態すごいよねぇ〜
日本ではあり得ないよっ。
ははっそうねぇ〜
確かにオベリスク傾いている。
第1門は 高さ13m、幅75mありますのぉ。
上の四角い4つの穴には勝利の旗を掲げていたんだって。
本来門の前には6体の像があったけど
今は5体あり右門の2体と
左門の真ん中は修復されてモンです。
なので 石の色が門の色と違うねっ。
オベリスクの台座には
朝日の神様マントヒヒが並んではるねぇ。
この傾いた オベリスクももちろん対で配置されていたけど
右のオベリスクは 1820年 モハメド・アリー王が
フランスの ルイ・フィリップなる王にプレゼントし
フランスからは大時計が送られて来たんだって。
だけど その時計は一度も動いた事が無く
今は モハメド・アリーモスクに
地味ぃ〜にはめ込まれ 放置状態。
方や フランスに渡ったオベリスクは
パリのコンコルド広場に立てられ
今や街のランドマークになっているの
ハマちゃんは
この事態をアンフェアな取引だと怒っています
台座のみ残る コンコルド広場のオベリスクの高さは16mで
ココにある左のは18m
とっ
2mの差があるのですが
この差を解消するため短い方を前に
高い方を後ろに配置し
遠くから見ると同じ高さに見えるよう
設計されているんだねぇ〜
元祖 遠近法よぉ〜
今は立派な門が建っていますが
元々は作るのは予定は無かったらしいです。
門の中に2ラメセス2世の座像が見えてますが
あの像がある場所が玄関だったのかな?
門の6体の像 は門の完成後設置されたんだとっ。
門を入ると いきなりギリシャ彫刻のような像があったり
モスクがあったり
モスクの下は教会になっています。
てなっ
とても ダイバーしてぇな神殿です。
タイルで飾られている真ん中の部分は窓ではなく
実はドアなのだよぉ〜。
このモスクは650年前に築かれその当時は
まだこの神殿は発掘されておらず
あのドアの下まで砂で埋もれていたのぉ〜
そして280年前 発掘されてからは入り口を神殿の外側に
作り直したんだってぇ〜
下の教会は 砂に埋もれる前に作られたのか
子供たちがハローっとお花をもって呼びかけ
ビジネスの練習をしてるのぉ〜
こちらはラメセス2世の第1中庭です。
「コ」の字に
みぃ〜〜んなラメセス2世像ですにょん。
でも身長や 顔つき 筋肉の付き方が違うらしい。
多分 正面が20祭代で 右側が40歳代かなっ?
↓それともこっちが 40代?
↓ 手前入り口側
こちらが 門から見えていたラメセス2世の座像です。
ラメセス2世はたびたび奥さんのネフェルタリを
ちょこんと傍に同伴させていますよっ。
いましたいましたっ
唇が大きくて 髪の毛がモっじゃモっじゃあ
した人たちぃ。
当時はヌベアとアッシリアと戦っていて
誰々が 敵を打ち負かしたというニュースが
ココに届くたびに その英雄の名前を記したらしい。
上エジプトは蓮で
下エジプトはパピルスで繋がれています
↑こちらはアッシリア人
こちらは出っ腹のハピさん。
ナイル川の水をお腹に貯めていて
お水を吐き出したらナイルが氾濫するという神たち。
これも 蓮とパピルスで繋がれてるぅ。
上下エジプトが統一した事を示しています。
↓こちらは当時の第1門の姿を描いているレリーフです。
めずらしいタイプのレリーフよん
オベリスクが2本勝利の旗が4本立っています。
面白いのが
正面を向いているはずの6体の像が全部
中央から向かい合わせで横向きに描かれてるのぉ〜
おもろぉ〜
レリーフを描く際は “横顔 ”っていうのは
厳しいお約束事なんだねっ
こちらはアメンへテプ3世と奥さん。
半分 欠落していますが
アメン神の冠を被っていますねぇ〜。
もう一つ似たようなカップルの像がありますなぁ。
ラメセス2世のカルトゥーシュが掘られてますが
彼とは趣が違うみたいだよっ。
さてっ
ここで問題です。
ラメセス2世のカルトゥーシュを掘られた
とても有名な このカップルは だぁ〜れでしょうか
チッチッチッぴーぃ
答えぇ
ツタンカーメンと奥さんのアンケセナーメンでぇ〜す。
そういえば黄金のマスクに似てるかもぉ〜
発見された時は首に亀裂が入っており
修復に苦労したみたい。
もともとは上の アメンヘテプ3世のような
アメン神の冠をかぶり手にはアンクを持っていたらしい。
ラメセス2世はとても偉大な王だったけど
人の功績を我が物にしようと他の王のカルトゥーシュを
削って自分の名前に書き換えるというあざとい行為を
ちょこちょこする人だったみたぁ〜い。
でもこの場合
アクエンアテン(アメンヘテプ4世)から
ネフェルティティ → ツタンカーメン → アリ
の
4代を消滅させようと動いた行為の一節だったのかもっ
と
私は思う。
アメンヘテブ3世の大列柱廊
19mの蓮の柱が7本づつ並んでいます。
柱廊を抜けた その先が
64本のパピルス柱が並ぶアメンヘテブ3世の
第2中庭になります。
柱がある場所には当時屋根があったので
ところどころ色が残っています。
こちらの壁にはヨーロッパの迫害から逃れて来た
コプト教の人たちのレリーフが残っています。
「最後の晩餐」の絵だってっ。
ハマちゃんは
「ひっくりとかえしまして自分たちのレリーフを作った」
と言ってたけど
「ひっくり返す」だと壁の石を崩さないといけないから
無理だし
「ひっぺがす」? かなぁ〜?
たまに分からない事がありますぅ。
ギリシャっぽい柱もありますねぇ〜
コリント式と見える
中学校の美術で 習ったよねぇ〜。
この門にもギリシャっぽいイメージが描かれています。
列柱室です。
屋内なのでところどころ色が残ってますねぇ〜。
捧げものをしてるレリーフ。
こちらは 山羊や 牛のお世話をしてるところだとぉ。
あらっ 湿布されてるねぇ。
これは 何んだかの汚れを取るためのモンらしいです。
ただいま ここの修復作業は
アメリカのシカゴ大学によって勧められてるもよぉぅ。
さてっ
ここで問題です。
アメン神の冠を被っり 蓮の油で清められている
意外な人は いったい誰でしょう
めっちゃ有名人だよっ
チッチッチッぴーぃ
答えぇ
アレクサンダー大王だよぉ〜
今の教科書だとアレクサンドロス大王と
記されてるらしいけど。
https://matome.naver.jp/odai/2138259583291308001/2138259863693684103
アレクサンドロス大王ったら
みんな ↑こんなイージだったよねぇ
ところがココに来たらぁ
こぉ〜〜んな人に描かれてるだよっ面白いよねっ
右はミン神だけど
めっちゃ お○ん○んいじられてるぅ〜
何か垂れ落ちている落書きもぉ〜
シカゴ大学さぁ〜ん
手油のシミ抜きお願ぁ〜い
これがアレクサンドロス大王のカルトゥーシュだよん
アレクサンドロスはマケドニアからこの地にきて
戦いで王の座をえたのではなく
まずは神官と仲良くなって
捧げ物をするレリーフを作ったら
民衆の信頼を得られるよっ
と いう
彼らのアドバイスを受け入れました。
そんなこんなしながら
賢くテーベを治めたんだって。
テーベの方たちは純粋ねぇ〜。
捧げ物の一覧でぇ〜す。
蓮の油、パン、ブドウ、アヒル、牛と変わりありませんが
この捧げものは以前見たのと何が違うかというと
牛さんの始末の仕方が違うのですよぉ。
↑コム・オンボ神殿の捧げ物の牛は頭を切って
処理されていますが
それより古い時代のルクソール神殿では
脚をカットされてますよっ
コム・オンボの時代はすでにイスラムの影響が
あったのかなぁ〜
至聖所だよっ。
天井には鮮やかな色彩が残っています。
オベット祭のアメン神の舟が 着いてるねんけど
めっちゃな削られようだねぇ〜。
シンボルの羊の頭もぉ〜
至聖所を抜けると
大量の瓦礫が生理整頓されてますぅ。
大変やねぇ〜
ここから修復するんやねぇ〜
これにて神殿見学は最後となります。
行く順番によって時代背景が前後して
頭ん中ごっちゃごちゃやぁ〜
自由時間後
第1門で ハマちゃんが
傾いたオベリスクポーズで待ってましたぁ。
門の外にもビジネス少女たちが
「フォト、フォト」と言ってくるので
写真とってあげるからチップちょうだいという事だと思い「ノー」と言うと他の人たちにも近づいて行き
ただ 写真を一緒に撮ってる様子だったぁ
何してるのかとハマちゃんに聞くと
SNSに外国人との写真をポスティングする為だと。
えっ そんだけ
んじゃ
ウチら 意地悪な外国人に思われるじゃなぁ〜い。
スタッフのおっちゃんは確かに
「ラー、ラー」(だめだめ)って追い払ってたし
その辺の判断がめちゃ難しいよっ
つづく