おはようございます。
ふと、二宮金次郎の事が気になりました。
日本人ならほとんどの人が知っている
二宮金次郎(二宮尊徳)ですが、
薪を運びながら勉強していた人ではないんです。
二宮尊徳(通称「金次郎」)は、日本の協同
組合運動の先駆けとして、江戸時代後期に報徳
思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を
指導した農政家です。
小田原市の農家に生まれ、5歳の時に大洪水で
田畑が耕作不能になり没落、14歳で父、16歳で
母が他界し兄弟は散り散りに。
金次郎は伯父の家の手伝いをしながら成長して
いきました。
24歳の時に借金を返済して田畑を取り戻し、
家を復興させます。
この頃から「尊徳」を名乗り始めます。家を再建
した尊徳は武家に頼まれ、財政再建や農村の復興に
手を貸し、功績を積んでいきます。
尊徳の評判が各地に広まると、弟子がたくさん
集まり、各地に出向いて指導することもありました。幕府の命で財政改革の指導や土木工事にも携わり、
多くの農村を復興していきました。
⭐️二宮金次郎の銅像は、なぜ建てられたか?
それは、一生懸命勉強し、家庭の仕事を手伝い、
より良い生活をめ ざす人間としての模範的な姿で
した。 このことにより昭和に入ってから全国の学校の校庭に少年時代の二宮金次郎像が次々に建てられるようになりました。
⭐️二宮金次郎像がなぜ無くなったのか?
太平洋戦争の戦乱をくぐり抜けた二宮金次郎の銅像が、岩手県一関市の山奥にある。
二宮像は1900年代に入って各地の小学校に建て
られていき、戦争の激化に伴い、金属を再利用する
ため、寺の鐘などと同様に回収されていった。
これは、成長した金次郎の姿‼️
小田原市尊徳記念館 敷地内にあります。
全国の小学校で、老朽化や学校立て直しなどに
伴い、二宮金次郎像が撤去される現象が進んで
いるといいます。
その背景には、「児童の教育方針にそぐわない」
「子どもが働く姿を勧めることはできない」
「戦時教育の名残という指摘」「『歩いて本を読む
のは危険』という保護者の声」などもあるといいます。
金ちゃんがスマホを、しょっとる‼️
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