ヤンキー、ツッパリ、不良、スケバン、 | ★バツ4シングルママは波乱万丈★みえブログ★

★バツ4シングルママは波乱万丈★みえブログ★

現在54歳。16歳と31歳のシングルママ。バツ4。
韓国歴35年&3度の短期留学経験。日韓文化経済フォーラム日本支部代表。パワーストーンセラピスト。YouTubeみえちゃんねる。福岡探検倶楽部隊長。元ミスコン荒し13冠のミスを獲得。モデル、レースクィーン。

おはようございます😃


私が学生時代には、『ヤンキー』や『ツッパリ』と

呼ばれる人達がいました。

『スケバン』とか言う言葉もありました。




不良っぽさへの憧れは、いつの時代にもあり、戦国時代の「傾奇者」、明治期の「愚連隊」「女愚連隊」と呼ばれた青少年の不良グループが存在し、昭和30年代には「太陽族」と呼ばれた不良がいたそうです。

昭和50年代に「ツッパリ」と呼ばれた不良が全盛期を迎え、昭和50年代末期には「ヤンキー」が「ツッパリ」と言われるようになり、平成26年には「ヤンキー」から犯罪性や攻撃性を除いたような性向のある「マイルドヤンキー」が出現します。



ツッパリとは、『虚勢をはって、不良じみた態度をとること。またそうする者。』と辞書に載っています。


昭和50年代の「ツッパリ」の多くは、「不良じみた態度」をとるだけでしたが、ツッパリのなかには、校内暴力、窃盗、暴走、暴行などの犯罪を犯す者もいました。

「ツッパリ」の語源は、学校や社会の既存のルールに従わずに「突っ張る(反抗する)」ことの「突っ張る(つっぱる)」が音変化し「ツッパリ」になったという説が有力です。

昭和50年代、一部のツッパリは学校のルールや社会のルールに反抗します。校内暴力が横行し、無免許運転や暴行事件など少年・少女による犯行が多発しました。「ツッパリ」のなかには、「犯罪者」が存在しました。

ヤンキーという言葉は1970年代以降に広まります。1970年代、米兵(Yankee)のファッションの総体を真似た若者を「ヤンキー」と呼んでいたのが、現在の「ヤンキー」の語源という説が有力です。

ヤンキーが全国に、「不良っぽい人」「不良」として認知されるのは、昭和50年代後期です。

昭和50年代後期(1983年)に、嘉門タツオが「ヤンキー兄ちゃんのうた」を発表し、全国的にヒットし「ヤンキー」という言葉は全国に広がります。

当時の「ヤンキー」の中には、学校や社会のルールに反抗し、暴行・暴走などの犯罪を犯す者もいました。

昭和50年代(1970年代後半から1980年代初頭)にかけて、ツッパリが流行します。

1980年代初頭には、「横浜銀蝿」がデビューし、「なめネコ」が流行、「ツッパリ」は全盛期を迎えます。なめネコグッズ、みんな持っていました。

当時、男子中学生や男子高校生の約5割が、長ランや短ランにボンタンやドカンという変形学生服を着て登校していました。

ツッパリ女子は「スケバン」や「ピン子」とよばれ、顔にはマスクをし、ロングスカートで登校していました。

ツッパリは、「外観重視で、とくに変形学生服の印象」が強かったため、「横浜銀蝿」や「なめネコ」のブームが終わると死語になります。

一方でヤンキーは、昭和60年代(1980年代後半)から多産された「ヤンキー漫画」の影響もあって、その存在感を高めていきました。

まあ、今の時代、昔のようなヤンキーやツッパリは見なくなりましたね。