博多区千代にあった水茶屋町の歴史 | ★バツ4シングルママは波乱万丈★みえブログ★

★バツ4シングルママは波乱万丈★みえブログ★

現在54歳。16歳と31歳のシングルママ。バツ4。
韓国歴35年&3度の短期留学経験。日韓文化経済フォーラム日本支部代表。パワーストーンセラピスト。YouTubeみえちゃんねる。福岡探検倶楽部隊長。元ミスコン荒し13冠のミスを獲得。モデル、レースクィーン。


行きつけのネイルサロンプラネイル

博多区千代にある。

めちゃくちゃ早くて安い。

綺麗に仕上げてくれるし。


ついでにランチは、

天山食堂で。

前にYouTubeでも紹介したけど人気の食堂で

今日も満席でした。




やはりの酢豚。

私は酢豚が大好きなんです。



美味しいんだよ、ここの酢豚ちゃんは。




千代は私のお気に入り地区です。

YouTubeにも色んな千代をアップしてきました。






令和に昭和が残る景色。


いつのまにか閉店した茶房水茶屋。


旧地名です。

水茶屋町の歴史は、江戸時代の元文5年(1740)、

現在の濡衣塚(千代3丁目の石堂川沿いにある)
付近に水茶屋が開業したのが町の始まり。
明治に入り、水茶屋が遊女屋を兼業するようになると大いに繁栄したが、明治22年(1889)、遊女屋兼業が一転して禁止され、いったんは急速に寂れた。

明治34年(1901)、相生券番(現在の博多区奈良屋町にあった)脱退組の芸妓たちが引っ越してきて
新たに水茶屋券番を開業すると再び繁栄。

水茶屋券番は戦後、株式会社として再出発するが、
1969年、他券番と合併して博多券番となり、水茶屋の名前は消滅。

一方亭という料亭が東公園にあり、戦後は占領軍に
接収され司令部として使われた。
1946年4月、漏電により全焼。
戦前まで水茶屋券番の事務所だった建物(千代2丁目にあった)は戦後、「共楽亭」という寄席となったが、人気は続かず、閉鎖後は共同住宅として使われて
いたが、火事で全焼。