福岡市中央区春吉の歴史 | ★バツ4シングルママは波乱万丈★みえブログ★

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現在54歳。16歳と31歳のシングルママ。バツ4。
韓国歴35年&3度の短期留学経験。日韓文化経済フォーラム日本支部代表。パワーストーンセラピスト。YouTubeみえちゃんねる。福岡探検倶楽部隊長。元ミスコン荒し13冠のミスを獲得。モデル、レースクィーン。




昨日は、認知症の母ケイコさんと昔、

関西から引っ越してきて初めて住んだ

春吉を歩きました。

昨日歩いた地区は、赤丸の場所。



1900年頃の古地図


現在の航空地図


春吉の地名の由来は、住吉神社の秋季大祭の時の

市場に人が多く集まり、秋に実る穀物が踏まれて

しまうため、春に収穫する麦のみを作るのが良いと

されたことにちなむ。

ただし、この説を『筑前国続風土記』にて紹介した

貝原益軒自身は俗説だとしている。


かつては那珂郡住吉村の一部であった春吉は、1602年(慶長7年)に那珂郡春吉村となる。当初は民家はなく博多に住む農民の田畑があった。

1639年-1640年(寛永16-17年)の頃に福岡藩主黒田忠之によって足軽の宅地とされる。

1678年(延宝6年)には那珂川からの浸水を防ぐための土手が築かれる。

1889年(明治22年)に住吉村と合併して住吉村大字春吉となる。

1922年(大正11年)に住吉町が福岡市に編入され、春吉も福岡市の一部となる。

1945年(昭和20年)の福岡大空襲では罹災せず。

福岡大空襲の際には罹災しなかったため、江戸時代に整備された7本の横筋(東西の道路)が今に残る。

戦後の1966年の(昭和41年)の町名町界整理により一部が「渡辺通り」や「西中洲」に分割され、残ったエリアは春吉1-3丁目となった。





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