メモ📝
【参考のひとつとしての読書】

疫病が蔓延した時、十種の神宝を持って布瑠の言を唱えよ
(参考拝借)



(参考拝借)

【参考】
十種神宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 16:33 UTC 版)

概要
分類すれば、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(女性が首に結ばずに掛け、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)3種となる。これを三種の神器に対応させて、鏡は八咫鏡、剣と比礼は草薙剣、玉は八尺瓊勾玉であるとする説もある。

十種神宝の内容は以下の通りである。

沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
あまつしるし
十種神宝は『記紀』には出てこないが、天津神の子であることを示す「あまつしるし」は、『記紀』ともに神武天皇の段に登場し、『古語拾遺』などにも記載がある。漢字は古事記は「天津瑞」、日本書紀は「天表」、古語拾遺は「天璽」とそれぞれ当てている。各記述の相違は以下である。

古事記 - 単に天津瑞とだけしている。
日本書紀 -「天羽々矢(あまのははや)」と「歩靱(かちゆき)」。武具らしき物を天表としている。
古語拾遺 - 現在も皇位の表徴として有名な、三種の神器を天璽としている。
布瑠の言
布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%8D%81%E7%A8%AE%E7%A5%9E%E5%AE%9D_%E6%A6%82%E8%A6%81
(参考拝借)
死者蘇生
私達全ての生命は肉体失ってしまっても魂、霊体に戻り半永久的に存在し、それぞれ次第真の神次第で輪廻転生生まれ変わって新しい魂の旅をする
この地球上で肉体を持っています方々が増え過ぎてしまえばこの地球上の生態系等もピンチに
死者蘇生とは特定の誰かを蘇生のお話し?
あまり肉体を持って蘇ると良くない方々も
それぞれの因果相応それぞれ真の魂根源の神次第で魂生
死者蘇生のお話しはおいておきましてそれ以外の単なる参考資料としてのメモ



【参考のひとつとして】


【参考】

(参考拝借)


【参考】
イスラエルの失われた10部族の足跡を追って50年以上研究を続けているシャハン氏は、「ユダの地、レビ族から失われた10部族を求めて旅をし、ここ日本にたどり着いた。📌メノラーが発見された場所では、別のユダヤ文化の跡も発見されている。この日本でも、メノラーが発見されていることは、驚くべきことだ」と発言した。そして「失われた10部族の日本人が、イスラエルに戻ることを願う」と結んだ。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/20420/20160409/kobe-peace.htm
(参考拝借)


【参考】
ユダヤ戦争。ローマ皇帝ティトゥスによりユダヤ人の反乱は鎮圧されエルサレムの第二神殿も破壊された。画像はティトゥスの凱旋門に刻まれた📌神殿の宝物(七枝の燭台の📌メノーラーほか)を運ぶローマ兵士たち

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/1%E4%B8%96%E7%B4%80
(参考拝借)

【参考のひとつとしての読書】
(参考拝借)


【参考のひとつとしての読書】
イザナギ・イザナミ神話はイスラエルの失われた10支族を意味していた
というわけで「10の卵を8つ生んで2つ残した」または「5の卵を4つ生んで1つ残した」については理解できました。

でも、同じく卵のくだりに書かれていた「十二の卵を十生んだ」について。

これ、なんだか引っ掛かりませんか?

 

12:10 = 6:5

 

八割と二割、つまり「5:4」の物質・非物質の世界とは割合が違いますよね。

 

勘の良い方はお気づきかと思いますが、12と10と言えば、そうです、イスラエルの失われた10支族です。

旧約聖書によれば、イスラエル人には12の支族(部族)があると書かれています。

紀元前の話ですが、イスラエルは国が2つに分かれたことがありました。

12支族のうち10支族は北王国に、2支族は南王国へと別れました。

つまり、十二の卵とは、まさにこの北王国と南王国に10と2で分かれたイスラエル12支族のことを指しているのです。

 

実はこの十二の卵の謎解きが火水伝文に書かれているのです。

少しわかりにくい内容ですが、次の文章をお読みください。

 

ユダヤ十二部族の型示しあるは、正しくイザナギ、イザナミ御二神の分かれ型。初発の岩戸閉めの、大事な型を知らしめあるのぞ。開き盲ばかりでござるから、解からぬのは無理もござらぬが、こ度に関わる大事にてあるから申して置くぞ。ナミ、カミサラレなさるにありて、末のこ度に【元つマコトの神真釣り】復するを計ろいて、計りた仕組みをご守護なさる正神真神の御二神を、残し置かれた、いう事にてあるのぞ。
(カミ)サラレマシテ二神を残されあそばされたのであるぞ。十(カミ)真釣り閉じ去られまして地のへに二民を残し置かれた、とも言えるのぞ。十(カミ真釣りと引き換えに、二つに分かつ知を残し置かれた、とも言えるのじゃ。ご自身のオイノチと引き換えに、知恵の神をお産みになられた、申すことじゃよ。

火水伝文

 

ここには、12支族が10と2に分かれたことの本当の意味が書かれています。

神(十)が去って天照大神と素戔嗚尊の神(二)を残したという解釈。

そして、神(十)が去って地上にユダヤとスメラの民(二)を残したという二つ目の解釈。

そして、神(十)が去って、二元性の世界(二)を残したという三つ目の解釈です。

この二つ目の解釈のように、イザナギとイザナミの説話は、イスラエル12支族の歴史と相似形であるのです。

 

火水伝文は賛否両論多い書物ですが、日月神示を詳しく解説する役割の書であるとされています。

読んでいるとちょいちょい疑問符というか、引っ掛かる内容がありますが、一読の価値はあると思います。

火水伝文について詳しく知りたい方は、過去のブログ記事をご覧下さい。

火水伝文の予言
火水伝文の予言
2021.3.15
かつてイスラエルの失われた10支族は日本にやってきた
さて、その後、10支族の北王国はアッシリアに滅ぼされてしまいます。

そして、2支族の南王国だけが残ります。

 

滅ぼされた北王国の国民の多くは捕虜となるのですが、一部の人たちは逃げ延びました。

逃げ延びてどこに行ったのか?

実は、その滅亡した北王国から逃れてきた10支族の人たちが日本にやって来たという伝説があるのです。

 

その証拠はいくつかあります。

例えば、天皇家の紋章(菊花紋)が、なぜか中東の遺跡や発掘物に刻まれているという事実。

シュメールの三種の神器が、なぜか日本の三種の神器と同様に「鏡と首飾りと剣」だという事実。

さらに旧約聖書の「契約の箱」が2本の棒によって人々に担がれている様子が、まるで日本のお祭りの主役であるお神輿と瓜二つという事実。

日本の伝統文化とされているものが、なぜか古代の中東、シュメール、イスラエルに見られるのです。

 

ということはつまり、日本民族とユダヤ民族は先祖が同じではないだろうか!?

はい、これを「日ユ同祖論(にちゆどうそろん)」と呼んでいます。

 

証拠は他にもたくさんありますが、これらの事象から、シュメール・イスラエルからの渡来人が日本にやってきて文化を伝えたのではないか?

イザナミ・イザナギのモデルは、旧約聖書のイザヤではないか?

などという仮説がたくさん生まれたのです。

これは、古代の優れた航海技術に加えてシルクロード(草原の道・オアシスの道・海の道)などの存在を鑑みれば十分にあり得る話だと思います。

イスラエル十二支族は一致団結しなければならない
少し話がわき道にそれましたが、実はここが重要なポイントなのです。

イスラエル12支族のうち10支族が日本にやってきて今に至りますが、いまだ2支族はイスラエル(もしくは世界の政治経済の支配層)にいるという意味でもあります。

つまり12支族がバラバラになって不完全な状態が今もまだ続いているんだよという意味なのです。

日月神示には以下のように書かれています。

 

今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく。悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、よき世が来るとでも思ふてゐるのか、肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。元の霊(たま)まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、それ位 判って居らうが、判りて居り乍ら他に道ないと、仕方ないと手つけずにゐるが、悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊(たま)から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。何んなよいこと喜ばして知らしても、聞かせても、今の臣民人民 中々云ふこときかんものぢゃぞ。この道にゆかりある者だけで型出せよ、カタでよいのぢゃぞ。

 

スメラ神国というのは皇(すめら)の国、つまり日本を指します。

ユダヤ神国とはイスラエル、または……、フリーメーソンなど陰謀論界隈を賑わせている国際金融財閥や世界の政治経済の支配層のことを指します。

ちなみに、日月神示ではフリーメーソンのことを「イシヤ」と呼んでいます。

 

知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。

 

イシヤとはつまり、石屋さんなのですが、はい、そうです、石工組合を起源とするフリーメーソンを指します。

フリーメーソンに限らず、世界経済や政治を動かしている人たち、つまり国際金融財閥や世界支配者層とも言えます。

 

このように日月神示はイシヤ=フリーメーソン=ユダヤのことを悪の権化のように書いておりますが、それなのに「一緒に世界を治めよ」とも書いているのです。

次の一節をお読みください。

 

岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりて呉れと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。二三三二二(アイカギ)、、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。

 

「コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ」とあります。

わかりやすいように漢字まじりで書くと、「(岩戸を開く)鍵は、石屋としか(しっかりと)手を握ることだ」と書かれているのです。

元は一つだった二つの国の人々が反発することなく一緒になって手を組んで、影のない光の世界へ人々を導くことが必要であると説いているのです。

 

日本はどちらかというと精神性を重んじる国民性ですが、金融・投資が盛んなユダヤ、欧米的価値観は物質偏重であるとも言えます。

これはまさに、イザナギ・イザナミの初発の岩戸閉めで、物質界と霊界が別れてしまった事を象徴するような対比関係であるとも言えます。

この相反する世界が別れてしまった元を作ったイザナギ・イザナミの説話こそが一度目の岩戸閉めだったのという意味なのです。

イザナミ・イザナギの話は旧約聖書と相似形であるという話。その他、岩戸開きについて動画にまとめました


【二度目の岩戸閉め】天照大神が岩戸から出た時
さて、次は二度目の岩戸閉めについての考察です。

二度目の岩戸閉めは天照大神(アマテラス)の時代です。

まずは前提として、天照大神とは何者かについてお話しします。

 

と言っても皆様ご存知の通り、天照大神もナギ・ナミと同じく記紀に出てくる神話上の登場人物です。

実は実在する人物で、しかも、その正体は卑弥呼だったという説もありますけどね。

以前にブログで書きました。

 

卑弥呼の正体がついに判明しました
卑弥呼の正体がついに判明しました
2020.5.17
 

ちなみに、「卑弥呼はだれか?」の続編はまたの機会に書こうと思っています。

って、続編があるんかい!笑

記紀神話の天照大神とは何者か?
話を戻しまして、まず最初に記紀での天照大神はどのような神だったか説明しましょう。

言わずと知れた日本の高祖でもある天照大神は、先ほど出てきました、イザナギ・イザナミの子なのです。

しかも、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三人姉弟でありまして、この三人をとくに三貴神と呼んだりします。

といっても正確には、この三貴神は、男神であるイザナギが一人で生んだ神様であります。

なぜならイザナミは黄泉の国に引っ込んでしまいましたからね。苦笑

 

さて、前述の通り天照大神は三姉弟で、弟たちに素戔嗚尊(スサノオ)と月読尊(ツクヨミ)がいます。

ある時、素戔嗚尊は父であるイザナギの命令に従わず泣いてばかりだったため、高天原から根の国へ追放されてしまいます。

ところが素戔嗚尊は、根の国へ行く前に「姉ちゃんに別れの挨拶をしに行こう!」と思い立ち、天照大神の住む高天原へとやってきます。

 しかし、天照大神は、素戔嗚尊が攻めてきて高天原を乗っ取ろうとしているのではないかと疑います。

そこで天照大神は素戔嗚尊に言います。

「お前に(高天原を攻める)悪い心が無ければ、お前の生む子はきっと男だろう。もしも男を生んだら私の子供として高天原を治めさせよう」

この「賭け」のような行為を誓約(うけひ)と呼びます。

「もし●●だったら、××であり、●●じゃなかったら○○だ」みたいに事前に宣言しておいて、その結果で占う方法です。

僕もたまにやります。笑

 

すると素戔嗚尊はみごとに男の子を生んで、わが身の潔白を晴らしたのでした。

つまり、天照大神と誓約をして勝利したのです。

 

しかし、身の潔白を晴らして気をよくした素戔嗚尊は、高天原で調子に乗って暴れまくります。

素戔嗚尊が暴れて高天原を荒らす様子を見た天照大神は、怒り狂って天の岩戸という岩でできた洞穴に隠れてしまうのです。

ここからが、かの有名な岩戸隠れ神話の始まりです。

 

天照大神が岩屋に隠れてしまったことで世の中は真っ暗闇になってしまいます。

一国の統治者がへそを曲げて政治を放棄して隠れてしまったのですから、そりゃみんな困りますよね。

 

そこで、高天原の神々はどうにかして天照大神を岩屋から引っ張り出そうと画策します。

そこで彼らがとった作戦は、天鈿女命(アメノウズメ)に天照大神が隠れる岩屋の前で裸踊りをさせることでした。

そうすることで天照大神の興味を引こうとしたのです。

 

すると神々の思惑通り、天鈿女命の裸踊りが気になった天照大神は、岩戸を少しだけ開けて外の様子を見ます。

その時、手力雄神(タチカラオ)が少しだけ開いた隙間に手を入れて岩戸を思い切りこじ開け、天照大神を外に引っ張り出したのです。

神々は「もう二度と隠れないで下さいねっ!」と天照大神にお願いをして、「了解っす!」で一件落着!というお話です。

ダマシタ岩戸からニセ天照大神がお出まし?
しかし、日月神示はこれこそがまさに岩戸閉めであるというのです。

それを示しているのが次の一節です。

 

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

 

日月神示は天照大神を騙して引っ張り出したと書いているのです。

本物はまだ岩戸の中におり、騙して引っ張り出してきた神様は本物ではない別の神様だと言っているのです。

それではいったい引っ張り出してきた神様は何者なのか?

日月神示を読み進めると、次のように書かれています。

 

天照皇太神宮様(テンショウコウタイジングウサマ)の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ、無理にあけた岩戸開きざから、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、神にはわけへだて無いのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、まぢりけのない、マコトの神の息吹でひらくのざぞ。

 

天照大神ではなく、天照皇太神宮様と書かれています。

この違いはわかりますか?

天照大神と天照皇大神。

後者は「皇」の文字が一文字多いです。

ということは、天照大神と、天照皇大神は別人ということなんです。

 

そうです、現代人は天照皇大神と、天照大神を取り違えているのです。

日月神示はそれを明確に示しています。

最初に引用した次の一節でも、よく見ると「天照大神」と「天照皇大神」を明確に区別しています。

 

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

 

そして、いよいよ(岩戸が開かれるとき)になると、本物の天照大神と、すり替わった天照皇大神と、日の大神という謎の神が3人出てくると書かれています。

「出てくる」とは、つまり正体が明らかになる、ということですね。

 

えっ、ちょっと待って!

天照大神は三人いるの?

 

はい、そうなんです、実は天照大神は三人いるのです!

 

このことは以前に九神文書について書いた記事でも書かせて頂きました。

九神文書とは古史古伝の一つではありますが、中臣家を祖先に持つ九神家に残る古文書です。

 

九鬼文書で日月神示が読み解ける件
九鬼文書で日月神示が読み解ける件
2022.8.6
 

九神文書には神話(物語)は書かれていませんが、その代わりに神の系譜が淡々と書かれています。

これを読むと、三人の天照大神の謎が解けるのです。

天照大神は三人いた(九神文書)
上述の通り「九神文書の研究」という書籍には神様の系図が記載されています。

その系図を読みますと、確かに三人の天照大神がいるのです。

始まりの神からの系譜を示した、こちらの系図をご覧ください。

 



 

まず一人目の天照大神は、根源の神から数えて二代目の天津身光大神が生んだ天照日大神で、日月神示の言うところの日の大神です。

天照大神に「日」の文字を加えて天照日大神となっています。

これは、まあ根源神というか歴史にはあまり関与しないリアル神様的な天照大神ですね。

 

そして、二人目がおなじみ、イザナギ・イザナミの子としての天照大神。

系図では天照天皇と書かれていますが、ナギとナミの子供ですから、これはまさしく天照大神を指します。

 

そして三人目が、素戔嗚尊の子である天照皇大神です……。

 

えっ、素戔嗚尊の子!?

 

そうなんです、なんと、岩戸から引っ張り出したのはナギとナミの子の天照大神ではなく、素戔嗚尊の子の天照皇大神だったのです!

先ほどの日月神示のくだりをもう一度確認してみましょう。

 

天照皇太神宮様(テンショウコウタイジングウサマ)の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ・・・略

 

天照皇太神宮様とありますが、「皇」の文字が入ってますから、これはまさに九神文書の系図にある天照皇大神と同一と考えられます。

つまり、素戔嗚尊によって高天原は荒らされ、結局、当初の天照大神の懸念のとおり、高天原は素戔嗚尊に乗っ取られてしまったのです。

そこで、本物の天照大神は追放されて、代わりの別人である素戔嗚尊の子である天照皇大神が担ぎ上げられたということなのです。

日月神示には、「同じ名の神二つあるぞ」と各所に書かれており、まさに天照大神も本当の天照大神と騙した天照大神の二つがいたのです。

悪いのは天鈿女命と手力雄神?
じゃあ、素戔嗚尊の側について、偽物の天照大神を皇位継承させたのは誰なのか?

日月神示には、このように書かれています。

 

天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、地(くに)の岩戸 臣民の手で開かなならんぞ、誠一つで開くのぢゃ、誠のタチカラオの神、誠のウズメの命殿、御用結構ぞ。ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、この道理判らんか、取違ひ禁物ぞ、生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。

 

誠のタチカラオの神、誠のウズメの命殿が誠一つで岩戸を開くとすれば、それは結構な御用であると書かれています。

つまり、天照大神の気を引こうと裸踊りをしたときの天鈿女命と、岩戸を無理にこじ開けた手力雄神は「誠」心なく岩戸を開いたとも解釈できます。

または、ニセのタチカラオ、ニセのウズメという意味なのかもしれません。

ということは、天鈿女命と手力雄神はニセモノの天照大神と知って岩戸から引っ張り出したという解釈もなりたちます。

そのため下記引用のように、岩戸を開いた神々に大きなメグリがあると戒めているのです。

 

天照皇太神宮様(テンショウコウタイジングウサマ)の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ、無理にあけた岩戸開きざから、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、神にはわけへだて無いのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、まぢりけのない、マコトの神の息吹でひらくのざぞ。

 

メグリというのは日月神示でよく出てくるワードですが、因果応報、カルマと似たような意味です。

つまり、悪いことをすれば、その報いを受けるという意味です。

岩戸を無理に開いた天鈿女命と手力雄神、そして当時の神々たちは、神であろうと、わけへだてなく報いを受けますよと言っているのです。

もちろん、これは神々の子孫である我々に降りかかっているのですよ、ということなのですけどね……。苦笑

素戔嗚尊は外国の神だった
でも、少しだけ解せないことがあります。

素戔嗚尊といえども、イザナギ・イザナミの子供です。

天照大神の治めていた高天原が、弟の素戔嗚尊に乗っ取られたとしても、二人は姉弟ですから、外国の性根を入れた岩戸閉めにはならないのではないでしょうか。

 

ということは、外国の性根を入れたのは素戔嗚尊ではなく、岩戸を開いた天鈿女命と手力雄神でしょうか?

確かに記紀を読むと、天鈿女命はめちゃくちゃエロくて強いですし、手力雄神は筋肉バカの乱暴者のように書かれています。

まるでアメリカ映画に出てくる悪者キャラクターです。笑

でも、アメリカ的キャラだからといって、外国の性根を入れたことにはなりません。(そりゃ当前!笑)

 

では何が外国の性根なのか?

実はですね、素戔嗚尊は外国から来た神様という記述が日本書紀にあるのです。

次の通り日本書紀には、「一説に素戔嗚尊は、最初に朝鮮半島の新羅に行って、その後に出雲に来た」と書かれています。

(詳細は三度目の岩戸閉めの章でお話しします)

 

一書曰、素戔嗚尊所行無狀、故諸神、科以千座置戸而遂逐之。是時、素戔嗚尊、帥其子五十猛神、降到於新羅國、居曾尸茂梨之處。乃興言曰「此地、吾不欲居。」遂以埴土作舟、乘之東渡、到出雲國簸川上所在、鳥上之峯。

 

つまり、政権が天照大神から、新羅から来た素戔嗚尊(派)に移ったことで、外国の政治手法が取り入れられたとも解釈できるのです。

本物の天照大神が、素戔嗚尊の子である天照(皇)大神にすり替えられて以降即位し、素戔嗚尊(派)の政治が始まった。

外国(新羅)の性根が入ったので岩戸閉めとなったというわけです。

十種神宝(布留の言)で天照大神を蘇生させた天之鈿女
しかし、どうして天鈿女命や手力雄神、そして天照大神の側近である周囲の神々たちは素戔嗚尊に政権を譲ったのでしょうか。

理由の一つには天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけひ)をして、素戔嗚尊が勝ったことにあります。

高天原の神々は、偉大なる女王である天照大神を負かした素戔嗚尊にリスペクトの念を抱いたのかもしれません。

 

しかも、素戔嗚尊は外国の高度な技術も持っており、高天原を将来発展させてくれる指導者であると感じたのです。

逆に、負けた天照大神に対しては失望と不安を感じたのかもしれません。

 

しかし、それだと、まるでアメノウズメとタチカラオのクーデターです。

それはさすがに過激です。苦笑

そこまでいかなくても、なにか事件があったのではないか?

そう思って日月神示を読みますと、次のような記述があります。

なにやら数字が並んでいてよくわかりませんが、まずは、ざっと読んでみてください。

 

判るように説いて聞かすから、今迄の智を一先づすてて、生れ赤児となりて聞いて下されよ。天之鈿女(あめのうづめ)の命が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったのぞ。その時はそれで一応よかったのであるなれど、それは限られた時と所でのことで永遠のものではないぞ。

この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。岩戸開きの鍵であったが、今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。始めに⦿がなくてはならん、⦿は神ぞ。

 

ここには、天鈿女命が天照大神へ巻物を献上したとあります。

その巻物には「12345678910」と書かれており、昔は「12345678910(数と言葉)」を唱えるだけで死者がよみがえったとも書かれています。

 

なんのこっちゃ?

 

と思う人がいるだろう一方で、すでに気が付いた人もいると思います。

そうです、この「12345678910」は十種神宝(とくさのかんだから)の「布留の言」なのです!

 

布留の言とは、先代旧事本紀に書かれている「ひと・ふた・み・よ・いつ・む・なな・や・ここの・たり、ふるえ・ゆらゆらと・ふるえ」という祝詞のことです。

分かりやすく書きますと、「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,振れ、ユラユラと、振れ」ですね。

これを唱えると死者がよみがえるという最強の祝詞(呪文)です。

 

しかし、なぜ布留の言を天之鈿女が天照大神に献上したのでしょうか?

そのような記述は記紀にも書かれていません。

しかも、なぜ布留の言を天之鈿女が知っているのか?

いったいこれは何を意味するのか?

続き⬇
https://inumakedon.com/godo-no-iwatosime/
(参考拝借)




(画参考拝借)