皆様、こんばんは。
お盆休みで、なんとなく人が少ない氣がしています。
サロンの1階にある不動産屋さんもお休み。
なので、新規のお客様が若干迷われる・・・
暑い中、すみません💦
そう、お盆ですから
少し私なりの供養観を・・・
(あくまで個人の意見です、あらゆる解釈の中の
一部だと思い、お読み頂けると幸いです。)

幼少の頃、近くにおじいちゃんやおばあちゃんは
住んで居ませんでした。
鹿児島に暮らしていたので、会って触れ合う事は
かなり少ない環境でした。
というのも、両親は共働きでしたし、休みに帰省するまで
余力が無かったと思います。
お墓参りも恥ずかしながら結婚するまでは
あまり行く事もありませんでした。
会いたいけど、会えない存在でした。
季節にちなんだお野菜や、お祝いのお金などを
田舎の空気と共に届けられるときは、
とても嬉しかったのを思い出します。
沢山、会えなかったからこそ、
あらゆる出来事には
何倍にも「ありがたさ」を感じていました。
時々、電話で話すも・・・、
方言が強すぎて会話がままならない事も沢山。
両親の通訳が必要だったり・・・笑
だけど、血縁であるが故の通じる感じは、
幼いながらにしっかりと感じ、わかっていました。
おじいちゃんおばあちゃん達がいて、父母がいて
自分が居る。
という世界観は不思議と強かった気がします。
嫁ぐ時に、挨拶に行き、お墓参りで帰省した時に、
老いた身体にむち打って、おもてなしのお料理を
振る舞ってくれたおばあちゃん。
いつもの農作業着ではなく、ワイシャツとスラックス姿のおじいちゃん。
礼儀を重んじ、誠心誠意礼を尽くしてくれたんです。
そして、戦争当時の話をしてくれたり・・・
距離や時間をも超えて、無条件に受け入れてくれた。
あまり帰郷しない両親へ文句を言うでなく、
いつも夫婦仲良く、きちんとお墓を守り、生活を営んでくれていた姿に
「感謝」と「親の愛」「ありがたさ」しかありませんでした。
そして、嫁ぎ先は
楽しい恒例行事として、お墓参りをツアーのように何回も行くのです。
今思えば、幼い頃に出来れば良かった事を、
ちゃんと再現して、実体験で学んでいたのでしょうね。
これもまた、ありがたいことです。

お墓参りには、必ず行った方がいい。と言う方もいます。
もちろん、故人との関わりも大きく違う所だと思います。
行ければ行った方が、自分の心も落着きますし良いと思います。
ですが、行けないからと言って「ダメ」ではない。と感じます。
姿形がないご先祖様を、自分の心にどう存在させているか?
の方がむしろ大切なのかな?と思います。
形にこだわるのではなく、在りし日の姿を自分の心の中で感じる。
心を通い合わせたり
想いを馳せるか?ではないかと思うのです。
互いの想いは、年中繋がっていると思いますよ。
「愛」というかたちで。
それを感じて、今の自分を大切に生きる。
これも供養になるのでは・・・。と思っています。
今日、偶然入ったお店の
素材の調達先のお知らせボードに
「鹿児島指宿産」とあり、
「これ食べて元気になんなさい」と言ってくれている感じがしました。
おじいちゃんおばあちゃんからの粋な計らいだと感じ、
じーんと気持ちが温かくなりました。
皆様も、良いお盆をお過ごし下さいね。
ながらくお付き合いいただき有り難うございました。
お盆休みで、なんとなく人が少ない氣がしています。
サロンの1階にある不動産屋さんもお休み。
なので、新規のお客様が若干迷われる・・・
暑い中、すみません💦
そう、お盆ですから
少し私なりの供養観を・・・
(あくまで個人の意見です、あらゆる解釈の中の
一部だと思い、お読み頂けると幸いです。)

幼少の頃、近くにおじいちゃんやおばあちゃんは
住んで居ませんでした。
鹿児島に暮らしていたので、会って触れ合う事は
かなり少ない環境でした。
というのも、両親は共働きでしたし、休みに帰省するまで
余力が無かったと思います。
お墓参りも恥ずかしながら結婚するまでは
あまり行く事もありませんでした。
会いたいけど、会えない存在でした。
季節にちなんだお野菜や、お祝いのお金などを
田舎の空気と共に届けられるときは、
とても嬉しかったのを思い出します。
沢山、会えなかったからこそ、
あらゆる出来事には
何倍にも「ありがたさ」を感じていました。
時々、電話で話すも・・・、
方言が強すぎて会話がままならない事も沢山。
両親の通訳が必要だったり・・・笑
だけど、血縁であるが故の通じる感じは、
幼いながらにしっかりと感じ、わかっていました。
おじいちゃんおばあちゃん達がいて、父母がいて
自分が居る。
という世界観は不思議と強かった気がします。
嫁ぐ時に、挨拶に行き、お墓参りで帰省した時に、
老いた身体にむち打って、おもてなしのお料理を
振る舞ってくれたおばあちゃん。
いつもの農作業着ではなく、ワイシャツとスラックス姿のおじいちゃん。
礼儀を重んじ、誠心誠意礼を尽くしてくれたんです。
そして、戦争当時の話をしてくれたり・・・
距離や時間をも超えて、無条件に受け入れてくれた。
あまり帰郷しない両親へ文句を言うでなく、
いつも夫婦仲良く、きちんとお墓を守り、生活を営んでくれていた姿に
「感謝」と「親の愛」「ありがたさ」しかありませんでした。
そして、嫁ぎ先は
楽しい恒例行事として、お墓参りをツアーのように何回も行くのです。
今思えば、幼い頃に出来れば良かった事を、
ちゃんと再現して、実体験で学んでいたのでしょうね。
これもまた、ありがたいことです。

お墓参りには、必ず行った方がいい。と言う方もいます。
もちろん、故人との関わりも大きく違う所だと思います。
行ければ行った方が、自分の心も落着きますし良いと思います。
ですが、行けないからと言って「ダメ」ではない。と感じます。
姿形がないご先祖様を、自分の心にどう存在させているか?
の方がむしろ大切なのかな?と思います。
形にこだわるのではなく、在りし日の姿を自分の心の中で感じる。
心を通い合わせたり
想いを馳せるか?ではないかと思うのです。
互いの想いは、年中繋がっていると思いますよ。
「愛」というかたちで。
それを感じて、今の自分を大切に生きる。
これも供養になるのでは・・・。と思っています。
今日、偶然入ったお店の
素材の調達先のお知らせボードに
「鹿児島指宿産」とあり、
「これ食べて元気になんなさい」と言ってくれている感じがしました。
おじいちゃんおばあちゃんからの粋な計らいだと感じ、
じーんと気持ちが温かくなりました。
皆様も、良いお盆をお過ごし下さいね。
ながらくお付き合いいただき有り難うございました。