来て頂き、ありがとうございます🎵

翔っぺとさんたまのレイキ交
流練習会募集してます。

11月17日 日曜日❗
午後1時から3時までの2時間の、レイキワーク(レイキ交流練習会)をやります。
申し込みはこちらへ。

MAGO会も募集します。
YOSHIKOさん、主催者。
仙台で開催。

どちらも、よろしくお願いいたします❗


では、本題へ。4

前回は、魂(エネルギー)に教えて貰えた事、自分自身が考え思った事を交えながら、あちらとこちらを少し話しました。

今日は、自分自身が死を体験したことで、死を覚悟した話しから、死は怖いものでない話をしたいと思います。

正確には、死を少し体験ツワーしてきた話から始めましょう。

もう、かれこれ7年前位になります。

その事が起きたのは、私が49歳の春の頃です。

まあ、その前から、胸が痛くなると言う病気の症状🏥😷💉が、兆候として有ったのですがそれを病気🏥😷💉とは思ってもいなかったのです。

心臓の周りの血管の静脈が動脈硬化を3本も起こしていて、そのせいで、狭心症からの心筋梗塞になり、心不全で約5分間位、心臓は、止まってたらしく、医師は、動き出したのが嘘のようだと、話してくれました。

止まってた間が私には凄く長く、自分では3時間は経っていたと思ってました。

たったの5分だったのが不思議な位でした。

その間の看護士さんが、ズーっと大丈夫ですか、起きてくださいと、話しかけてくれてましたが、言われ続けていたのに、私は意識もはっきりしててちゃんと看護士さんにも返事を返してました。

それは、私の勝手な見えたものに頭で話してたみたいでした。

意識もなかったのですから。

ただ、、不思議だったのは、時より、看護士さんを見ている位置が変わったのと、その看護士さんの後ろの画像が、病院🏥とは、違う処だったは、はっきりと覚えてます。
(だけど、看護士さんと風景はぼんやりと、少し霞んで居たと思います)

看護士さんから後で聞いた話しだと、その間、私の意識はなく、目は虚ろで、何も言葉は話してなかったと、話してくれました。

心臓ば完全に止まった状態で、薬💊を飲まされたのですが、それがニトロだったのは覚えてます。

死ぬとは、あんな感じに成るのだなと、後で分かりました。

見ていた事全てが、意識なくても分かるのが不思議でした。

だけど、この世で見ているのとは違い、色々な角度から、周りの景色を、瞬時に何ヵ所からでも見れたのも不思議でした。
(色々所を看護士と共に行って来た感じでしたが、違うはわかっても、ぼんやりと見えただけでした。)

死んだのも生き返ったのも一瞬の事だったけど、意識が無くなってから意識が戻る間は、見ていた世界の動きがゆっくりで、長い時間そこに居た感じでした。
(身体から、魂が抜けて居たような感じでした。周りと自分自身のことも見てた様に思いましたから。) 

そこでもし、看護士さんが、私の言葉的なものを分かっていたとしたら、もう少し早くこちらの世界に、帰って来た気がしました。

光の声として聞こえた時、ドスンドスンと言う感覚で、
今の世界の景色に移ったのを覚えてます。

この時は、はっきりとした景色で見えました。

これが簡単ではありますが、私の臨死体験と言うか、不思議な世界の感覚を感じた話しでした。

この体験から、前に話したあちらとこちらの世界を結ぶ言葉で話しが出来たなら、あちらの声がどんな形でも、こちらの世界の人が解れば、いくらでも話せるんだと思いますし、命と命は繋がるとも思いました。

普通にペチャクチャと、話が出来るのだと思いました。
(行動も、共に出来ると思いました。)

不思議な言葉とかではない、普通の言葉で、相手とは会話が出来るのかなとも、思いました。

頭と言うか、直接脳に語りかけて来る様な感じですから、不思議な言葉とは思わなくても、不思議と言うのが有ってるのかもしれませんね。

前に話した、動物と話が出来る、アニマルコミュニケーションと同じ何ではないか思います。

妄想や想像に近いのかな。

直接ですから、言葉が浮かぶと言う事です。

それがエネルギーの世界の、話し方なんだと思います。

精神世界の話しだからでしょか?

なかなか分かりづらい話しですが、好きな人の魂を思うと、何時でも話しかけてくれます。

だから一瞬、魂(エネルギー)が肉体からぬけて、この世から居なくなりますが、時として、それが悲しい事ではないのかなとも、私は思うように成りました。

それは、肉体が有る無いに関係なく、私はが思えば、どんな形の言葉でも、相手は答えてくれるのですから、この世で繋がりが強ければ強いほど。

でも、こうして話しても、分からないと言う方ばかりでしょう。

どうすれば繋がりがをもてて、話しをする事が出来るのか?

私は、意識を繋げるのは、はっきりと言うと、妄想でしかないと思っています。

相手も、そう答えてくれたし、教えてくれたからです。

何故に、妄想なのか?

頭と言うか、脳に直接語りかけてくれるからです。

妄想なんて、おかしいと言うかも知れませんが、妄想て何なんでしょうか?

はっきりと言うと、確実に分かる言葉で、話してくる相手なら、分かりやすでしょうけど、それの方が、私はおかしいと思います。

だって、直接語りかけて来る様な感じ方だからです。
(イメージ言葉と言う方が正しいかな)

脳の未知数的な使われてない部分で、それを想像し、妄想する事は、脳にその知識がないと出来ない事なのに、自然と妄想は、脳から沸いてくるからです。

そんなの嘘だと、疑う方は多いでしょう。

そんなのあり得ないとも、思うでしょ。

では、たくさんの知識を脳は持ってます。

その脳が、色々な所にアンテナを張ってるのです。

その凄い脳が見た想像や妄想です。

人は相手の事を、ある程度情報がなくても、分かったりしますよね。

この方はこんな感じとか。

それって何処が決めてるのでしょうか?

目で見た情報、耳で聞いた情報、言葉で得た情報、舌で感じた情報、鼻で匂いでの情報、この五つから、何処が駆使して決めた情報で、相手が分かるのでしょうか?

そしてそれは、何処がどうした結果から、導き出された相手の事なんでしょうか?

それが、大事なんではないでしょうか。

それこそ、情報による妄想、想像なんです。

魂を感じて、会話するのも、同じ情報なんです。

だから、妄想、想像が必要だし、それで会話する事が出来るのです。

だだ、使い方を間違えると、危ない事をする、宗教団体見たいにもなりかねないので、気を付けなければいけませんが、正しく使えは、魂(エネルギー)にも会え、話しも、あちらでどうしてるのかも、分かるように成るのだなと、私は思います。
それを、あちらの娘を始めとした色々魂(エネルギー)が、教えてもくれました。

変人とか、おかしい人とか、そんなんではないですから。

こんな事を言う人は、おかしい人としか思われませんが、私はそれでも、娘と自分自身が話しや行動が出来るのなら、それで、楽しいのだから良いと思ってます。

正しい事で、正しいと思い、信じれば、私は娘や動物(全ての動種類)と言葉や心かいして、繋がれるのですから、それで、良いと思ってます。

だからこそ、死は死で有りながら、怖いものではないのだと、確信しています。

そして、この世死は死ではないとも、思ってます。

それは、繋げる事が出来るからです。

この世の死は、暖かみも、心の優しさも、愛しさも、癒しも、全て奪う感じで器が滅びます。

だけど、それは悲しい事では無いのです。

新たな生活の場に、相手は先に行っただけで、同じ事を、私は続けられるからです。

また何時かは肉体を持ち、この世で癒しをするのですから。

あちらもこちらも同じなのです。

こちらの世界の方とあちらの世界の方との繋がりは、きれないのです。

魂(エネルギー)があるかぎり。

だから信じて欲しい、魂(エネルギー)の世界と自分は繋がってる事を。

自分自身と魂を信じて欲しい。

癒しはなくならないから。

魂が本当の死を迎えるまで。

今回はこの辺で。

この話しは、続きますよ。

話しがあちこち飛んで分かりづらいでしょうが、もう少しお付き合いをお願いいたします。

ありがとうございました。


交流会募集の話しです。
レイキ交流練習会、11月17日 日曜日 東京。

12月7日 土曜日 仙台。

どちらも、よろしくお願いいたします。

魂をエネルギーで感じ、癒されましょう。

読んで頂き、ありがとうございました。