病棟に上がって12日目~17日目(再々弁置換術後55日目~60日目) | momokomoko86のブログ

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2011年5月に生まれた先天性心疾患の次女の記録。
10歳でこの世での使命を終えてお空に帰っていきました。

7月2日(金)   夜は眠りが浅くなると『ママ』とかいろいろ喋るけどわりとすぐ寝る。2時3時少し寝付けない時もあるけど まぁ寝れた。朝薬の 

          後『気持ち悪い』と言って少し吐く。しばらくして『お腹痛い』と言って吐く。新しい薬のせいか日中もよく寝る。夕方から脈走る。

 

7月3日(土)   夜中1時間おきに『ママ』と確認するように起きる。4時ごろからなかなか寝付けない。セロクエルを22時に、夜の眠剤を23時 

          に。 数日前から『お茶飲みたい』と言いだしていて、『先生に聞いてきて』と何度も言うので・・ 土曜日で看護士も手薄で検

          査もないしすることもなく時間を持て余していたし、本当はもう少し元気が出てきたら始めようと思ってたんだけど 欲しがって

          るし・・って根負けしてあげてみることに。一日200mlと決まっていて 一回飲んでしまうと次まで待てないし もっとちょうだ

          い、もっとちょうだい、でもあげられないって状態になるのが分かってるから まだ早いかなぁ、と思ってはいたんだけど・・ 案

          の定、一回飲むとその一瞬は落ち着くんだけど またすぐ次を欲しがって。。『待ってね。また後であげるから』で待てるはず

          もなく・・ ぐずる、怒る・・これじゃあ心臓にも悪いし。。しまったなぁと思いました。一日200mlなので一回を10mlとか。飲ん

          だ、とは言えない量。1回10mlとして20回。夜の睡眠時で4回分飛んだとして起きてる時は1時間おきの計算。で、お茶のこと

          が気になってか日中いつもほど寝ない。16時ごろ脈走る。大体いつもこの時間。夜もなかなか寝付けず。夜中はよく起きる。

 

7月4日(日)   お茶を欲しがって泣く。朝からしばらくずっと泣いていて落ち着かない。体拭きの後採血してエコー。エコーの時E先生に水分

          量を200mlから300mlに増やしてもらう。エコーの後お腹が痛くなって痛がって泣く。夕方も少し痛くなる。前髪が伸びて目にか

          かっていたので切った。

 

7月5日(月)   朝もお腹が痛い、とのたうち回って痛がる。土曜からこんな痛がり方。しばらく数分痛がる。この日も数回痛がった。水分取っ 

          て少し経つとそうなるようです。なので、水分中止。ごめんね・・ この日、転棟。コロナの影響でいつもお世話になる病棟が閉

          鎖されていて 向かいの病棟に居たんだけど 元の病棟が再開することになり順番に移動していく。うちは一番最後。10:45

          移動。お姉ちゃんはコロナ禍で面会できずで全く会えてなかったんだけどこの移動のわずか数分の間顔見ることができる

          よ、と配慮していただいてて 上の子もスケジュール調整して来てくれました。チビは寝起きでぼーっとしてて『お姉ちゃんやで

          ~』って声かけてもらってたけど分かってるのか分かってないのか。。って感じでした。個室を用意してもらう。14:30お腹痛の

          発作の後アセリオで落ち着く。お昼ご飯を食べに行って 食後にコーヒーを買おうと思ったら別の病棟に入院中のママがお友

          達とお喋りしていて、本当はもう戻ろうと思った時間だったけどお喋りしてしまった。予定より30分くらいオーバーして戻ったら  

          部屋に看護師が数人集まっていて。サチュレーションが40台に下がっていたらしい。そんな、40台とか見たことないんです

          が。本人はそんな苦しそうでもしんどそうでもなかったように見えました。あまり寝れてなかったので夕方トリクロを使う。

          YouTubeで子守歌のゆりかごの歌のオルゴールをここ数日枕もとで流すと寝てくれてます。18時ころ寝てくれたのでシャワー

          に行って、25分くらいで出てきて何となく走って病室に戻ったら今度は循環器のドクターがたくさん来ていてベッドを取り囲ん

          でいた。『すみません・・何かあったんですか?』と聞いたら またサチュでーしょんが40台まで下がっていたらしい。なぜか2度

          とも私が居ない時・・ ネーハイもそのちょっと前に少し風量を下げたりしてたんだけど元に戻し、更に青いホースで吹き付け

          酸素をすることに。

 

7月6日(火)    朝から穏やか。夜も昨日の夕方以降よく眠っていて 夜も起きるけどわりとすぐ寝る。明け方は寝てもすぐ起きたりして、朝 

          にまた寝る。日中も体を起こして座って遊んだ。絵本も読んだ。腹痛は起こっていない。咳は出る。

 

7月7日(水)    夕べ23時ころ目が覚めて急に『YouTube観る!静かにするから!お願い!静かにするから!お願いします!』と騒ぎ出した。

          私も個室やから見せてあげても良かったんやけど 夜やし、あまり眠れてない時から寝て欲しかったし 寝ないとしんどくなっ

          たら困るし、と思って『こんな夜にやってないよ、また明日ね』と頑なに拒否してて、お互い譲らず言い合いしてたんだけど セ

          ロクエルの時間でなんとか落ち着いて何とか寝てくれた。その後、2時、3時、4時20分、5時半も起きてワーワー騒ぐ。なかな

          か寝付かない。朝7時半ごろから3時間よく寝た。それから起きてDVD観たり遊んだりして12時ころまた寝たので 私は用事

          があり一旦帰宅。16時過ぎに戻る。私が留守の間2時間ほど寝ていたらしい。病室に戻ると映っていないDVDプレーヤーをお

          となしく眺めていた。充電が切れたようだ。『ごめんねー、ただいま!お利口にしてた~?』と声を掛けたら 一人にしたことを

          怒っていたようで怒り出したから 何とかなだめて遊ぶ。夕方お腹を痛がった。腰も痛くなり不穏は続く。私は腰やお尻をさす

          るくらいしかしてあげられない。『抱っこして』と言うのでベッドに上がって座って抱っこをする。寝ている体をよいこらしょと起こ

          して抱えて私の足の上に座らせる。今回は術後まだしっかり座れていないので体も動かしていないし傷の引きつれもあって

          抱かれ心地が良くないようで、抱っこしてもすぐに『やっぱり寝る』と言うので寝かせる。そんなこんなで夜は早く寝た。その間

          シャワーに行って戻って来たら担当のK先生が見に来てくれた。『どうですか~?』と言うので 前日の夜全く寝なかったことや 

          その代わり朝からよく寝たことなど話、そのほかにも私の素朴な疑問や雑談、チビの今回の状況の話、今後の話、先生の思

          いなど40分くらい話した。『Mちゃんも寝てるのでお母さんも寝てください』と言われ、いつもだと0時過ぎるまで起きてるんだけ

          ど珍しく21:40頃寝る。22時過ぎチビ起きる。大きな声を出していて担当じゃない夜勤の看護師が来る。担当の看護師も来

          る。『ママ体勢しんどい』『ママなんとかして』『ママならできる』『看護師さん!看護師さん!』『助けて!』と何度も苦しんでい

          た。私はいつものようにお尻と腰をさすり、『大丈夫やで。ママここに居るで。看護士さんもい居てるよ。みんな居てるよ。大丈

          夫やで』とみんなで声掛けをしていた。10数分経って少し落ち着いてきて寝そうになったところで 黒目が上に引っ張られる。

          手も足も曲げて硬直してる感じ。痙攣起こる。そばにいた看護師に『ちょっと、これおかしくない?てんかん発作みたいなん起

          こってる』って言ったら 誰が連絡してくれたのかさっき話をしていたK先生が飛んできた。頸動脈を触るが脈が触れない。す

          ぐさま心臓マッサージが始まる。私は左手でチビの左手を握り右手でチビの頭をなでながら何度も名前を呼んだ。反応がな

          い。マッサージを2分続けて脈を確認。触れないのでアドレナリン投与。それを数回繰り返す。私もずっと呼び続ける。『戻っと

          いで―。行ったらあかん!』いつの間にか部屋にはたくさんのドクターが来ていて そのうちの一人のICUのドクターに『お母さ

          ん、病室で出来ることは限られてるから一回の救命救急の処置室に降ります』と言われる。心臓マッサージは続けたままベッ

          ドを押してエレベーターで降りた。何も持たずに降りたので一旦スマホを貴重品を取りに上がってまた降りる。看護師が一人

          一緒に来てくれた。待つところも簡易なところで小さな机と椅子が数個あってつい立を閉めて目隠しされて その中で一人 

          祈っていた。家族には連絡してすぐに来てもらった。途中、家から出てきてくれた担当のS先生が『心臓マッサージ続けてるん

          ですけど反応がないんです。これ以上続けるのはMちゃんの体に負担になるので。。』と言ってきたが 受け入れられなかっ

          た。諦められなかった。そりゃそうだよ。まだまだ一緒に居たいよ。中学生になれるかどうかも分からないことは分かっていた

          けど 後数年のうちにこんな日が来るってことも分かっていたけど それが今日だなんて そんなの嫌や。『嫌です。まだやり

          たいこともいっぱいあるし。そんなの嫌です』と言った。『うん。。うん。。』と先生は落ち着いて聞いてくれていた。

 

          しばらくして家族がそろった。そこで、ドクターはもう一度同じことを告げて、チビに会わせてくれた。

          そして、テレビドラマでよく見る光景。死亡確認。あのドラマのワンシーンが今目の前で我が子に行われている。嘘のような光 

          景。我が子によ?ありえないでしょ。信じられな過ぎて一瞬笑いそうになった。

 

          でも、『7月8日0時02分、死亡を確認しました』と。はっきり告げられた。