「るいネット」に載せたのだが、「るいネット」は元から消されてしまった。
「るいネット」は正義の言論版として定評があったのだが。
この、ブログのアドレスは、桃子の教学勉強室、として置いていたのだった。
ところが、根こそぎ消されてしまったが、何故か復活していた、知らないうちに。
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以下、消されたもの、「るいネット」に載せていたが。



何故、創価学会が親中国なのか?
それは池田大作の氏・須山秀吉氏が親中国であったことに由来します。

須山秀吉氏は太平洋戦争が終わった8月15日に起こった事件(愛宕山事件)です。しかし、このwiki は創価学会により書き換えられています。

須山秀吉=極右=ユダヤ金融資本 という図式が成り立ちます。
 
終戦時に起こった大事件(国家内乱罪)を起こした犯人たちの唯一の生き残りが「須山秀吉」です。
>> この事件で、天皇の玉音放送がなされた8月15日、徹底抗戦派の陸軍の策謀は、阿南陸相の自決によって回避された。 だが、降伏に抵抗する一部の右翼と軍人は東京の港区の愛宕山に立て籠もり徹底抗戦を叫んだ。 指導者は右翼の尊壌同士会の「摺建富士夫」であり拳銃や日本刀・手榴弾で武装してクーデターの発生を期待したが 、警官隊に包囲され、0000氏の説得も失敗に終わり、警官隊の一斉攻撃のまえに、 全員輪になって手榴弾を使用し爆死した。
 11人のうち生き残ったのが「須山秀吉」ただ一人だったのです。
>>この事件です。有名な事件です。何故か「須山秀吉」は結核で亡くなり、結核で亡くなるはずの池田太作が生き残っています。池田太作のその頃の病状を考えると、池田太作が生き残ることは考え難く、本物の池田太作は死んだのではないか? 北朝鮮から来た若者のうち池田太作似が池田太作に入れ替わったのではないか?と考えざるを得ないほどです。
 
「結核の熱のため熱く、下宿の窓から顔を出して熱を冷まそうとしていた池田太作。耳や鼻からは結核の汁が出ていた」……絶対、死ぬはずの重症です。池田太作が生きている訳がない。
……この下宿での様子はもっと詳しく書かれてあるが、書くのが面倒なので書か ない。
「須山秀吉」は池田太作の八歳ほど年上であるだけのはずです。当時、北朝鮮から数千人の若い男性が日本に雪崩れ込んでいたと言われます。
 
 池田太作の身を心配した「郷友会」の仲間が池田太作の下宿に訪問したときの様子が綴られているものもあります。面倒なので書きません。
 私はそれ故に、本物の池田太作は死に、北朝鮮から来た池田太作似の若者が池田太作に入れ替わったという推論を以前立てたほどです。
 これは謎なのです。


戦争に反対したから牧口常三郎氏などが逮捕されたのではなく、“日蓮正宗”を国教として用いないと日本は必ず戦争(太平洋戦争)に負けると強く主張を繰り返していたため、逮捕に成ったのです。

決して戦争に反対だった のではなく、むしろ戦争を褒め称えていました。

牧口常三郎氏は共産主義思想に走った若者を転向させる名人として名高かったのです。
そのため、“日蓮正宗”を国教として用いないと日本は必ず戦争(太平洋戦争)に負けると強く主張を繰り返していたにも拘わらず、なかなか逮捕されなかったのです。

日本を中国へ売り飛ばす創価学会。
牧口常三郎氏以下、第3代まで、極右です。


池田大作は北朝鮮から来た池田太作似の青年が入れ替わった


池田太作は父親から勘当されて以来、実家に帰っていない
池田太作はあまりに日蓮正宗の信仰に熱心で右翼の若者の集まりである郷友会の仲間をも激しく折伏していた。非常に煙たがられていた。

その頃、池田太作似の青年が北朝鮮より来た。
池田太作は一つ上の兄を折伏して日蓮正宗に入れたのみで、8人兄妹のうち、たった一人である。当時は兄妹親全て、そして一族も日蓮正宗に入信させるのが普通であった。

父親から「変な宗教を始めた」と勘当を受け、以来、実家に帰っていない。

郷友会は、単なる右翼の青年の集まりに過ぎなかった。読書会だったという小説「人間革命」のは嘘である。

北朝鮮から来た池田太作似の青年が入れ替わったが、戸田城聖氏にとっては高利貸しを始めようとしていた所であったため「こっちが、ずっと使える」と知らぬ振りをしていた。

郷友会にとっても日蓮正宗の信仰に熱心で折伏ばかりする池田太作を毛嫌いしており、郷友会も「こっちが右翼として、ずっと使える」と喜んだ。


郷友会のメンバーが最近、顔を出さなくなった池田太作の下宿を心配して訪れた時の様子が下に記されてある。
「結核の熱のため熱く、下宿の窓から顔を出して熱を冷まそうとしていた池田太作。耳や鼻からは結核の汁が出ていた」……絶対、死ぬはずの重症です。数日後に死ぬはずです。

郷友会のメンバーは池田太作が死ぬとして最後の状態を書いたのである。

郷友会のメンバー記述が残っているとは、その郷友会のメンバーも文学青年だったと思われます。当時は、文学青年が非常に多かった。

池田太作の死体は郷友会メンバーにより、海へ沈み込まれたか、海岸へ埋められたか、山に埋められたかしたはずです。池田太作似の北朝鮮から来た青年を池田太作に仕立て上げたら、郷友会も非常に都合が良かった。

なお、池田太作の兄妹の一人は統合失調症を発症し、近くの小林病院という精神科病院に長く入院していたが、そこで亡くなっています。

池田太作は父親が死んだ時、久しぶりに実家へ帰り、兄妹および母親と会っています。しかし、当時の創価学会は折伏・折伏で忙しく、30分以内で帰ったはず。当時は折伏大闘争で、親が死んでも葬式には、例え出たとしても直ぐに折伏闘争に帰らねばならない時代だった。

日蓮正宗には「生命は永遠である」という教えがある。そのため創価学会員は親が死んでも悲しむことは無い。創価学会員は親が死んでも「葬式が面倒だ」としか思わない。普通の一般の人間とは異なるのである。

「池田太作は、心優しく、大人しい少年だった。それが借金取りなんか出来るはずがない」と小学校時代の同級生は口を揃えて言う。

17歳頃に右翼の洗礼を受けたにせよ、子供の頃の性格が変わることは考えられない。

池田太作は右翼の集まりである郷友会では邪魔な存在であった。それが、日蓮正宗に入って折伏を郷友会の皆に始め、煙たがれ度は更に増していった。ただ、心優しかったため、郷友会の活動に出て来なくなった池田太作の下宿に池田太作を心配して訪ねてきた郷友会の仲間が居た。

郷友会の仲間が池田太作の病状を詳しく記載した後、数日後に池田太作は息を引き取ったと思われる。

そして気丈な気の荒い北朝鮮から来た池田太作似の青年が池田太作に入れ替わった。それを右翼の大物は知っていたため、戸籍上、池田太作から池田大作に正式に名を変えることが出来たのである。

当時は右翼の大物の鶴の一声と言えど、戸籍上の名を正式に変えることは不可能だった。



「一目で分かる創価学会とロスチャイルドのつながり。または天皇と共産主義とロスチャイルドのつながり。」
(リンク)


「共産主義」はロスチャイルドが作ったものである。
世界で初めて共産国となったソ連は、ロスチャイルドの拠点となったことを意味し、ソ連に占領されたルーマニアも、チャウシェスクの友人だった池田大作もロスチャイルドの傀儡であった様だ。
その他に、創価学会の三色旗と似た国旗は、アフリカの「チャド」という名の国。ダイヤモンドや石油の天然資源が豊富で、この国もまたロスチャイルドの傀儡国家だそうだ。
ロスチャイルドは陰に隠れてこそこそと悪事を働いているが、ここまで関連付いていると自己顕示欲の高い様に思えてくる。


(以下引用)

創価学会は、これまで何度も書いてきました通り、天皇の権力を支えるための下部組織であり、彼らは互いに深いつながりを持っているわけですが、今日はその補足として、創価学会とロスチャイルドとのつながりについても見てみたいと思います。

創価学会の三色旗はルーマニアの国旗によく似ている。
実は池田大作はこのルーマニアの旗を真似して創価学会の旗を作ったからです。では、なぜ池田大作はルーマニアの旗を真似したのでしょうか。

「共産主義」はロスチャイルドが作ったものである、ということはこれまで何度もお話してきた通りです。
世界で最初に共産国となったのはソ連です。これはソ連がロスチャイルドの拠点となったことを意味します。そして、このソ連は第二次大戦中にルーマニアを占領しました。その結果、ルーマニアは共産国となり、チャウシェスクという独裁者が誕生することになりました。
この時点でルーマニアもロスチャイルドの傀儡国家となったわけですが、このチャウシェスク。実は池田大作と大の仲良しでした。しかし、チャウシェスクが悪名高い独裁者として世間一般に知られるようになったため、池田大作はこのことをずっとひた隠しにしてきたのです。

しかし、チャウシェスクが独裁者として処刑されておらず、ソ連もまだ崩壊しておらず、共産主義が今ほど悪名高いものとして思われていなかったときには、池田大作もおおっぴらにチャウシェスクとの仲の良さを喧伝していたようで、そんな最中にルーマニア国旗をマネして創価学会の三色旗を制定したわけです。昭和63年(1988年)のことでした。
ところが、そのわずか一年後、チャウシェスクが独裁者として処刑され、ルーマニアが民主化されました。平成元年(1989年)のことです。このため、池田大作もチャウシェスクと蜜月の関係にあったことを声高に語れなくなってしまったのです。
・・・チャウシェスクも池田大作も同じロスチャイルドの傀儡だったからです。
もっと具体的に言うなら、彼らは「天皇」と「ロスチャイルド」の傀儡でした。


実は創価学会の三色旗と似た国旗が他にもあります。アフリカのほぼ中央に位置する「チャド」という名の国の国旗です。それがこちらです。
似ているというより、ルーマニアと全く同じですよね。
これが単なる偶然なのかというと、決してそんなことはありません。「チャド」もまたロスチャイルドの傀儡国家なのです。実は私たちが思っている以上に、アフリカはロチャイルドと極めて関係が深い地域なのです。
かつての南アフリカ共和国も実はロスチャイルドによって統治され、アパルトヘイトという悪政が敷かれていました。アパルトヘイトとは、白人による黒人差別であったと歴史の授業では習いますが、実際のところは、ロスチャイルドが黒人をただ同然で働かせてダイヤモンドを採掘するための政策でした。

で、最近では同じアフリカの「シエラレオネ」という国で、世界屈指のダイヤモンド鉱山が発見されたため、これまたロスチャイルドがこの国に住む人々をただ同然で働かせてダイヤモンドを採掘しようとしています。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
アフリカというのは天然資源に恵まれた国なので、ロスチャイルドはこのようにその利権を狙ってアフリカで悪いことばかりしているのです。

で、このチャドという国もまた豊富に石油がとれるということで、ロスチャイルドが支配しているようです。しかも、このチャドの国章。実はロスチャイルドの家紋そのものです。
これだけでも、ロシアとロスチャイルドに深い関係があることが分かります。ロシアだけでなく、プーチンが中心となって結成されたBRICSも、実は完全にロスチャイルドの配下にあるのです。何しろ、このBRICSはロスチャイルドの傀儡である池田大作が作った同盟国なのですから。

(引用終り)