皆様、お久しぶりでございます。
あれから何日経ったのかビーリンサイトの薬が増えた。夜というか朝、私は意識不明の重体になりました。
副反応で熱は出るだろう言うことを聞いていたので、しんどくはなるだろうなと思っていたけれど、朝方あまりのしんどさに目が覚めた。点滴をつないだままなので、トイレに行くのも一苦労で大部屋だったので、ポータブルを入れてもらっていた。
前のベッドに寝ている方が私に『○○さんしんどそうですね大丈夫ですか?』と声をかけてくれた。粗相があったら行けないから前の晩から『熱が上がってご迷惑かけてしまうかも知れません』と同じ部屋の方には伝えてあったからだ。
『かなりしんどいですねー』と答えると『何かあったら言ってくださいね。』そう言ってくれたのが最後の記憶。その後の記憶はおそらく、MRIにに入れられる前に、廊下をガラガラと引かれるストレッチャーの上だった。まるで、映画さながら担当医2人とと看護師が焦った様子で、ストレッチャーを急いで押し通し、まず私の意識レベルがどれぐらいあるかどうかを確認するため肩と足の付け根を思いっきりぐりぐりされ多分針も刺され鈍い痛みがして顔をしかめたの覚えている。その後MRIに入り救命救急24時さながらの123の掛け声とともに機械に入れられ脳波を調べられた。そこからまた記憶が消え、覚めたとき私はどこかわからない。病室に1人でいた。傍には私の手荷物と思われる品が何点か置かれポータブルトイレもそばに設置されていた、とにかくトイレに行きたくてポータブルトイレでトイレをするが、ティッシュがどこにいるかあるかもわからない。時間だけがすごくすごくゆっくりと進んでベッドに這い上がり窓から空を見上げると、周りのビルの景色でいつもの病室よりもかなり高いところに移動させられたと分かった。
傍にはスマートフォンが置かれていたけれど、スマートフォンを触る、指の感覚がおかしくて、文字が打てない。しばらくして看護師が入ってきた。状況を尋ねると、トイレの後痙攣を起こして意識を失ったらしい。同じ病室の方が声をかけてくださったらしく返事がないまま唸り声をあげる私にびっくりしスタッフコールをしてくれたらしい。後で聞いたらこれかなりの声が出てたらしい。たまたま、朝早い時間なのに、担当医も同じ病棟にいたおかげで、迅速に治療はなされ、一応脳には障害は残らないようビーリンサイトを打ち切り。
ただ、目が覚めた時は、ぼんやりとして何もわからない。主治医が来たことは分かってる、ゆっくり状況の説明をし、繰り返し頭が痛くないかここはどこなのかわかるか。日付、生年月日名前。歳、そんな当たり前のことを聞かれた。でもぼーっとして看護師や先生に聞かれた生年月日や今の日付が言えない。自分の名前は言えるが、その他の質問になると出てこない。娘の歳までも。もどかしくてたまらない。答えが出てこないのだ。その日、1日時間の感覚はなく、窓から見えるのはゆっくりゆっくり流れる雲と青空。
とにかくひとりきりが不安で主人と娘にすぐ会いに来てくれるようにほぼつかない手でLINE送ったの覚えてる。ただ、そのLINEも、誤字脱字だらけで、主人と娘は相当怖かったと後に聞いた。主治医から予め結局意識を失っていたのが1時間ちょっとで今は問題ないということで、主人と娘は仕事が終わり次第駆けつけるいう事でやはりひとりきり景色のいい部屋に放置。
たまに看護師が来て点滴を入れ替えるが、その表情は明るくまるで何もなかったかのよう。動けるけれど話せるけれど、言葉が出てこない。不思議な感覚。ただ、ひどく疲れていて、頭がぼーっとして、だるくてたくさんの点滴を打たれているせいか、ただただトイレに行きたかったのを今でも覚えている。
そこからの記憶も曖昧で寝てしまったのか気がつくと、主治医が立っていて今晩一晩は集中治療室に泊まることになりますと説明を受けた。一応意識はあるし大丈夫だけど1日だけは様子を見させてねということだった。
ICUのその部屋はその晩私しか居なく いようで機材がたくさん置いてある部屋と思ったら、何の事は無い。だだっ広い大部屋の一室みたいな感じだった。ただ、遠い所から何かのモニターの音がひっきりなしに薄く聞こえていた。
続きます。