まもなく訪れる6/23は、沖縄慰霊の日だ。

その日は、沖縄戦での組織的抵抗が終わった日とされている

 

それと関連して、今年の1月に沖縄戦に関係した書きかけの記事があったのでアップ。

といっても、話は沖縄戦からなぜか私の爺さん、そして母の話に移っていき、結局、積丹ブルーの海は美しいっていう感じで、ごくごく最近の写真をアップした記事です。

 

ま、ひとりごとです。

母の追悼でもあります。

 

最後にある積丹の海の写真以外は、

つまんないと思います。

明るい話でも、笑える話でもありません。

 

 

・・・・・・・

 

 

さて、今年2024年の1月末頃、あんまりテレビに出ないとかいう元外交官の佐藤優さんがNHKのクロ現に出てた。彼の本は、何冊か積んであるはず、うちの本棚に。(→ まだ読めてない。)

 

 

番組は、国際情勢とか日本の役割とかの話もあって、それはさもありなん、ボクらもそんなふうにできればいいよね、って内容だったような気がする。

 

また、放送のすぐあとぐらいに、

他の方がその辺のとても大切なことを記事にしていたような気がする。

でも、ここには、その話は書かない。

 

そのかわり、放送の中で、ただ一点、私の目と耳を奪った話があった。

それに関連して書きたくなっちゃった。

 

まず佐藤氏、着ている服が「かりゆし」ウェアだということに触れたうえで(→ 言われるまで気が付かなかったよ)

 

実は、佐藤優さんのお母様が「うちなーんちゅ」で沖縄戦の時、非常にまれなケースだけども軍属として軍と行動を共にしてたんだって。で、首里の攻防戦にも参加して、その時に自決用に手りゅう弾を二つ渡されていたんだって(内容から「ひめゆり」部隊ではないと思ったけど)。

 

 

で、いよいよ6月末ころか?、日本軍が組織的抵抗を終えたころ、摩文仁付近でお母様が他の16名と穴、つまりあの辺の琉球石灰岩のよくある穴(鍾乳洞というか、割れ目というか)の中に潜んでいたところ、とうとう米兵に見つかったんだって。

 

で、お母様、手りゅう弾の安全ピンを抜いて、穴の壁にたたきつけようとしたときき・・・・・、山部隊の髭ボーボーの伍長が、

 

 

「死ぬのは捕虜になってからも、できる」

 

「ここは捕虜になろう」と言って止めて、

 

 

それでお母様、何とか生き残ったんだって。で、お母様はその後、死ぬ瞬間まで、「もし自分があそこで手りゅう弾を爆発させていたら自分だけじゃなくて、16人巻き添えにして殺してた」。これを非常に、言ってたんだって。

 

で、佐藤氏は「命は何よりも大事」(ぬちどぅたから)と母から沖縄戦の体験を通じて(ずうっと)言われていて、その影響は自分自身の中にも、あると思うんだって。

 

 

 

うん。。。

 

 

いや、知らんかった。

佐藤氏にうちなんちゅの血が流れてること、

まして、お母様がそのような体験をされていたことなんて。

 

 

・・・・・・・

 

 

で、私の心がぐっと来たのはね、命こそなんちゃらとか、沖縄の米軍基地負担が日本全国の中でなんちゃらとか、ウクライナがとか、ガザがとか、戦前の日本の教育がなんちゃらとか言いたいんじゃなくって、

 

 

佐藤優さんのお母様と他の人々の命を救った「山部隊」の髭ボーボーの伍長・・・

 

 

ん?

 

 

「山部隊」・・・

 

 

・・・・・・

 

 

そこに注目?

 

ミリオタ??

 

 

いやね、山部隊って、第24師団のことでね、

軍都・旭川で第七(しち、ナナとは読まない!)師団の下で編成して満州に行き、その後、沖縄本島に転進して全滅(玉砕)した師団なのよ。

 

ちなみにいうと、三浦綾子の小説『銃口』の主人公、北森竜太が徴兵された部隊なのよ。ま、彼は満州で入院しているうちに部隊が転出しちゃって、幸い沖縄にはいかなかったけどね。

 

 

 

さらに言えば、少し前、映画の『ゴールデンカムイ』が上映されてたらしいけど、あれに出てくるのが旭川の第七師団でね、旭川で編成された第24師団は、まあ第七師団にとっては、弟分みたいな感じね。

 

(そんなに面白い漫画ではないと思う。明治末頃の北海道・樺太やアイヌのことが描かれてなければ、一部倒錯的な、ただの乱闘マンガじゃね??)

 

 

・・・・・

 

 

マンガから話を戻そう。

ちょっと気になって、昔の写真(→ あぁ、もう10年前か・・・)、

旭川の北鎮館、つまり旧第七(しち)師団の付属博物館を見学した時の

 

 

ピンぼけ記録写真で確認すると、

 

 

確かに、第七師団が編成・補充を担当した部隊として、

 

S14.1.14 独立混成第7旅団

S14.2.7   第35師団

S14.2.11 上敷香陸軍病院

S14.5.23 樺太混成旅団(→ 後、第88師団に改編。「9人の乙女の悲劇」関係ね。)

 

ときて、

 

S14.8.8   第24師団と第89連隊、と来ている。

第89連隊は第24師団の麾下(きか)なんで、まあ一緒と考えていいしょ。

 

つまり、山部隊(第24師団)の多くが北海道人

で、満州で防衛にあたっていたけど、本土決戦のための「捨て石」として、亜熱帯の沖縄に移駐、そしてそこで多くの人が戦死した、ということ。

 

 

なお話はそれるけど、上の表の「上敷香陸軍病院」というのも樺太戦と関係があって決して看過できないんだけど、まぁ、今はいいや。

 

 

で、24師団関係もあって、ご存じない方も多いと思うけど、

北海道人、沖縄戦では、10,805名が死んでいて、

その戦死者数は、沖縄県民に次ぐ多さ(県民に比べれば、一桁小さいけど)。

 

 

この番組、『北海道スペシャル 北海道兵、10805人の死』は、昨2023年のお盆時期に、NHK北海道で放送してた。ひめゆり学徒の宮良ルリさんの証言にある「すずらんの兵士」を探す番組だったんだけど、ま、この話はまた違うときにしたいけどね。

 

 

 

(すずらん↓)

 

で、今回は、ミリオタみたいな話をしたいんじゃなくてね、

私の出生に関して、ひとり言を書きたくなったんです。

一応、昨春亡くなった母を追悼・追慕しながら。

 

というのは、私が存在しているのは、つまり母(S14年8月頃出生という)が存在しているのは、実はこの旭川への徴集と関係があるんで。

 

父母から聞いた話なんだけど、わたしのばーちゃんの『見よ!』ちゃん(→ あのブロシュアーじゃない)は、好きな人が旭川に召集されてしまって、それでわざわざ静内(しずない)近辺から旭川まで、その彼に会いに行って、で、そこで母を身ごもっちゃったんだとか。

 

 

ん?

ラブロマンス?

いや、違うよ。

 

 

どちらかというと悲劇かも。

 

 

実は、自分、母方のじーちゃんに一度も会ったことがない。

いや、じーちゃん、戦争で死んじゃったとかいう悲劇的な話じゃなくって、

いや、もっと悲劇的かもしれないけど、戸籍上、母が認知されていない、という話。

 

 

母にその辺の複雑な家庭環境があったということで、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な議論にはなるだろうが、将来、子どもの一人がうっかり某新興宗教に入信するという、残念な結果に至っている(→ オレだよ。ゴメンね、母さん)。

 

 

ま、そんな話はいい。言いたいことは、つまり私の母方のじーさんは(部隊名は知らんけど)、旭川で同時期に召集されていたというんで、ひょっとすると沖縄戦に参加していたのかもしれない。

 

 

ひょっとするとだけど。

 

 

そして、佐藤さんのお母様と他の人々の命を救った

「山部隊」の髭ボーボーの伍長は、

ひょっとすると、ボクの爺ちゃんだったのかもしれない。

 

 

 

いや、それは絶対にないと思う。

「山部隊」の髭ボーボーの伍長は、

人命重視の人だよ。

 

 

 

一方、ボクのじいちゃんはばあちゃんを孕ませておいて、

母を認知しない、とてつもない無責任野郎だよ。

母がそのことで障害、どれほど深い傷を負っていたことか。。。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

なんの話かわかんなくなってきた。

 

 

 

言いたかったことは、

 

佐藤氏のお母様が沖縄戦で生き残れたのは、山部隊の髭ボーボー伍長に自決を止められたからで、お母様はその後「もし自分があそこで手りゅう弾を爆発させていたら自分だけじゃなくて、16人巻き添えにして殺してた」と、亡くなる瞬間まで非常に言ってたこと。

 

山部隊(第24師団)は旭川で編成された北海道兵が主体の部隊。

 

北海道兵は沖縄戦で10,805人が亡くなっている。沖縄県民に次ぐ多さ。

 

ボクの(会ったことのない)爺さんは旭川で徴集されているので、かなりひょっとするとだけど、沖縄戦に参加していたのかもしれない。たぶんそれはないと思うけど。

 

・佐藤優氏のお母様と周囲の16人を救った山部隊の髭の伍長は立派な方だと思うけど、オレの(会ったことのない)爺さんは無責任でヒドイ野郎だ。

ま、爺さんには恨みもないけど(会ったことないし・・・・・)。
 

 

 

母よ、生前、あなたの哀しみを私は全然、受け止めることができてなかった。

それはそれで申し訳ないと思う。

すまん。。。

 

 

 

45年ぐらい前だろうか、

母が何度も見たがった積丹のブルーのこの、美しい海を見ながら、

今、そう思う。

 

 

 

 

 

 

6/23は沖縄戦で組織的抵抗が終わった日。

沖縄県ではその日、「慰霊の日」を迎える。

人が死ぬのは悲しいことだ。

 

 

 

かの地と積丹(しゃこたん)とは、この青い海でつながっている。

 

ウクライナでもガザでも、戦争は早くやめてほしい。

 

(記事の終わり)