早いもので、もう今年も11月末。

 

(写真は11月中旬、黄昏時の水たまり)

 

毎年12月、ニュースで「今年の漢字」が発表・報道されている。

昨年2022年は「戦」だったんだって。

ロシアのウクライナ侵攻とか、物価高での生活上の戦いとかの理由だとか。

(→ 日本漢検協会「今年の漢字」

 

で、エホバの証人を漢字一文字で表すと何になるだろう?

 

考えてみた。

皆さんは何を選ぶでしょう?

いくつか思いつくけど、自分的には、やっぱりこれかな。

 

 

 

 

 

 断

 

 

 

 

 

そう。


「独断」「遮断」「分断」、

「断言」「断念」「中断」、

「断罪」「断行」「断絶」「断交」、

「断腸」「破断」「言語道断」、

そして「英断」「お断り」。

 

某カルト宗教は、「断」だらけ。

 

まあ、私が見てきた範囲で振り返って、

大雑把な傾向を言えばなんですが。

 

・・・

 

例えば、某カルト宗教の今でいう”聖書レッスン”に応じると、やがてネットや本なんかあんまり見ないように言われ、かつ、何じゃこの自画自賛で「独断」的で、牽強付会(→ 最近知ったよ、この言葉:けんきょうふかい)の議論が横溢する雑誌が必読になりますから、一般的な情報や常識から「遮断」されます。

 

「独断」の組織が情報「遮断」します。

 

まあ、カルトの特徴だわな。

 

 

 

で、いったん信者になると、ふつうに仕事をすることは勧めららず、ひたすら宣教活動ばかりが推奨されます。もし”開拓者”にでもなれば、結果的に小さな宗教コミュニティーの中で生きていくことになるので一般社会からは事実上「分断」されます。

 

一般社会と信者の「分断」をすすめます。

 

 

 

そうための「断言」もひどい。

例えば、”世の人”すなわち一般人は、神から離れていて、倫理観がひどく、不道徳で、サタンの影響下にあるんだとか。(→ あんたはどーなん?)

他の宗教は「大いなるバビロン」であり、汚れた崇拝を行っているんだとか。(→ あんた自身はどうなん?)

一方で自分たちは”清い民”なんだとか。(→ 別にそうとも思えなかったけどな。)

 

世(=一般社会)やほかの宗教は悪だ、サタンだ、と「断言」します。

 

まあ、信仰・信教・表現の自由があるから、そういう信仰を持っていても不法ではないんだろうけどさ、自分はどうなのさ。

良いかって? 世以下でしょうが。(→ つまらんおやじギャグは夏に聞きたかった。)

 

 

 

そうそう、で、もっと問題なのはね、そんな教えを幼いころから植え付けられて育てられる2世信者ですよ。事実上、JW信仰が強制され、普通の人生を歩むことを「断念」させられます。進学、就職、恋愛、結婚、子どもを持つ、等々のことを事実上、「断念」させられます。某カルト宗教の教育目標はまるで”宣教マシーン”を作成することのようでした。確か、子どもがハルマゲ丼を生き残るためにそうすることが必要だとか言ってたと思いますが。

 

自分の子どもにふつうの人生を歩むことを「断念」させるって、異常な宗教だな。

 

最近、厚労省でもはっきり定義づけられましたけど、信仰の強制は子どもに対する虐待。そう、人権に対する罪。いや、ここまでくると人類に対する罪だな。

ま、だから”カルト”って言われちゃうんだけどさ。

 

 

 

またその某カルト教団は米国”反知性主義”の流れをくむので、高等教育(大学教育)を否定、というよりも事実上禁止しています。だから基本、2世信者は能力があっても進学を「断念」しなくちゃいけないし(※2)、学業を「中断」して退学する人もいるね。

 

大学での学びを「断念」「中断」せざるを得なくなります。

 

2世信者への信仰強制に伴って起きるから、これも完全に日本国憲法違反。

 

これまあ、昭和20年代の「戦後復興期」とか、昭和30年代から40年代前半ぐらいまでの「近代過渡期」(※1)なら、ま、しょうがなかったね、日本はまだまだ貧乏だったからね、大学出なくてもチャンスはあるよ、で済んだかもしれない。

でも大阪万博以降の「近代成熟期」(※1)やまして21世紀の「知識基盤社会」でそれを信者全体に強要するって、かなりの時代錯誤でしょ。(※2)

 

 


一方で某カルト宗教内部はけっこうストレスの多い宗教コミュニティーだからでしょう。仲間の信者を噂話で「断罪」したり、ひどい時には長老が率先して自分の気に入らない信者を(時にはよくわからない理由で)「断罪」して、排斥措置を「断行」したりもします。

 

「断罪」を「断行」する組織なのね。

 

中野信子が『ヒトは「いじめ」をやめられない』って書いてたもんなね。

某カルト宗教信者も、ただのヒトですものね。

 

 


ちなみに、自分から信者をやめることを「断絶」と言いますが、排斥されたり「断絶」したりすると、元の仲間とは挨拶も口もきけない程に「断交」されます。

 

これ、あの小さな宗教コミュニティーに心理的に依存し、しかもそこにしか人間関係がなくなった人にとっては、とてもつらいことですね。

 

自ら「断絶」した信者や(よくわからない理由も含めて)排斥された信者には、

完全な「断交」が待っています。

 

 

 

しかもこれが2世信者の身の上に降りかかると最悪。

だって親子が会ったり挨拶の言葉をかけてもならないんだから。

親か子どもが生きてる限り。

 

親子とも「断腸」の思いだろうが「断交」しなくちゃいけない。

ふつうの親子関係が完全に「分断」「破断」されます。

まあ、人道に対する罪だわな。

 

「言語道断」だよ。

 

 

 

なので、数年前からNHKが宗教2世に関して調査・報道・ドラマ作成と続いてきたのは「英断」ですよ。しかも先日のドラマはNHKを代表する番組、「Nスぺ」での放送ですよ!

 

「Nスぺ」!

私たちは本当にこの世界を知っているでしょうか。激変する社会、生きる人々のリアル、そして大自然のスペクタクル。地を這う取材と圧倒的な映像、想像を超えたストーリー体験があなたの生き方をも変えるはずです。

こちらとしては受信料、真面目に払っている甲斐があるというもの。(→ 受信料が安くなるのはありがたいよ、もちろん。)

 

 

 

あとキリスト教的に言えばだけどね、某カルト宗教は”キリスト教”と称してはいますが、”キリストの愛”や”贖い”を深めて教えることなんてほぼほぼなくって、しかも強調されるのは”エホバ神”と”統治体”ばかり。

 

で、信者をひたすら”集会”と”宣教”に駆り立てます。

あれ?

キリスト、どこ行っちゃったんだろう?って感じ。

 

某カルト宗教のやってることは”キリストの愛”との「分断」を進めているとしか思えませんでしたね。

 

 

 

最後に、10年ぐらい前の話だけど、子ども時代に自分が仲間の信者・教団から受けた性的虐待に関して、キャンディス・コンティさんみたいに、被害者をこれ以上生まないために「英断」を下して提訴、勝訴した例もあります。

 

 


結論。

 

 


某カルト宗教「お断り」。

 

 

 

ま、信者一人一人を人間としてお断りする理由は全くないけど。

(→ 尊敬できる立派な人にも会ったし)


でも、某カルト宗教組織、それ自体についていえば、

残念だけど、そうするのが一番賢明な選択かな。

 

 

 

自分の20年余りの某カルト宗教信者人生を振り返って、心からそう思う。

時間や機会といった、貴重な資産の浪費だった。

 

 

 

そう。

しあわせとは反対側にある、あの組織。

 

 

 

振り返ってみて、心からそう思う。

 

 

 

・・・

 

 

さて、話を今年の漢字に戻しますけど、

「断」の反対とも言える「絆」がその年の漢字になったのは、

2011年、震災の年でした。

 

今年を表す漢字は何になるだろう?

 

 

「猛」暑の猛かな?

 

 

妙に暑い夏、暑さの続く夏だった。。。

 

 

 

 

(参考資料)

(※1)

「近代過渡期」「近代成熟期」の具体的内容については今回触れなかったけど、宮台真司2008年『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』(ちくま文庫版2013年)の「4⃣〈理想〉と〈現実〉-君が将来就く「仕事」と「生活」について」でざっくりとわかりやすく説明している。自分、今この本を読んでるけど、こういう本はホント、若い時に読みたかったね。率直で読みやすく、腹に落ちる感覚。

 

JW2世3世の中には「あたしって生きずらい。まだマインドコントロールされてるのかしら?」と妙な不安を抱いている方もいらっしゃるようですけど、そういう方なら、まずは手に取ってみて。”世の中の学び直し”にもピッタリじゃないですかね。

 

 

 

(※2)

社会が「近代成熟期」になっているのに大学進学を抑止・禁止することがいかに時代錯誤である件は、森本あんり2015年『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)の大衆伝導家ビリー・サンデーを扱った第7章でも次のように触れられている(p238‐239)。

 

あなたがJW信者であったなら、なんかどっかで聞いたようなセリフがちらほら見えて、失笑するかも。

少し長いけど、よかったら読んでみて(太字化はわたし)。

 

 

19世紀に大富豪となった鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、教養や知性をこんな言葉で軽蔑している。大学では、ギリシア語やラテン語のような「インディアンの言葉と同じように何の役にも立たない言語」を学んだり、ツキディデスの『ペロポネソス戦争史』のような「野蛮人同士の取るに足らない争いの詳細」を学んだりするが、みなまったくの浪費である。そんな教育は、学ぶ者に誤った観念を吹き込み、現実生活を嫌うことを教えるだけだから、大学など行かずさっさと実業界に出たほうがよい。

アメリカの反知性主義は、ここでもヨーロッパを秘かな対抗相手に見立てている。アメリカにとって、ヨーロッパとは過去のことであり、過去とは腐敗の堆積に他ならない。新世界アメリカは、ヨーロッパという過去を逃れ、その腐敗から脱してきて作られたのだから、過去の文化から学ぶものはないし、そんなものを学ぼうとする知的な精神は有害なだけなのである。純粋無垢の「始原に還れ」というピューリタン的なかけ声は、新世界を拓くアメリカ精神によく合致した。


事実それは、そのような「たたき上げ」が可能な時代だった、とも言える。フランクリンが科学的な実験を行ったのは、粗末な薪小屋だった。リンカンは丸太小屋から弁護士になり、フィニーは独学で大学の学長になることができた。そういう実例を見ていれば、高等教育はどうして無益なものに映る。ほとんどの実業家や専門人は、正規の教育を受けることなく立身出世を遂げることができた。カーネギーだけではない。鉄道で財をなしたスタンフォードやヴァンタービルトも、この時代の恩恵にあずかった。

 

だが19世紀も末になると、こうした「たたき上げ」の理想が徐々に時代遅れになってゆく。産業の規模が急速に拡大して、徒弟の手作業や職人の経験知だけでは間に合わなくなるからである。スタンフォードやヴァンダービルトのような人は、ちょうどその両方の時代を経験したために、自分自身は教育がなくても成功できたが、新しい時代には教育がないことで密かな劣等感を感ずるようになった。だから彼らは、手元にある大金を投じて大学を創ることに精を出したのである。大学をさんざんに揶揄していたカーネギーも、後にはみずから大学を創立し、多くの大学に図書館を寄贈している。

 

 

スタンフォード大学ヴァンダービルト大学カーネギーメロン大学。ボクでも名前を聞いたことのある大学もあるけど、始まりにはそんな背景があったのね。

 

一方、JWとは、創立当時の米国19世紀の「反知性主義」をその教理の中に遺伝子として保存する、ある意味時代錯誤のままの、実にアメリカ的な宗教と言えましょう。

 

 

冒頭の写真と同じ水たまり。

時間と方向を変えて見てみると、同じものでも全く違って見えます。

 

・・・

 

またずいぶん時間をかけて、長くなってしまった。

自分のやらなきゃいけないことをやろう。

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

 

(記事の終わり)