前回の記事でいただいたコメントにしたがって、グラフを一枚追加で描いてみました。

「聖書レッスン数」と「バプ数」を重ねたグラフです。

 

うん、ご提案ありがとうございました。

けっこう、面白いグラフが出来ました。

早朝、テレ東の「モーサテ」で見ているような。(笑)

 

 

で、何が分かるかな?

 

 

【日本の聖書レッスン数とバプテスマ数の推移】

 

グラフを3期に分けて考えます。

 

① 2008年から2016年(コロナ以前)

② 2021年から2022年(コロナ禍)

③今後の予想(まだグラフに描かれていない)

 

まずは、①。

 

2008年度→2016年度を見ると、「聖書レッスン」数が横ばいなのに、その結果としての「バプテスマ」数が減少している。両者に相関がみられない

 

・ これは「聖書レッスン」の内実が形だけのモノ、数字だけのモノになっていった様子を示していると考えられる。(戸口で3回会って動画再生出来たら「レッスン」計上、みたいな。)

 

次に、②。

 

・ コロナ禍の影響がはっきり出ている2021年度→2022年度では「レッスン数」は想定のほぼ半分、約50%に減少。しかし「バプテスマ数」に大きな変化はない。

 

コロナ禍で減少した今までの半分、約50%の「レッスン数」は、かつては(「聖書研究」と計上されていなかったような)戸口での「対面形式」の「再訪問」レベルの件数で、しかもほぼほぼ「バプテスマ」にはつながらないようなレベルのものだったようだ。

 

・ つまりコロナ以前の「レッスン数」の約半数は「宣教結果」という点では、ほぼほぼ無意味。奉仕者の自己満足を高める効果しかなかったのだろう。

 

 

 

話はそれるけどね、いやね、そうでもしないとやってられないよねぇ、あの組織、あの信仰。

実際、『あなたを幸せにする良いたより』が、自分や家族を不幸にしてたんだもんね。

あれだけ一生懸命、必死に頑張ったのに。

 

「幸せは山の向こう、悲しみは背中にしょってるのさ」

(アレクシエービッチ『戦争は女の顔をしていない』。コミック版は小梅けいと)

 

 

JW信者の抱えるやり場のない不幸を、どなたか癒してあげてください。できるものなら。

 

 

 

で、話をもどして、

 

2008年-2009年(「聖書研究」としてちゃんと計数されていた時期かな?)2021ー2022年(コロナ禍の時期)だけを比べると、「聖書研究(レッスン)」数と「バプテスマ」数がちゃんと対応しているように見える(まぁ、2か所だけ見れば当然そうなるんだけどさ)。

 

・ でも仮に計算して見ると、2008年は「研究(レッスン)」のうち2.2%が「バプテスマ」につながり、2021年は同じく2.3%が「バプテスマ」につながっている。つまり、まあ、本来的な「研究(レッスン)」数であれば、その約2%が毎年「バプテスマ」につながっていたと考えてよいのかな? 検証が必要だけど。

 

・ で、作業仮説だけど、日本の「バプテスマ」数/「研究(レッスン)」数の比が時代で変わってきたのであればその推移日本での伝道の“産出性”の推移を示しているかもしれない。またその値の世界比較・時代比較をしてみれば、どこの地域・国のどの時代が”産出性"が高いのか低いのかがわかるかもしれない。で、その情報が得られれば、JWとは「どういう宗教運動」なのかを理解するヒントが得られるかもしれない。まあ、やってみないと分かんないけどね。

 

 

最後に、ポストコロナの今後③はどうなるかな?

 

数年かけて「聖書レッスン」数が以前のレベル近くまで回復するかな? 数だけは

 

「バプテスマ」数は、回復しない。低下を続ける

 

・これって、JW教理的には聖霊に見放されて呪われてる状況なんでしょうかね。そうであれば、日本支部委員の皆さん、スケープ・ゴートにされないように気をつけてね

 

・ しかしバプ数が低下を続ける理由って何ってね、最近のバプ者ってJW3世世代がメインらしいですからね。超少子高齢化のJWでは、どのみち、どんづまり。しかも「宗教2世問題」も社会に認知された今日ですから、バプには一定程度のブレーキが働くはず。

 

画像は毎日新聞 『「親から体罰、希望していた受験もできず」 エホバの証人3世訴え』より、元JW3世夏のななさん(仮名)。 しかし、お綺麗な方よねぇ。統一教会の方もお綺麗だったけど。お二人の雰囲気の違いは宗教の違いから来てるのかなぁ、なんて思いましたね。E年した元1世オヤジが、ニュース見て何考えてんだか。

 

・ それに今までバプの重要な供給源と思われた「未信者のご主人」在庫も、そろそろはけてしまったんじゃないでしょうか。それにここまで「宗教2世問題」が社会に認知されちゃうと、未信者のご主人もバプには踏み切れないですよねぇ。
 
最近の大会での"バプテスマ・ショー”から見られる状況は、どうなんでしょうか?
 
 

【画像引用元】

・ マンガの写真

 

「霊的な闘いを!とか煽っておいて、信者の幸福は全然考慮しない組織。それが「祖国防衛戦争」を戦ったあの大国の独裁政府と妙に重なる。

まぁ、家庭を犠牲にしてまでも献身を求めたような、日本企業の在り方とも重なるかもしれませんがね。

 

・ 元JW3世の写真

【編集後記】

あ、で、この記事のオチは・・・・? (考えてなかったよ、おい。)

う~ん。。。。

 

ま、来年発表のバプテスマ数がどうなるか、どの程度減るのかが注目点ですが、正直言うとですね、個人的にはそんなのどうでもいいかな。

 

自分、JWにうっかりなってしまって、何を一番後悔しているかというと、ずいぶん親不孝してしまったな、ということ。JWになっていなければ得られたはずの自分のささやかな幸せとか、それに比べれば別に大した損害じゃないと思う。

 

だって、聖書にもこうある。

 

マルコ7:9 イエスはさらに言った。「あなた方は自分たちの伝統を維持しようとして,神のおきてを巧妙に退けています+。 10 例えば,モーセは,『父と母を敬いなさい+』,そして,『父や母に暴言を吐く*人は死刑にしなさい+』と言いました。 11 ところがあなた方は言います。『誰でも父や母に,「私の物でお役に立ちそうな物はどれもコルバン(つまり,神に献納された供え物)なのです」と言ってよい』。 12 こうして,父や母のために何一つさせません+。 13 自分たちが伝える伝統によって神の言葉を否定しているのです+。ほかにも,似たようなことをたくさん行っています+」。

 

自分、ずいぶん親不孝したと思う。

母にはちょっぴり謝ることが出来たけども、

父にはもう謝ることもできない。

 

でもJW組織はたぶん言うんだろうね、「それは一部の信者が先走って行ったことです」って。

 

なので私の願いは、今後、おひとりでも、被害者が減ってほしい。

 

そういう意味では、今後のバプテスマ数の減少を注目したい。

そして、そのために努力している宗教2世に、心から敬意を表します。

 

ん?

で、私は何をするかって?

 

・・・・・・・

 

とりあえずお酒を飲みます。

悲しみはお酒では癒えないけれど。

きっと「幸せは山の向こう」なのかもしれません、JWに関わってしまったばかりに。

 

 

古賀メロディー、「丘を越へて」。1931(昭和6)年発表。

 

 

「山」は越えられなくても、「丘」ならなんとか越えられそうだ。

 

たぶん。

 

(記事の終わり)