私は、今日も幸せです
先日、本当の望み、と言う記事を書きましたが。
これはね、亡き父にも背中を押された感があるのです。
2度目のコロナに感染し、熱も高く、寝ては起き、起きては寝て、ってしてる頃、めっちゃ父が夢に出てきたのです。
父は、28年前に亡くなっていますが、昔、バイクに乗っていました。
むか〜しの免許なので、車もバイクも、何でも乗れる免許で。
もちろん、教習所なんてなくて、田んぼの中とかで、無免許運転で練習して、試験場での試験。
一発合格だったらしい。
何度も受けている人と一緒に行って、まぁ、練習のつもりで受けろよ! なんて言われて受けて、父は合格、その人は、また落ちたらしい…
私が、バイクに興味を持ったのは、父の影響だと思います。
そうそう! 私がKawasaki推しなのも、父の影響なのかもしれません。
昔、父が乗ってたのが、Kawasaki車だったらしい。
なんてバイクかは聞いてないけど、革シートの良いバイクだったんだぞ〜! とは聞いた。
で、父は、テレビで、車のレースやバイクレースを良く見てました。
…と言うか、とにかくテレビを見る事が好きな人でした。
休みの日は、ずっとテレビ。
面白くもないB級映画を最後まで見て、つまらなかった とか言ってたな(笑)
だったら見なきゃ良いのにね。
チャンネル権は父にあり、私は、ひょうきん族とかも見てないんですよ…。学校で、みんなの話についていけなかった…
教育上良くない、と言う思いもあったようですが。
とにかく、自分が見たいのを見る! 俺のテレビだ! と言う感じでした。
で、私、レースはそんなに興味がなかったけど、トライアルだけは好きだった。
速さだけを競うんじゃなくて、バランスとか技量を競う感じがすごく楽しかった。
特に、屋内でやってるやつが好きでね〜。
止まりながら、それも狭い所を、体重移動だけで、フロントタイヤの向きを変えていくのとか、見ててワクワクした
あ、で、話が反れましたが…。
父が夢に出てきて、珍しく話してきたんです。
たまに父が夢に出てくる事はあるのだけど、いつも言葉はなく、微笑んでいるだけの事が多いのですが。
…が、今回は、いっぱい話して。
バイクの免許取ったんだなって言われたの〜
まぁ、父は車もバイクも反対はしてなかった。
けど、車の運転は、最初の頃は良く怒られてました。
でも、そのうち一人でも乗るようになり、気をつけろよ、とは言われてた。
でね、今回、バイクの免許については、バイクは楽しいぞ〜って言ってた
意外だったけど、この俗世の父親としての立場ではなく、あの世で仏? 魂? としての立場? になったら、そんな事言うのね〜と思った。
もちろん、夢なんでね、本当に父の言葉なのか? そもそも、本当にあの世とか、仏とか魂とかあるのかもわかりません。
が、私は、父からの言葉で、父も応援してくれてるんだな〜って思いました。
で、昔、少しだけ思ったの。
父とツーリングに行けたら良いなぁって。
父は厳しい面もあったし、理不尽な事を言われたり、されたりもあったけど、基本お父さんが好きでした。スリムでおしゃれなカッコいい自慢のお父さんでした。
で、こんな年になってじゃなくて、若い頃に免許取ってたら、お父さんとツーリングに行けたのにね、と言うと。
お前は付いてこれないよ…と言われましたわさ
夢の中の話ですけどね。
まぁ、お父さん、車の運転もめっちゃ上手かったし、スキーも上手かったらしいし、バイクもめっちゃ飛ばしてたんだろうな〜、とは思いますが。
車も、名古屋から長野へ行く時は、いつも夜中に19号をキンコン鳴らしながら(時代ですね〜)、時にはイエローカットもしながら走ってました。
運動神経とか、反射とか、父に似ていたら、もう少し、マシな運転が出来たかもしれないけど、どうやらその辺は母に似たみたい(笑)
母は、自転車も、私より後に乗れるようになりました。
今気付いたけど、母も30代後半に、それまで乗ってなかった自転車に乗る! と言うチャレンジをしたんだね〜
家の母、とっても小さいんです。
若い頃でも身長142cmくらい。なので、従姉妹のお古の子ども用自転車に乗ってた。
またまた話がそれましたが。
父は、長野の山奥の育ちなので、冬の通学はスキーで山越えて行ってたらしいし、そりゃ、上手いよね。
行きは、スキーで30分、帰りは、ほぼ登りだから2時間とかだったらしいけど。
スキー板も、竹で作った物で、先を火で炙って曲げたって言ってましたね。
でも、スキーも一緒に行く事はなかったな〜。
私も、姉も、スキーはやっていたので、家族で行こうよ〜と言った事もありますが、今やったら骨折しそうだ、って行ってくれなかったのです…。
雪道運転もへっちゃらなんで、連れて行ってくれるだけでも良かったのに、それも叶わず…でした。
アラフィフの頃は、寒いのが嫌だ、と言って、冬はこたつに入ってテレビを見ている父でした。
56歳で亡くなった父の晩年はそんなだったけど、応援してくれてるのはわかったし、私は、楽しく活動的なアラフィフにしたいと思います
キレイでした