空腹で眠れないことが頻繁にあり、寝る前に食べるのが習慣化しているのが怖いです。何か対策はあるでしょうか…



もしもこの問いに興味を持たれたら、自分はどう感じるか、どう思うか、心の中で考えてみてくださいヒマワリ


私は、こうすればいいよっていう一つの答えは導き出せないので、それぞれの人がそれぞれに今いる地点での思いや行動があり、それは正しいとか間違っているの世界ではありません。


摂食障害でも何でも、回復・進歩の道のりは、たった一つの道ではなく、十人十色。きっと全ての人が、あまりのじれったさに、“私は遠回りしてるんじゃないか…”って不安があるんじゃないでしょうか。


効率の良い道ばかり探さず、‘自分の道’を探っていきましょう^^



その中の一つ、私が思うことを書きます。


私も(今の私も)、空腹だと眠れません…。必ずと言っていいほど毎晩寝る前にお菓子を食べるので、空腹で寝ることはないです。


例えば空腹で寝ようとすると、多分眠れるとは思いますが、頭が冴えてしまうと思います。


私は、空腹じゃない方が眠りやすいです。


今の私は、寝る前に食べるのが習慣化しているけれど、それを怖いとは思いません。楽しみな時間、満たされることって感じです。



摂食障害の頃は。


私が過食するのは、夜でした。だから、過食する日は、気持ち悪いくらいおなかいっぱいの状態で寝るってことです。


私が過食症から抜け出したのは、食べて食べて食べまくった方法ではなく、自分にとって心地良い食べ方、量を食べることを習慣付けていったことです。食べ物が本当においしいと感じるのは、ある程度の量までです。惰性で食べることを少しずつやめていく方法をとりました。


だから、過食しない日は、夕食を適度にとり、私は過食しなかったら食べること以外、あれやこれやと色々やる気があったので、自分がしたいことをしながら夜を過ごしていました。


食べ物以外で満たされていると、案外食べたい欲求は静まってくれました。


過食した翌日は、最悪のコンディションで目覚めることになります。でも、過食しないで眠ると、朝ちゃんとおなかが減っているし、すごくいい気分なんです。私はその感覚が好きでした。


朝ごはんがおいしい、今日一日を楽しく有意義に過ごそう、そんな気持ちになれることが大好きでした。


だから、寝る前に間食するにしても、やっぱり量には気を付けました。


それは、太るのが嫌だという気持ちではなく、明日の朝いい気分で目覚めたいと思って。そっちの方に焦点を置くと、あれを食べたらダメとか、何を食べればいいだろうと、ネガティブ路線で行動しなくなるのです。


とにかく明日の朝いい気分で迎えたい、じゃあ今(夜)もめちゃくちゃな食べ方はしたくない。今食べたいと思うものを幸せに食べるにはどうすればいいだろうか…って。


それは、自分の幸せだけを考えていることで、太るか太らないかに意識を向けているのではないです。



私が、数年前に行った美容院、途中で紅茶と少しお菓子を出してくれました。たしか、ホームパイ(ファミリーパックの中の小袋1袋)でした。


その時は午前中に行きました。私はいつも朝食~昼食の間に何かを食べる習慣はないので、頂いておなかが満たされたという感覚ではなく、良い時間を過ごせた、という満たされた思いを味わえました。


普段家での慌ただしい中だと、間食もバーッと食べてしまったり、2個、3個手を伸ばしがちです。


でも、少しのお菓子をゆっくり頂くということで、想像できない満足感があるものだな~って思いました。



まず、幸せな時間、満たされた時間があり、その延長線上に結果ってものがあります。


体重が増えるか減るかは結局、結果です。


私の場合、心地良い時間を過ごすことが第一の目的であり、そうなれば、結果も私の一部として受け入れようか…って感覚になるのです。



何かを食べなくても、温かいミルクや飲み物をゆっくり飲むってこともいいかもしれません^^



ただ、人間って、テンションに波があるのが普通だと思うので、食べたくて食べたくて仕方ないのに無理にゆったりした気持ちを作ろうと思っても、余計にしんどい時があります。


私も、今でも、食べ方や物事のやり方に色んな波があります。いつも一定でできるのは、ロボットだけかな…?


正直、波が嫌で、自分の中でこれっていう一つのマニュアルみたいなのが欲しかったんですが、やっぱり私は色々なんだな~って最近分かってきました。


夜食べるお菓子にしても、次から次へと手を伸ばす日もあるし、少量をゆっくり味わって食べようって思う日もあるし…


まぁ、私は、少量を味わって食べられる気分の時の方が好きなんですけどね^^




ダイエットには付きもののカロリー表示ですが、最近のお菓子や菓子パン類にはほとんど表示されています。


昔、ダイエットのことばかりが頭にあった時は、カロリーブックを買ったりして、食品のカロリーをよく知っていたし、時にはいちいち食べ物の重さを量ってカロリーを出したりしました。


私としては、暇だったんだな~と思います。


そうしなければならない強迫観念みたいなものもあったし、それを楽しんでいる気持ちもありました。



いつの間にか、カロリーなんて全然気にならなくなりました。


よく食べる箱に入ったお菓子などは知っているけれど、食事のカロリーとかは、今は全く知識がありません。


興味もないし。。


カロリーが高いから太るというのも私の中では結び付かない。。


例えば前の日食べすぎたと思っても、体重増えてなかったりってこともあるので、頭で計算するだけじゃないな~って思います。


カロリーが高い低いは全く関係なく、おいしいとかおいしくないとかの気持ちで食べています。


結局カロリーって、その食品自体どうこうじゃなく、それを食べて私たちの体の中で働くエネルギー量ってことでしょ。


食品と私たちは離れているってわけではなく、食べたら自分の一部。


嫌うものではなく、かわいいかわいい自分の一部。



菓子パンを食べる時でも、ふと袋の裏を見て、へぇ~○○kcalなんだ~って思います。


でも、それによって嬉しいとか不安とか嫌だとかの感情は結びつかず、ただ単にそこに数字があるって感覚です。


今、カロリー計算をしろって言われたら、そんなの面倒くさくて絶対にできません!


それよりも、主婦としての私の頭の中は、“これはいくらだろう…”と物の値段を考えているんだと思います。



でも、きっとだいたい毎日同じようなカロリー量を食べているんだろうなと思います。なんとなく。。 人間の体の感覚というのはそういうものかなって思います。



私は、頑張ってカロリーから離れたわけではなく、いつ頃から興味なくなったのかも分からないくらいなので、例えば今カロリー地獄にはまっている人も、無理にダメだダメだって思わなくても大丈夫なんじゃないかなって思います。




私は旦那と知り合ってからもう13年くらいになるんだけど、その間に、本当に色々いっぱい話をしてきました。

しかも、重~い話も多い。


とにかく何かあったらお互い納得するまで話し合う2人なので…


最近私も丸くなってきてひどい喧嘩にはならないけど、昔は喧嘩も本気で、お互い100%の気持ちぶつけるって感じでした。


なんか、人のことって、けっこうシンプルに考えられることってないですか?


“そんなに考えてないで、こうしたらいいのに…”って思ったり。


だから、分かってほしいのに分かってもらえなくて、余計に意地になったり、気持ちが乱れたりってことがお互いにあったように思います。


前は、何かあったらすぐに旦那に話していたんだけど、最近は特に人に話さなくても自分の中で消化してしまえるようになってきたので、何から何まで話すことはないです。


話すにしても、自分がどういうコンセプトで話そうとしているのか考えてたりします。


ただ気持ちを発散したいのか、どう思うか意見を聞きたいのか、ただ伝えておきたいと思っているのか。


それによって話し方も違ってくるし。


本気で意見を聞きたい時は、ちゃんと聞く耳持ちます。(昔は聞いといて、否定してた汗


ただ伝えたいだけの時は、迷いのようなものを混ぜないで、そしてその後そのことについてああでもないこうでもないとだらだら話さないようにしている。


気持ちを発散したいっていうのは、どうしてもどうしても自分一人で抱えられない時や、たまたま私が泣いている時に旦那から電話があって、様子がおかしい…と悟られた時、知ってしまったからには旦那も気になるって感じの時です。


私の中ではこういう時が一番重要で、先に、「私はただ自分の気持ちを話したいだけだから、それはこういうふうに考えればいいとか、こうじゃない?とか何も言わないでほしい」って言っておきます^^


なぜなら、人にとっては感情が伴わないから、冷静に考えられることであって、その視点で分かったようなことを言われると、“私は分かっていないんだ”とか、“私は劣っている”と余計に負のスパイラルにはまってしまうからです。


先に言っておけば、相手も、なぜ私が話したいかということを察するので、「分かった」と覚悟ができるみたいです。


自分の思いや気持ちを、「うんうん」と認めてもらうと、気持ちもすっきりすーっ


なんかその後の会話も、お互いが気持ちを分かり合おうという姿勢になるので、和やかになります^^




摂食障害の人のブログを見ていると、やっぱり自分を否定している人が多いです。


自分の容姿について否定する以外に、考え方や気持ち。


気持ちや感情を否定してしまうと、結局堂々巡り、一つの所にとどまるしかないと思います。


私も散々自分の色々なことを否定してきたから、どうにもならない気持ち、よく分かります。



例えば、誰かを嫌いだ!とか憎んでいるとする。


人を憎むということは悪いことだという固定観念があり、特に私たちは真面目だしいい子でいないと不安だという思いがあるから、その‘悪いこと’を堂々とできない。


‘人を憎んでいては、幸せになれませんよ’こんなことが偉い人が書いた本に載っていたりもします。


だから、幸せを追い求めるあまり、どんな自分になればいいのかばかり見てしまいます。



憎んでいる=本当の私を否定するということは、いつまで経ってもそこから抜け出せないということ。


理由がなんであれ、もしも憎しみという気持ちがあるのなら、それこそが本当の自分。


同じ理由でも、他の人は憎しみを持っていないとしても、自分の中に憎しみがあるのなら、それが本物。


自分の中にどんな気持ちがあるのかを知るのは簡単なことでしょう。正直になれば。


‘憎んでいる自分’を認める前に、‘愛せる自分’になることばかりを見ちゃだめです。


誰かを憎んでいる時に一番大切なのは、愛することではなく、憎んでいる自分を認めること。


その自分を認めれば、自分を愛することができるのです。


なぜ、自分を差し置いて、人を愛そうとするの? そんなことしたら、だめだよ。



腹が立つ、嫌いだ、憎い、そういう気持ちが芽生える度に、自分の中で、ただ感じるの。


相手にその気持ちを伝えるわけでもない、キレるわけでもなく。


それから、他の人(第三者)に言ったり、愚痴ったりすることも悪くはないと思うけれど、よくあるパターンは、‘否定される’ということ。


人は、人にアドバイスしたいという欲求を持っているかもしれないから、正論を並べて‘良いこと’を言ってくる人がいます。


そして、人は、苦しい気持ちと寄り添うのを怖がるので、その人が苦しむのを見ていられずに、苦しまなくてよい考え方(逃げる考え方)を提案してくる。(無意識に)


こういうことを避けるために、自分自身だけで消化するのがいいんじゃないかと思います。


憎しみをずっと抑えてきた場合には、全身で感じなければならないくらいの大きな辛い感情が湧いてくるかもしれません。


ジタバタせずにはいられないくらいの。


布団でも枕でもなんでも叩けばいいんだよ!


涙がいっぱい出るなら、流せるだけ流すこと。


私の場合、憎しみを受け入れた時には、必ずと言っていいくらい、自分自身を抱きしめる気持ちが湧いてきました。


“自分がかわいそうだった”って抱きしめる気持ちが。



今まで何度も湧いては押しこめてきた気持ち。それがすぐにきれいさっぱり消えてしまうなんて思わないでください。


根気よく、何度も何度も湧いてくるそのままを認めるの。


何度も受け入れていれば、憎むこと=悪いことって感じなくなってきたりするよ。う~ん、悪いことって感じなくなるっていうより、悪いことって思ってる自分を遠くから客観的に見る状態になるのかな…


そして、初めは、憎んでいる相手を愛したいって気持ちだったのが、なんか相手を愛するとか憎むとかはどうでもいいか…ってなってきて、何よりも、憎しみを持ったりもがいている自分を慈しむ(いつくしむ)気持ちが大きくなってくる。


受け入れるってことは、今の自分の本当の気持ちを変えようとあれこれ考えるんじゃなく、ただ思うまま感じるままそのままでいれば、勝手に自然に気づけば変わっていたという流れを経験するってことだと思います。




2人目を出産した後は、とても幸せな時間でした。

育児も二度目なのでそこそこ自信もあるし、家事からも解放されるし、何よりも妊娠中我慢した食事が自由にとれること。


2人目の妊娠中も、1人目同様プラス6kgでした。


この時も同じです。赤ちゃんが出たからって、どっと体重が減るってことはありませんでした。

やっぱり1人目の時と同じで、むくみがとれた時点で自然に2kgくらい減った感じかな。


そのことに関しても、別に驚きはなく、こんなものだと受け止めていました。


1人目の出産後は、自由に食べられると言っても、なんか私は余計な思いがあり、出された食事を“いらなかったら残そう”って気持ちがありました。残したいって思っていました。それはやっぱり体重を意識して。


その気持ちがかえって、お菓子を食べても食べてもとまらないっていうのにつながったのだと思います。


今回は妊娠中から、もう変に我慢しないぞ!って決めていたので、病院で出された食事は全部食べました。


毎回必ず野菜と果物が出ます。


1人目の時は出産後便秘になったのですが、2人目の時は果物などもしっかり食べたせいか、自然にお通じも戻りました。


親たちが、「何が食べたい?」と、私の大好きなケーキなどを買って持ってきてくれます。


夕食後、ケーキを2コ食べたりしていました。


でも、食べたい食べたいという欲求に苦しめられることはなくて、いい意味で私は冷静でした。


食べ物に苦しめられる時っていうのは、自分より食べ物が支配する立場にあるって感覚だけど、冷静でいられる時っていうのは、私がいて、食べ物がある。食べ物が一人歩きするんじゃなく、ちゃんと私の手の中にある。そんな感じです。


それは、


食べたいなら、好きなだけ食べていいよ、でも、自暴自棄になるのではなく、2コ食べてまだ食べたかったら、立ち上がって1コとってこよう。まだ足りなかったらまた立ち上がって、もう1コ持ってこよう。


初めから、もうどうでもいいや!って大量の食べ物を目の前に置いて味わいもせず、最後嫌々詰め込むことはしてはいけない。そんなことをするのは、自分にとって何の意味もない。


そんな考えが私の心の中にあったから、食べられることが嬉しい、幸せだと感じられたのだと思います。



食べることは楽しいこと、食べることは幸せなこと、本当はそれを知りたいはず。

だから、吐き気がするほど無理に詰め込んだり、それによって辛く苦しい気持ちになるのは、食べ物に対してとても失礼だし、それは何よりも、自分自身の見方がぞんざいだということを表しているんじゃないかな…。

自分自身の存在を敬っていないということ。




退院してからも、しばらく実家で過ごす中で、変に制限することなく自分に優しく食事をしました。


結局、食べることが止まらないっていうのはなかったような気がします。


体重は減らないものの、母乳をあげているせいか、増えていくこともありませんでした。


1人目の時と同様、食欲は徐々に妊娠前と同じくらいに戻っていったと思います。フェードアウトって感じです。



体重は、(別に体重のことはどうでもいいんだけど、もしかしたら気になる方がおられるかもしれないので。)

妊娠前よりプラス4kgが半年くらいかな~続いて、私としては、別にもうそれでいいか…って思っていました。


ある日、広告でダイエットサプリに目が止まって、ふと“こういうのって、効くのかな~”と思ったのです。


摂食障害時代、頭の中はダイエットダイエットだったので、サプリも飲んだことありました。

でも、過食やなんだかんだで、毎日きちんとした食事をとり、サプリを飲むなんて冷静なことできなく、その効果は全く分かりませんでした。



そのサプリを購入しました。でも絶対に食生活を変えたり、運動はしたくないって思っていたので、ただ飲むだけ。それが効果があったようで、4kg減りました。(5ヶ月くらいはかかりました)




私にとって、摂食障害の過食行動は、結婚する前になくなっていました。

でも、なぜ私が結婚してからのことを書いたかというと、人間にとっての食の異常っていうのは、そんなに特別なことではなく、自然に食べることに逆らえば体の機能がおかしくなってしまう、それは誰にでもそうなる可能性があると思ったからです。体は生きようとしているから、なんとかなんとか命が続くように必死なのだと思います。


私がダイエットに興味を持った頃、親身に、ダイエットの怖さ、食べることの大切さ、人間にとって何が大事なのかを言ってくれる人は、一人としていませんでした。


年をとらないと分からないことは、本当にたくさんあると思います。


だから、周りにいる大人がどんな考えを持ち、何を言ってあげられるかはとても大切だと思うんです。


マスコミや企業は、視聴率を上げること、ダイエット商品を売ることが目的です。だから、より時代に迎合するし、商品が売れるような話をしてくるのは当たり前です。


本当に親身になって、人間一人一人のことを考えられるのは、そこから何も得ようとしていない人たちです。


人間が幸せに暮らしていけるのに必要なのは、そういう声だと私は思います。


利益を求めるがゆえに、どれほどの人間の心が犠牲になっているか。

その一部の人間たちが、どれほど苦しんでいるか…




摂食障害は完治するのか?ってよく言われることですが、

私は、食行動としては、再発する可能性はあると思います。

自然な食を拒めば、必ずそのツケはきます。


でも、“摂食障害が治ったかな…”と実感する頃には、かなり心が変わっていると思います。


だから、食に関することを初め、自分自身の行動に対して以前とは違う見方をするようになっています。


以前に書いた、自分が何をしているか分かっている ってことにより、今自分にとって幸せなこととは何だろうと考えられるようになるので、自分が何かにコントロールされるという状況が少なくなるんじゃないかと思います。



痩せれば全てがうまくいくような気がする、痩せることはどんなバラ色なことなんだろうと思ってきた私ですが、痩せること自体にそんなに魅力があるとは思えません。


‘痩せる’というのは、ただ痩せること。ただそれだけのこと。

もしも、まだ少しでも痩せるということに対して何らかの意味合い(安心感や、自分自身の価値が上がるっていうような気持ち)があれば、その奥には自分自身の劣等感が眠っていたり、何かから逃げていなければ生きていられないという不安が沈められているんじゃないかと感じます。

もちろん私も含め、人間っていうのは誰もがそういう不安を持っていて、無意識のうちに何かに置き換えているものだとも思います。


痩せることでは解決しません。

本当に幸せなのは、劣等感や、逃げたいことを乗り越えることだと思います。



摂食障害が治るっていう状態は、一言では表せないですよね。

何度も書いていると思うけれど、治った時、摂食障害が始まる前の自分に戻っているわけではない。

だから、病気というよりは、通過点と言った方がいいと思うんだけど…


きっとこれも人それぞれたどる道は違うんでしょうね。

私は、心の問題と気づいた時から、“私はここから何を学ぶだろう”と考えてきたので、摂食になる前の私と今の私は全く違います。


でも、ただ単に不幸な病気と捉える人には、健康な状態があり→摂食障害という病気になり→再び健康な状態に戻るって道もあるのかな~と思います。


だからそれ一つとっても、また再発するかもしれないって思いも違ってくると思うのです。


私は、自分の摂食障害において、再発って言葉はありえないと思っています。


同じことが起こったとしても、捉え方が違えば一歩先はまた違います。




ひよここれで、『摂食障害が治ったきっかけ』、書き終わりました。


  読んでくださった方、どうもありがとうございます。


  今回も、コメント欄閉じさせてもらいます。ゴメンナサイクローバー





1人目の子の出産を終え、食欲も体重も落ち着いてからは、過食のようなものもなく、ごく普通に暮らしていました。


私にとって妊娠はとてもとても辛かったこと。

本心は、もう一度妊娠なんて絶対に嫌でした。

でも、ここが私の歪んだ心を表わしていて、もう1人産まないと絶対に納得しない自分がいました。

世間では、‘2人目’って言葉があるくらい、1人産めば次は?ってせかされるような空気が流れているように私は感じていました。

もちろん現代は、子供を産まない人も多いし、1人だけ産む人もたくさんいます。

だけど、私の心の中は、迷いもありませんでした。

1人目を出産した時から、“私はもう一度これをしなければならないんだ!”と強い決意が何の疑いもなくありました。



子育ては大変で、今思うと、1人の子を大切に育てる人生でも良かったかな~って思うけれど、やっぱりそれで終わっていれば、どこかで私はずっと完全でない中途半端さのような後悔のようなものを持ち続けていたような気もするのです。

それは、私の感じ方として、“私は2人の子を産んで女性としての役目を果たせたと自分で思える。誰にも文句言わせない。堂々と生きられる”みたいな気持ちです。



今は、下の子がいない生活なんて考えられないし、本当に子供はとてもかわいいので、この子に出会えたのは私が歪んだ(?)心を持っていたからだって思っています。もしも、“もう妊娠は絶対に嫌!”って気持ちに素直に従えていたら、この子には会えなかったのだから・・・


生まれてくる運命だったのでしょうね^^



2人目の子供を妊娠した私は、これからまた苦しみを味わうのだということを、覚悟していました。

耐えがたいことなのに、2人産まなければならないっていう強迫観念はそれほど強いものでした。


妊娠4ヶ月辺りから、食べるのが怖い感覚が芽生えました。


1人目の出産で、早産気味で寝たきりになったのは、この時は最初からとても気を付けていたので完全寝たきりにはなりませんでした。

疲れたら休むっていう生活を初期から心がけていたので。


この、食べることが怖い(徐々におなかが大きくなる圧迫感で、食べると息苦しくなる感覚です)っていうことに関しては、本当に随分色々考えるきっかけになりました。

妊娠10ヶ月間、本人にとってはとても長いです。



私は、何度も涙を流し、真剣に苦しみの中にいて、今までの人生を振り返りました。


私はなんてことをしてきたんだろうと思いました。


普通に食べられるのに、ダイエットダイエットと食べ物を拒んできたこと。

そういう私を戒めるかのような出来事を与えられたと思いました。


本当に私はバカだったと思いました。


食べられるならいいじゃない、普通に食べられることがこんなに素晴らしいことなんて・・・



ここで文章に書けばたった数秒のことだけど、その、食べることを我慢しなければならない長い月日の中で、“この出産が終わり、ただ食べたい物を食べられるのなら、もう私は他には何もいらない”と心底思いました。



朝は食パン半分、昼は菓子パン1コ、夜はおにぎり1コ食べられるか食べられないか・・・で数ヶ月間過ごしました。


不思議なことにおなかが減る感覚はあまりありません。

ただ、脳が(口が?)食べたい食べたいといつも欲して、どうしてもどうしても食べたい時は、ドカッと食べることができないので、チョコレートを一かけら食べてしのぎました。


二度目の妊娠、出産は、こういうこと全て覚悟していたので、産んでからの食欲のことも覚悟していました。


一度目の時は、自分でもあまり分かっていなかったので、襲ってくる食欲に戸惑いを感じていたけれど、二度目の時は、私は食欲には逆らわないって決めていました。



続く・・・



ワン 読んでくださって、ありがとうございます。

  ちょっと忙しいので、コメント欄閉じさせてください。




この記事は、『摂食障害が治ったきっかけ4 』の続きですとり



一人目の子を出産した直後は、妊娠中我慢した反動みたいなので、食欲旺盛でした。

でも、病院の食事も豪華だし、周りからは食べろ食べろと言われる時期なので、罪悪感に苦しめられることもそんなにありませんでした。


5日間ほどの入院生活の間は、朝・昼・夜ともきちんと栄養バランスのとれたボリュームもしっかりある食事です。

それプラスおやつの時間に、おまんじゅう1コとか、ベルギーワッフル1コとかです。

1日おきに洋菓子・和菓子ってなってて、お菓子に合わせて紅茶や緑茶が出てくるんです。


なんか私って、摂食障害時代から、“普通ってどんな量なんだろう…”みたいなことばかり考えていて、色んなことで‘お手本’がほしいって思っていた方だから、こんな感じの食事を出してもらって、“あ~、三度の食事っていうのは、こうしてバランスのとれた物をしっかり食べることなんだな。そしておやつは食べすぎず適度にとるものなんだな…”なんて思っていました。



でも私は、妊娠中の我慢の反動でこの出された分だけでは無理でした。。。

おやつの時間に誰か来てくれれば一緒に他のおやつも食べ、夕食後もお見舞いにいただいたお菓子を食べ始めると止まらず、たくさん食べてしまいました。(これは食べれば食べるほど食べたくなる過食症の頃と同じような感覚です。)


人にもよると思いますが、出産直後は、情緒が不安定になります。涙もろくなったり、イライラしたり。

それから、ものすごく‘むくむ’のです。これはびっくりしました。

足がゾウのようになって、退院の時、靴が入らないのです。。(スリッパ履いて帰りました)


初めての育児への戸惑いもあり、色んなことが重なり、私は嬉しい半面、とても悲しいような戸惑うような気持ちがありました。


過食症の頃、たくさん食べてしまう自分への不安感や泣きたい気持ち、それと同じような気持ちを感じました。


だけど、摂食障害が再発したとか、わけの分からない過食だとは全く思いませんでした。


ただ、妊娠中の我慢の反動が来ていると思いました。


妊娠中6kg増えた体重は、旺盛な食欲やむくみのせいで、出産後も何も減らず同じでした。(赤ちゃんが出たにも関わらず…)


退院して1ヶ月ほどは実家にいました。

昼・夜問わず3時間ごとの母乳やミルクの時間。

食事は三食普段より多めに食べていました。もちろんおやつも。

そして、夜中の授乳の合間にもやっぱり食べたくなって、これまたクッキーの缶を開ければ止まらず、“あ~、また食べてしまった…”と落胆するようなことが何度もありました。


‘むくみ’がとれると、自然に2kgは落ちました。


病院では、赤ちゃんの1ヶ月検診の時に、私自身の体重も量るのですが。

母子手帳なんかには、『1ヶ月に1kgずつ程度減量していきましょう』みたいなことが書かれています。

またまた私は、そういうお手本概念にとらわれてしまうので、“こんなにたくさん食べて体重減っていなかったら、看護婦さんに何言われるか…”ってとても恐れていました。(そんなの自分の自由なのにね)



たくさん食べてしまって落ち込むことは何回もあったけれど、それについて悩むことはなく、どうやって食欲が落ち着いていったかは、今はもう覚えていません。


多分、実家から自分の家に戻って家事や育児の忙しさに夢中になり、落ち着いたのかな…


体重も、いつの間にか出産前の状態に戻っていたのですが、それも別に努力したわけでもなく、覚えていません。(元に戻るまで、半年以上はかかったと思います)



続く…



  ワン読んでくださって、ありがとうございます。

  ちょっと忙しいので、コメント欄閉じさせてください。




最近書いている、『摂食障害が治ったきっかけ』の続きはまた今度書きます。

今日はちょっと書きたいことがありました。


おととい、ケーキをたくさんもらいました。

日持ちする食べ物ならのんびり食べることができるけれど、ケーキなどは早く食べなければいけません。


私はそういう時、いつこれを食べて、あれを食べてって、自然に頭の中で計画を立ててます。


だいたい2日間くらいで食べてしまわないといけないので、その計画でいくと、昨日の昼食の時(orおやつの時間)1個、夜(夕食を食べた後)2個食べようと思いました。


夜食べると太るからなるべく昼間食べるという人が多いかもしれないけれど、私は夜食べるのが楽しみだし、昼間おなかが膨れすぎるのが嫌だから、そういうことになります。


普段私は、間食などでも、いつも決まって食べるわけではなく食べたかったら食べます。

だから無理にこれを食べなければって思って食べることはめったにありません。


なので、こんなふうに食べるものがたくさんあるのはとても嬉しい半面、必要以上に食べなければいけないんだな~…っていう思いもあったりします。。。


ま~、でも、そんな感じで一日食べてどんなふうに思うんだろう…って確かめてみたい気持ちもありました。



昨日の昼食は、これもまた残り物を片付けてしまわないといけなかったので、珍しくボリュームのあるカレーライスでした。とにかく余ったのを食べてしまうのが目的だったので、多少量も多めで、結局デザートなんて食べられませんでした。

だから、ケーキはおやつまわしでした。


おやつの時、別におなかは減っていませんでした。

だから普段なら夕食まで何も食べないところです。


子供がちょっと欲しいと言ったので、2人の子に分けて、残りを私が食べました。

温かい紅茶を入れて、いただきました。

食べ終わった後は、おなかがふくれているっていうより、脳(心?)がかなり満たされてるって状態でした。


夕食の時は、やっぱりいつもよりおなかは減っていませんでした。


昨日のメニューは、

ごはん、唐揚げ(鶏肉、甘エビ)、菜の花のおひたし、ゆで卵、みそ汁でした。

ケーキを食べなければという思いがあったので、白いごはんはいつもより若干軽めにしました。


そして、洗い物や家事を済ませた後、いよいよ残りのケーキ2個を食べました。

思ったより軽く食べられました。

私がぱくぱく食べていたら、旦那が、「この後まだ何か食べるの?」と言ったので、「なんで?」と言ったら、「いや…、まだほかに何か食べたらおもしろいから…」って^^

普段、私はお菓子にしてもそんなに量は食べないけれど、とにかく色々食べたくなるので、もうやめるのかと思ったら他のお菓子を持ってきたり、ウロウロしているからです…


私も旦那も食べることが大好きだから、そういう人って、人が食べてる姿見るのもなんか楽しいというか、そんな幸せそうな姿を見るのが楽しいんですよね。



今朝、特に体重が増えているわけでもありませんでした。



ただやっぱり夕食の時にあまりおなかが減っていないってことで、おいしさが半減になるのが私はちょっと嫌でした。

本当に、空腹は最大の調味料なので、特に夕食の時は一番おいしい状態で食べたいのが私の思いです。



ワン読んでくださって、ありがとうございます。

  ちょっと忙しいので、コメント欄閉じさせてください。






今考えると、結婚は私にとってプラスだと思います。

当時は気づかなかったけれど、私は自分の‘城’を得たような気がします。

両親と暮らしていた時は、すねをかじって生きていました。

きちんと職を持っているわけでもなく、家にいても働く母の代わりに家事を頑張るってこともありませんでした。


私は、元々色んなことに対して‘私のテリトリー’、‘これは私のもの’っていう意識が強いので、自分以外の場所ではあまりやる気が起きません。

結婚して主婦となり、別に家事が好きではなかったけれど、自分たちの場所だからちゃんとやっていきたいって自然に思っていました。

家計管理や買い物、食事など自分が仕切れることに対して生きがいみたいなのを感じました。



私は、結婚して本当にすぐに子供を授かりました。

旦那と一緒に病院へ行き、妊娠していると確実に言われた時は本当に嬉しかったです。

そして、よ~く覚えています。

“これで好きなだけ食べられるんだ~!”って思ったのを…

別に食べることを我慢していたわけじゃないのですが、心の底から湧いてきた本音でした。誰に対してかは分からないけれど、きっといつもいつも頭のどこかで“痩せていなければならない”って思いを持ち続けてきたからです。

自分は妊娠してるってことで、もう変に食べることを我慢してはいけないんだ、食べなきゃいけないんだってふうに、見えない世間に公表しているような気分でした。

その夜は、パスタを食べに行きました。今までよりもたくさん食べました。ニコニコしていました。



妊娠5ヶ月のある日、少し出血がありました。

すぐに病院へ行くと、安静にしていなければならないと言われました。

早産の危険があるので、産むまで安静に、と言われました。


結婚してまだ4ヶ月ほどしか経っていないのに、私は実家に行きました。

そして、リビングにベッドを置いてもらい、寝たきりの生活が始まりました。

外出は月1回の病院通いだけ。家でも立ち上がるのは、トイレと週2回ほどのシャワーだけ。

それ以外は、ベッドに横になって、テレビを見たり、本を読んだりしていました。

食事の時は座っていましたが、妊娠の最後の方は座っただけでもおなかが張る(張りが続くと陣痛が来てしまうのです)ので、寝ながら食べていたこともあります。


こんなに1日が長い時はありません。今考えると、とてもじゃないけどそんな生活できないけれど、妊娠中ってやっぱり強くなるんでしょうか…



私は、妊娠して初めて知りました。

食事に気をつけなければならないのは、普通の人よりも妊婦だということを。

昔は食べろ食べろって言われたらしいけれど、今は全然違います。

とにかく体重を増やさないように言われるのです。でも、妊娠中っていつもよりすごく肉がつきやすくて、体重も増えやすい。私の場合、特に動けなかったし。

1ヶ月に1kg増が理想のところを、2kg増えていると、看護婦さんにきついこと言われる。。

私は気が弱いから、またまた真面目に受け止めて、“どうしよう、どうしよう”と悩みました。

トータル7~8kg増くらいが理想なのかな。。




月日が経つにつれ、次第におなかは大きくなりました。

私は、大きなおなかに胃などの内臓が圧迫されるのを敏感に感じ取りました。

ある日、食事をした後、息ができない状態に襲われ、その時から私は食事が怖くなりました。

食べすぎなければ苦しくはならないので、ものすごくものすごく神経とがらせて食べました。

本当に恐怖でした。


でも、毎日毎日満足に食べられない日が続くと、おなかが減るというよりは、脳が飢餓状態に陥りました。

食べたくて食べたくて食べたくて食べたくてしかたない、食べもののことしか考えられない、そんな状態になりました。

でも、怖くて食べられない。

食べられないことがこんなに辛いとは思いませんでした。

好きなだけ食べられるのなら、もう赤ちゃんはいいから、今すぐにでも出してほしいとまで思いました。


そんな日々を過ごしました。


私は、あの時食べたサンドイッチが忘れられません。

それは、出産何日か前のお昼ごはんに、スーパーで売っているサンドイッチを食べました。

スーパーで売っているのって、ハムにしても卵にしてもなんか変わった味で、私はおいしいと思いません。

でも、体が飢餓状態の時に食べたそのサンドイッチ、食べものがこんなにおいしいものとは思わなかったってくらい衝撃でした。

空腹に勝るものはないのでしょうね…



結局妊娠中の私の体重は、6kg増でした。



妊娠10ヶ月に入り、少し経って、子供は元気に生まれました。


圧迫感はスーッととれ、おなかいっぱい食べることができました。

とてもとても幸せでした。



続く…



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なぜ私が結婚した頃に治ったと言っているのかというと、結婚してからわざわざ過食用の食べ物を買った記憶がないからです。

それから、結婚する少し前も過食で悩んでいることもなかったし、とにかく結婚前は、式の準備であれこれ式場を巡ったり考えたり、ちょっとだけ料理教室に通ったり…それなりにその時期を楽しんでいました。


私は、いつ頃から過食がなくなったのかとか、苦しくなくなったのかっていうのを、本当に思い出せません。


結婚する半年ほど前に、2ヶ月くらいの短期のバイトをしました。

デパートの中の一角だったのですが、一緒に仕事する人たちは、もう何十年もそこにいるという人たちが多くて、きつい人もいたし、結構ストレスは感じていました。



過食がひどかった時代は、私の生活はめちゃくちゃでした。

本当は、友達付き合いや買い物や色んな楽しい時間を無駄にしたくないのに、過食があるがためにそういうものを犠牲にし、満足のいく生活はできていませんでした。


でも短期のバイトをした頃を思い返してみると、ほぼ毎日規則正しい生活が成り立っていました。

バイトに行く時間を基に朝起きる時間を考えて、ゆっくり身支度をして出かけ、一日を過ごして眠りに就く、休みの日は彼とデートという、ごく平凡だけど穏やかな満足感がある毎日でした。


でも、時々必要以上に食べたい気持ちは来ました。

“今日バイト早く終わる日だから、家に帰ってあれしようかな、これしようかな”って思っているのに、お菓子が食べたい欲求が湧いてきて、結局夕食を食べた後におなかも減っていないのに食べてしまう。

この時もわざわざそれ用の食べ物を買うっていうのではなく、適当に家にあるものを食べていました。

量は全然多くないです。でも、『ダイエット』って言葉が生きる中心にある者なら、ちょっとでも食べすぎたら“食べすぎ!”って感じるのだから、“あ~、食べてしまったな~”って気持ちはありました。

そして、せっかくあれもしようこれもしようって思っていたのに、急にやる気がなくなったり。。。


だけど、そうして食べる自分を責めたりする気持ちはあまりなかったし、仕方ないな~って一時(いっとき)の出来事として受け止めていました。

過食時代は、一度食べると、次の日もまた次の日も引きずっていた私ですが、そういう中途半端な自分をやり過ごせるようになっていたのかなと思います。

自分を責めるほどの量も食べないし、それだけ食べる必要がどこにも見当たらなかったのだと思います。



この豊かな社会に住んでいる人で、例えばいつも八分目の食事で過ごしているとか、そんなふうにきちんと(自分なりに)食事に対して向き合えてる人って、たくさんいるのでしょうか……

食べることは、生きるためじゃなく、遊びや楽しみに通じる方が多いですよね。。

何が摂食障害で、何が摂食障害じゃないかの判断は難しいと思います。色んな考え方があると思います。

今回、私が少し思ったのは、自分が何をしているか分かっているってことは大切かなって。

私は、自分自身だいたい16歳頃からを摂食障害と言っています。

でも、14歳か15歳頃から、家族に隠れてお菓子を2箱、3箱食べるということを繰り返していました。

その時私は、自分が何をしているのか分かっていませんでした。

時期が来て、ようやくこれは心の問題なのだということを知り、経験を重ね、さきほど書いた短期のバイトをしていた時の、‘必要以上に食べたいって気持ちが湧く’ことを冷静に受け止める時期が来ます。

同じ食べたい気持ちだけれど、自分が何をしているのか、自分の中で何が起こっているのかをある程度分かっていることの違いだと思います。

それを分かっているということは、対処の仕方が全然違ってくると思います。


‘食べる’という面だけに注目するんじゃなく、自分の心を見つめ込むのが大事だというのは、より自分を分かるためかなと思いました。

例えば、私はこれが苦手なんだって思ったら、それをただ克服しようとするんじゃなく、じゃあそれを‘かわす’(よける、避ける…上手に石をよけて流れる川の水みたいなもの)術を見つけていくことは、自分が自分自身として責任を持って生きていくことだと思います。

何も立派な人間じゃなくていいし、何かができない人間でも全然いいし、できるようになることよりも、じゃあ今のこの私でどう生きるのが賢いのだろう…自分のためなのだろう(自分に優しくすることなのだろう)と、ただ自分自身の中だけで見出していくんです。

それは、誰に認めてもらえなくてもいいし、同意なんて必要ない。自分が楽に生きていけるならそれでいい。


私は、摂食障害の時、それを理由に色んなことから逃げたし、いっぱい悲劇のヒロインぶったりもしました。

その時の私は、そうすることで他人の同情や注目を得ることがものすごく必要でした。

でも、今思うのは、心の病は決してそういうものではないってことです。

私は、心の病をものすごく醜くて汚いものって思っていました。汚い心の垢のようなものと見ていました。

でも、本当はもっと神聖で、清らかなものだって感じます。

これほど自分自身を見つめる機会はありません。心を丸裸にしないと自分自身を分かることができません。

1枚1枚服を脱ぎ捨てることで、どんどん素直になって、丸くなって、心が透明になっていくのです^^



人間って、どこかに障害がある人に対して、“何かしてあげよう”って気持ちになります。

それは見方を変えれば、私にはできる、あなたにはできないってことです。

前に読んだ本に書いてありました。

『障害を持って生まれてきた人は、障害なく生まれてきた人より、魂においては高いところにあるんだよ。それだけ苦しみを乗り越える力があるということだから』というようなことです。

どう考えるかは人それぞれだけど、私はこの見方が好きです。



続く…



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