アラカンを迎えつつある
50代主婦、農家の嫁、姑付きです
姑は多分悪い人ではないけど、
その価値観の違い、数々の嫌味、習慣の違いに悩まされ
自分の思うように生活できないままここまで来てしまいました。
不登校を経験した子供も成長し今は一人暮らしで仕事も頑張っています
そんな経験から色んな気づきも与えられました
今、もう一度自分を見つめなおし、これからの人生楽しく生きるべく模索中です
今から25年前、1995年7月のある日の事
雷のなる日でした
昼過ぎに長男は生まれました
お産は軽く、陣痛が始まって7時間くらいでした
私は初乳を飲ませたくて、先生にも事前にお願いしてたんですが・・・
その頃、初乳を飲ます意義は・・・?多分一般的になりつつある頃だったはず
でも田舎の開業医には届いてなかったようです
でも、先生も看護師さんも、しぶしぶだけど理解してくれて
産後のベッドまで赤ちゃんを連れてきてくれて
初乳を飲ますことができました
でも、 姑は大反対
なんであんたに反対されなあかんのじゃ?
姑は産後3日くらいは母体はちっとも動いてはいけないくらいに思っていて
なので授乳もしてはいけない
3日くらいして、おっぱいが出るようになってから飲ますものだと言い張る
そして間が悪いことに
私は産後の会陰部がやたら痛く、何度も痛いと言っているのに
「産後痛いのは当たり前や我慢しぃ」 と誰も取り合ってくれず
トイレにさえ、一人で立って行けないくらい痛くて、支えられて行って
そして、トイレに行ってそのあたりを拭こうとして気づいた
腫れてる?
そしてしばらく痛みと戦っていたら
6時間後くらいにようやくお医者様が
診てくれることになって
そうしたら
「内出血してる。これは痛かったやろ。よう我慢したな」
って
だから何回も痛いって言ってるやん
そして、縫合し直し手術
そうしたら、、、なんと姑が言うには
「おっぱい飲ますからや!」
って信じられへん発言
悲しすぎ
よう耐えたよ私。あの時の私、褒めてあげたい。
頑張ったね
それから約一週間の入院期間
毎日毎日姑は、朝の8時前から
夕方までびっちり部屋で付き添い。
それは私の為でなく、見舞いにくる親戚、近所のおば様たちへの対応の為
お茶とお菓子もちゃんと一人分ずつに分けて用意してるのです
この地域では出産の入院中に お見舞いに行くという習慣があって
それは産後の母体にはとても過酷でございました
なのに 姑の言い分は
母体は血が騒いでる?から数日は何もしてはいけない
とか言うんだよー
それなら お見舞い来んといてーーー
出産のときに腹帯をまいてもらってて
3日くらいそのまんまだったの
だって何もしてはダメなんだから。
そうしたら、それに気づいた看護師さんに
「体拭きもしてないの?それくらいは自分でしいや」
と言われて
あ、そうか!って気づいた私
丁度姑もいないタイミングだったし
タオルを絞って拭き始めたの。
そこへやってきた姑、
普通だったら
身体拭いてたら、外へ出るとか、遠慮するでしょ?
なのに
もうわたしの30センチくらいまで近寄って、ずーっと見てる
ガン見。まさにガン見
・・・ってか何してるの!そんな事して!って
今にも手を出してきそうな勢い
あー息が詰まるって思いながら
拭き終えたら
そのあと見舞いに来た人たちに
「もーこの子、体拭くねんでーヒヤヒヤするわ」
わけわからん事いうし、
姑に言わせると、それも血が荒れるんだか暴れるんだか・・?
らしい。
それを言うんなら、お見舞いは断ってあんたも帰ってほしかったよ
全然 身も心も休まらんかったわ
人は来るし、ちょっと眠りたいのにテレビガンガンならして見るし
それもねー、その頃の私にはあまり知らんおばちゃん達ばかり
自分たちも経験してきてると思うけどね。。。
そして、私と姑のおっぱいをめぐる戦いが始まったのです
そしてそれが思春期の不登校へと続いてしまいました
今、子育てを頑張っているお母さんたち、
母の勘は正しい!
周りに振り回されないで
自分の勘を信じて!