石牟礼道子さんの
エッセイを読んでいると、

悲しいのでもなく
嬉しいのでもなく
ただただ
共鳴共振の涙が出てくる。





なぜ、この人の言葉は
こんなにも心に響くんだろう…と
不思議に思っていたら、

驚きのシンクロで、
時々ブログを拝見している写真家さんが
石牟礼さんのポートレートと共に
書かれていた記事に出逢う。



まるで
「こたえ」みたいな内容に
心が ふるふるふる、と共鳴し続けました。





「のさり=自分の及ばぬ大いなるものの
はからいを引き受ける」と、
「悶えて加勢する」というふたつの性質

そして、
「和邇氏」「丹生」「織物」「水」
シンクロがとまりません🌌

わたしは、石牟礼さんの文章から
本物の巫=かむなぎ の氣配を
感じていたのかもなぁ…

「のさり」
「悶えて加勢する」
この言葉を覚えておこうと思います😌💓







この人からも
「巫」の匂いがするの
(きっと魂年齢はおじいちゃんw)

手を放す、軽くなる、満ちてゆく、



「満ち足りる とは
空っぽにすること」
昔、おりてきた言葉

シンクロに過去記事を振り返ってみて、
自分、こんなこと書いてたんだなぁと
(すぐ忘れるからね😅)





















三日月にぶら下がってるのは何?
ハスノハカシパンに見える(…のは私だけ?)






いつもありがとうございます
おやすみなさい🍑💕