第77回沖縄ももじゃら大学

1.うちなーぐち
2.六諭衍義
3.研究課題:沖縄の農水産業

 

 

1.うちなーぐち

既存文字の「く」と「わ」を組み合わせた表記法が従来散見されるので、これらを結合させた。

 

ほうせんかの花→てぃんさぐぬはな

水の中→みじぬなか

猫の目→まやーぬめー

デイゴの花→でぃーぐーぬはな

 

 

 

2.六諭衍義~雲や風頼て 天の果て行つい 人や肝しちど 浮世渡る

 

高良さん

先日ある著名人のブログにあった。

ただの友人は助けないけど、本当に努力している人は助ける。

努力していない人は助けてもその人の立場にならない。

 

仲村さん

落ちようとしている人は、助けるな。

どん底まで落とせ。

落ちて立ち上がろうとしている時に助けろ。

という言葉を聞いた事がある。

中途半端に助けると本人のためにならないし、自分も落ちていく。

 

玉城さん

お寿司屋が何年も修行して一人前になる。

けど、それが意味ない。技術を学べばそんなに掛からない。

という話があった。

しかし一方で、その期間に技術以外での沢山の事を学べる事がある。

人としてのスタンスも学べる事もあるという視点がある。

これが技術と心を学ぶことがあるのだと思う。

 

 


3.研究課題:沖縄の農水産業

 

玉城さん

琉球料理・沖縄料理を考える~第二次世界大戦後の食文化の変化・進化~

 

・農業経営の変化

 さとうきびぶーむ

 主食が芋から米

 農地の軍用地転換で農業経営の制約

 食料自給率の変化

 1.米の輸入

 2.輸入大豆の価格さや干ばつで、昭和40年代に県産大豆の激減

   豆腐は輸入大豆になった。

 

・業業の伸び

 戦後20年で漁獲高は16倍

 輸入もしていた。

 

・畜産業の復活

 戦後一旦衰退し、昭和35年に戦前最高(昭和11年)の状態まで復活

 食事の中身のバランスが変わって、脂質やたんぱく質を多くとるようになった。

 

 沖縄の豚が壊滅をした時期があり、ハワイにいる在米日系人が、沖縄に豚を持っていくという一説がある。

 その時、約5000万円程のお金を集め、アメリカで豚を500頭仕入れ、それを育てていった。

 

穀類と芋類が減り、魚介などが増えている。タンパク質、ビタミンなどの摂取が増えている。

栄養摂取量について

本土と比較しても、栄養状態は摂取量は達していなかった。

摂取カロリーが少ないが、塩分量を取っていなく、ダシを活かした料理が多かったので健康的な食であったといえる。

他国からの帰国者の著書より

「当時の沖縄は貧しかった。そこが重要なポイントです。道端の草でおウチナーンチュは何でもたべれるものは口にして生きていた。

今となったら、その食材の中に身体にいい成分がはいっていて沖縄の食べ物は健康食だと言われるんですけど・・」

戦後の沖縄の食文化について

「沖縄の食文化の根底にあるのは”貧しさ”だと思います。そこから知恵が生まれ、美味しい料理が生まれたのです。

 

 

 

第78回沖縄ももじゃら大学(次回は9月です!!)
■日時:9月16日(土)
■時間:10時~
■場所:東京都中央区銀座8-18-1 銀座木挽町ビル6階(沖縄タイムス東京支社)


1.うちなーぐち
2.六諭衍義
3.研究課題:沖縄の農水産業②

 

☆初めての方もいつでも参加募集しております。

 お気軽にお越し下さい。

☆参加費無料