第68回沖縄ももじゃら大学~戦後の沖縄史~
1.沖縄語入門: 「会話の練習」
2.六諭衍義:「妬さ腹立ちや 怪我の本でむぬ 義理よ思み詰みて 我肝絞みり」
3.研究課題:戦後の沖縄史②
1.沖縄語入門: 「会話の練習」
やはり文脈としては、日本語をベースとしており、1語1語は中国語のような箇所がある。
2.六諭衍義:「妬さ腹立ちや 怪我の本でむぬ 義理よ思み詰みて 我肝絞みり」
妬むという事は、うらやましく思い、憎むという意味合いがある。
この時代は身分制度があったので、やりたい事も、実現したい事も制限されたと推測されるので、人を妬むという事は多々あったのかもしれない。
現代は、自分の力で何でもできる。
妬むという考えが少しは薄まっているのではないだろうか。
3.研究課題:戦後の沖縄史②
高良さん
沖縄現代史~米軍統治、本土復帰から「オール沖縄」までを読んで
1972年の復帰は住民全員が熱望してなかった?
即時復帰、時期早々、独立、特別自治州等複数の派があった。
それぞれ政党を結成し自己主張していた。
↓
本土復帰の在り方で基地問題の問題が解けるのでは?
復帰運動の下地
1957年
*1957年の切手
軍用地の使用料問題により「島ぐるみ闘争」を行う事になり、多く住民の不満を抑えきれなくなった。
米国は、融和策を実施したが、それでも住民の不満は収まらなかった。
・本土では日米安保改定論議で沖縄切り捨てがなされた。
・新集成刑法撤廃運動
日本の刑法を活用していたが、米国に改正させられるような動きがあった。内容としては反対運動をした人には死刑にするような概要で猛反発が起きた
・石川宮森小学校にジェット機が落ちた
それが復帰運動に繋がった。
1960年代
沖縄県祖国復帰協議会が結成。沖縄教職員会、沖縄県青年団協議会、沖縄官公庁労働組合協議会が70団体中17団体が参加
復帰協が求めていたのは、日本国憲法の適用、人権擁護要求のみを掲げ、米軍基地への明確な方針は示していなかった。
保守勢力
沖縄自民党、日米両政府と一体化。自治の拡大、渡航の自由、援助の拡大「積み重ね方式」
革新勢力
沖縄自民党に反対し、速やかな復帰
その時の立法院選の状況
自民の圧勝
自民22 社大5、人民1、社会0、無1
日の丸に見る保革の対立
日の丸は復帰運動のシンボルとして50年前半から沖縄教職員会を中心に掲掲運動が行われていた。
61年に池田・ケネディ会談で祝祭日に公共建物に日の丸掲揚が認められるようになった。
仲村さん
本土との格差是正
第一次振興策
第二次振興策
第三次振興策
平成27年までに復帰から40年で11兆円近くの予算が振興策として日本から降りている。
政府の沖縄に対する見解
1東アジアの中心
2出生率の高さ
3豊かな自然環境や温暖な風土、国際色豊かな文化
経済策として、アジアとのハブである物流拠点、経済拠点しての構築、化学技術大学院大学をはじめとする教育軸の構築。
2021年まで3000億の予算は確保する。
様々な実証実験
・Edyの普及
・車のEV電気スタンドの普及
・バスの自動走行運転
次回第70回沖縄ももじゃら大学
■日時:12月17日(土)
■時間:10時~
■場所:未定
1.うちなーぐち
2.六諭衍義
3.研究課題:沖縄の戦後史3