阿久悠さんによれば、森昌子さんが初めてテレビで「せんせい」を歌ったのが1972年(昭和47年)6月18日だそうです。

森昌子さんが「スター誕生」で歌ったのは「涙の連絡船」。阿久さんには、

「どうせ十三歳の少女だから、何を歌おうと絵空事だろうが、もう少し歌と歌手の年齢が接近したものを」

という考えがあったとのことです。


ということで、先生への初恋がテーマとなっているようです。


淡い初恋 消えた日は
雨がしとしと 降っていた
傘にかくれて 桟橋で
ひとり見つめて 泣いていた
おさない私が 胸こがし
慕いつづけた ひとの名は
せんせい せんせい それはせんせい

声を限りに 叫んでも
遠くはなれる 連絡船
白い灯台 絵のように
雨にうたれて 浮んでた
誰にも言えない 悲しみに
胸をいためた ひとの名は
せんせい せんせい それはせんせい

恋する心の しあわせを
そっと教えた ひとの名は
せんせい せんせい それはせんせい


連絡船と桟橋というシチュエーション。森昌子さんが「スター誕生」で歌った「涙の連絡船」と通じるものがあります。


森昌子さんの歌唱力を活かしつつ、ほぽ実年齢の気持ちをうたった作品だと思います。


昭和47年という年は、横井庄一さんがグァム島で発見され、戦争が終わっていないという感覚になった一方、沖縄が返還され戦後という時代が終わったと意識した年でもありました。


一方で、ベトナム戦争は続いていて、ミュンヘンオリンピックでは、イスラエル選手らが、ゲリラに殺害されるなど、混沌の時代だったと思います。


そんな時代に、森昌子さんの素朴さが光っていたのかもしれません。