劇中の和歌を検索すると・・・
今回、 山本周五郎の 『風車』
の 一文であるダウン ピンク文字がそうである音譜
ちゃんと出るのにびっくりでした


81 梅の花咲く
 十一月二十日 七月三日に始めた、貞観政要の講義はこの日終わった。実朝は四ヶ月に渡ってそれを精読したわけである。

 十二月二十日 和田義盛はかねてから上総国司を望んでいたが、執念を絶ってしまった。二年半前に出していた嘆願書を返して貰おうと子の四郎を出して広元の邸に向かわせた。

 建暦二年(1212年) 実朝 二十一才

 一月二十六日 実朝は第二回目の二所詣のために精進始めをおこなった。

 二月一日 夜が白む頃、実朝は和田朝盛に香り高く咲いた梅の一枝を 塩谷朝業 《 しおのやともなり 》 に向けて、次の自作の歌を添えて持たせた。

 我が宿の 梅の初花 咲きにけり 待つ鶯は などか来鳴かぬ

「送り手を名乗らず、さあとかとぼけて置いてきてくれるかな」と、実朝は微笑みながら送った。朝盛は言葉に従って朝業邸に走り手渡すと戻ってきた。朝業は追っかけて次の和歌を持たせて寄こした。

 うれしさも にほひもそでに あまりけり わかためにおれる 梅の初花 

「朝業はうまいな」実朝は感心する。朝盛はまだそこにいて、その歌を口に出して詠んで
「左様ですな、歌の内容と言い、調べと言い、良いですね」と言った。

 二月三日 晴 朝、実朝二回目の二所詣でに実朝、政子、義時、時房、泰時が出かける。鎌倉の留守は広元が守る。これだけの主要な人々が鎌倉を出るのだから、その随兵は二百騎を越えた。このごろ、街道の宿も整って来たために大勢の旅が可能となったのだ。尼御台所の参加は女性では初めての事で、御家人を驚かせた。ゆっくり進む騎馬であるが政子はすでに五十六才。「お達者でおられる」御家人は口々に話題とした。
 このように政子を二所詣に駆り立てているものは実朝と室の間に子供が出来ないという気持ちである。
実朝はどうも、他の女房に興味がないようだ。何とかうまく行く方法はないものだろうかと思っている
 まさか実朝室の頭越しに妾を持てとは言えない。かって政子は夫の頼朝の妾の家を焼いてしまった事が
あるくらいだから、その倫理は実朝にも伝わっていた。室との間に子供が何故できないか、それはたぶんひどかった疱瘡と関係があると実朝は思っている。
今回、私は時代物をするので・・・
慣れない言葉遣いとか・・・
意味不明な・・・
言い回しとか・・・
舌がまわらない・・・ショック!
もつれてしまうんですよ~
だんだん・・・
言えるようになってきたかな
楽しみます
この際なんで~