ミケランジェロ・アントニオーニは20世紀の現代映画を語る上で特異な位置を占めている。イタリアのフェリーニと同じ時代のネオレアリズモに位置づけられながら、むしろ孤高の映画作家であった。「ロスト・イン・トランスレーション」でアカデミー賞を受賞したソフィア・コッポラ(コッポラの娘)が授賞式のスピーチで「アントニオーニ」の名を挙げリスペクトを表したのが、うれしかった。なぜなら、アントニオーニはボクにとって師匠であるから。この1962年の「日蝕」(エクリプス:原題)は、日本では「太陽はひとりぼっち」という邦題で知られる。ルネ・クレマン監督の「太陽はいっぱい」のアラン・ドロンが出ているから名づけられたのであろう。なんという素直さよ!!このYouTube映像はそのラスト・シークエンス。登場人物(アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティ)がフレームアウトしてから登場人物のいない世界の数分間の映像が続く。映画は終わるはずの処で終わらない。いや、むしろドラマが終わった後で、私たちの目が作家の視線を借りて世界を観ていく。世界をこのようにしてみることが、「映画」「映像」以外で可能であろうか?・・・そんな革新性を、まだ継承し展開した作家は極めて少ない。未発掘の鉱脈を示されたボクは、師匠に映像作品によって応えるべきだ。これは師匠の遺産の果実です・・・そんな報告を墓前でできたなら本望であるが。