すでに季節は初夏の装いとなった五月。薫風の中で、過ぎてしまった春を思う人は少ないだろう。何故ならば、ついこの間の春、ついこの間の桜。仕事で桜の映像を撮った。その映像に友人が音楽をつけてくれた。追憶の中にある桜、日本の郷愁をかきたてるような音楽を・・・。そんな贅沢なリクエストに応えてくれたこの映像は、きっとボクの追憶の桜となることだろう。

自分の知らない処で、疾走しているブログパーツ。


そんなロマンティックな幻想を覚えた。


テクノラティで、MOMODESIGNを検索すると、「ブログパーツを探せ」というサイトがでてきた。


そこで、自分の関わったブログパーツを

気に入ってくださる方の記事を読むことができた。


そういう事を知れる時代に、生きているのだなあ・・・という感慨があった。


もしも「切ない」というのであるなら、撮影した自分にとっても、切ない。


それは愛車へのラスト・ランであるから。

この映像を撮ったのは自分。だから、この日の朝のことは今でも忘れられない思い出である。愛車のラストランを、このような形で記録に残せたことを、いまではうれしく思う。週末の明方の首都高は、バトルフィールドでもあった。四輪のルーレット族、二輪のルーレット族が、明方の東京の上を疾走していた。ボクは二周、首都高の環状線を周回して、平和島で首都高を降り、愛車を止めた。人とクルマは時として親友と同じような関係となる。人とモノとの官能的な関係が文明や文化を築いてきたのだ。2007年11月に光文社新書から「お金は銀行に預けるな」という金融リテラシーを説く本が出た。その著者である女性経済評論家が、クルマを保有することのリスクをコスト面から論じているのを読んで、残念に思った。文化というものは、お金を蕩尽すべきものである。クルマはA地点からB地点へと移動する“手段”である場合もあろう。しかしクルマは、走ることそれ自体が“目的”である場合がある。環状線を走るということはそういうことだ。文化や文明の本質が凝縮してそこにある。「お金は銀行に預けるな」を忠実に守って投資した人は、1年後資産を半減させたことだろう。平和時の知性と戦時の知性は違う。世界金融危機で、最も賢かったのは、銀行にお金を預けていた人々であった。カモになってお金をスルならば、クルマにお金をつぎ込もうではないか。文化や文明は生きる喜びを享受することだから。

マーケティングの世界で、「クチコミ・マーケティング」が語られるようになって久しい。


Web2.0が流行語となり、TVCMや新聞広告の費用対効果が語られるようになって、クチコミに注目が集まるようになった。


クチコミは、ネットで広まる。


いや、「広まる」らしい。


ブログやSNSで話題になって、いつしか広まっていくクチコミ・・・そんなストーリーが描かれる。


クチコミは古くて新しいキー・ワードである。


そのクチコミの情報源になれる人は、しかしいまだ限られている・・・そうボクは思ってる。


最近、クチコミによるプロモーションを行った。


アメブロのAブロガーの協力を得て実施したプロモーションで、トライしたのは、現代にあって「安心」に生活することが意外に難しい、ということが企画の出発点にあった・・・。


●そのブロガーさんたちの記事が読めるページは、こちら

神々が視る地上の風景とは、このような視覚世界をいうのだろうか?この制作者の費やした時間とその禁欲的な制作方法には脱帽する。どれほどの時間をこの映像に捧げたのだろう?そしてその沈黙の時間は、祈りに近い性格のものであろうか?空、雲、光、土、水。太陽はある時は炎のようであり、最後の送り火のようでもある。星々。この地上にある美しさを凝縮しているかのうようである。このように美しい空と大地の間にあって、我々は生きている。神は沈黙しつつも人の世を視ているだろうか。見入ってしまう視覚世界。ただただ敬服するのみ。