(335) 昨日 (6月23日) 沖縄慰霊の日79年 | momodaihumiakiのブログ

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心に残る沖縄の歌、3つ。


島唄


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月桃

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6月の風~沖縄~

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沖縄戦終結79年、恒久平和願う 
犠牲20万人追悼、首相基地負担減を強調


2024年06月23日 19時04分共同通信

 



沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした日米双方の約20万人をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。旧日本軍による組織的戦闘が終わった日とされ、今年で79年。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で、不戦を誓い、平和を願う沖縄全戦没者追悼式(県など主催)が営まれ、岸田文雄首相らが参列。玉城デニー知事は平和宣言で「自衛隊の急激な配備拡張が進められ、県民は強い不安を抱いている」と訴えた。

 

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岸田文雄首相のあいさつ

        ◇

 令和6年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるに当たり、沖縄戦において、戦場に倒れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。

せいさん)な地上戦の場となりました。人々の平穏な暮らしは、にわかに戦乱の渦に巻き込まれ、罪もない民間人を含め、20万人もの尊い命が奪われ、この地の誇る美しい海や森、豊かな文化は破壊されました。不発弾の処理やご遺骨の収集は、今もなお続いています。多くの子供たちの命が奪われた対馬丸事件のような耐え難い出来事もありました。こうした沖縄戦の悲惨な実相と平和の尊さを次世代に継承していくことは、我々に課された責務です。

 平和の礎(いしじ)には、今年も181名のお名前が新たに刻銘されました。平和の礎に刻まれた一人一人の戦没者の無念、残されたご遺族の方々の悲しみや喪失感を思うとき、胸塞がる思いを禁じ得ません。


 私たちが享受している平和と繁栄は、命を落とされた方々の尊い犠牲と沖縄の方々の筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上にあることを、改めて深く胸に刻みながら、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。

 来年には沖縄戦から80年を迎えます。これまで県民の皆様のたゆまぬ努力もあり、沖縄経済は着実に成長し、県民生活も大いに向上しました。


 美しい自然、アジアの玄関口に位置する地理的特性、国際色豊かな文化や伝統。こうした魅力や優位性を最大限に活(い)かしつつ、「強い沖縄経済」の実現に向けて、国家戦略として、沖縄振興を総合的に進めてまいります。

 他方で、今もなお、沖縄の皆様には、米軍基地の集中等による大きな負担を担っていただいています。政府として、このことを重く受け止め、負担の軽減に全力を尽くしてまいります。


 来年春には、今後の跡地利用のモデルケースとなる西普天間住宅地区跡地に、高度な医療・研究機能の拡充や地域医療の向上に繋(つな)がる健康医療拠点が誕生します。

 引き続き、在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小を進めるとともに、こうした目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げてまいります。

 戦後、我が国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてきました。戦争の惨禍を二度と繰り返さないという強い決意の下、世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を実現する。この決意を貫き、後世にまで伝えていくことを、改めて御霊にお誓いいたします。

 結びに、この地に眠る御霊の安らかならんことを、そしてご遺族の方々のご平安を、心からお祈りし、私の挨拶(あいさつ)といたします。

 

 

 

玉城デニー知事の「平和宣言」

        ◇

 あの忌まわしい悲惨な戦争が、かつて、この美しい島で繰り広げられました。

 鉄の暴風といわれるおびただしい数の砲弾による空襲や艦砲射撃により、私たちの島は、戦火に焼き尽くされ、多くの尊い命が失われました。

 

 私たちは、あの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学びました。

 あの戦争から79年の月日が経(た)った今日、私たちの祖先(うやふぁーふじ)は、今の沖縄を、そして世界を、どのように見つめているのでしょうか。

 広大な米軍基地の存在、米軍人等による事件・事故、米軍基地から派生する環境問題など過重な基地負担が、今なお、この沖縄では続いています。


 加えて、いわゆる、安保3文書により、自衛隊の急激な配備拡張が進められており、悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は、強い不安を抱いています。

 今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているのでしょうか。


 かつて、沖縄の本土復帰にあたり、日本政府は、「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧(ささ)げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない。」との声明を出しました。

 この声明を想(おも)い起こし、沖縄県民が願う、平和の島の実現のため、在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきです。


 世界に目を向けると、今なお、争いは絶えることなく、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ情勢など、戦争という過ちを繰り返し続けています。

 東アジアでは、米中対立や中国の軍事力の強化、台湾や朝鮮半島を巡る問題など、自国の軍事増強により、抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている一方、経済面での緊密な結びつきが併存するなど、安全保障環境が複雑化しています。

 世界の平和と安定に向けて、各国・各地域に求められているのは、それぞれの価値観の違いを認め合い、多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話などのプロセスを通した問題解決です。

 私たち沖縄県民は、万国津梁(しんりょう)の精神で、近隣諸国との交流により、信頼関係を築いてきた歴史があり、また、「命(ぬち)どぅ宝」「ユイマール」「チムグクル」など多様な価値観の受容、相互扶助といった精神文化を継承しています。

 「新たな建議書」「平和の礎(いしじ)」「沖縄平和賞」は、人類普遍の価値である平和を願う「沖縄のこころ」の表れであり、世界の恒久平和は、沖縄県民の切なる願いです。

 私は、沖縄が国際平和創造拠点となり、万国津梁の精神をもって、「沖縄のこころ」を国内外に発信し、世界の平和構築や相互発展、国際的課題の解決に向け地域外交を展開していくことが、地域の緊張緩和と信頼醸成に貢献し、世界の恒久平和に繋(つな)がっていくものと確信しています。

 国連ピース・メッセンジャーであり、自然保護や人道問題へ取り組む世界的な環境活動家でもあるジェーン・グドールさんは、「私たちの行動は、毎日必ず何かしらの影響を世界に与えています。どんな行動を取るかが“違い”を生み、どのような“違い”を生み出したいのかを決めなければなりません。」と語っています。

 一人ひとりの思いや行動は、たとえ微力でも、確実に世の中を変えていく力があると、勇気を与えてくれる言葉です。

 今こそ、私たち一人ひとりに求められるのは、不条理な現状を諦めるのではなく、微力でも声をあげ、立ち上がる勇気、そして、行動することです。

 先人から受け継いだ精神文化をもって、他者を尊敬し、思いやり溢(あふ)れる社会を造り上げ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向けて、共に絶え間ない努力を続けてまいりましょう。

 わったー元祖(ぐゎんす)んかい誇(ちむふくい)ないる沖縄(うちなー)あらんとーないびらん。

 わったーや近隣(けーとぅない)ぬ諸国(くにぐに)とぅ交流(とぅぃふぃれー)っしちゃるたみ、信頼関係(どぅしびれー)ぬ仲までぃ積(ち)み上ぎてぃちゃる歴史(でー)ぬあいびーん。

 わったーや平和(ゆがふーゆー)大切(てーしち)にする精神(たまし)ぬあいびーん。

 わったーや価値観(ありましくりまし)ぬ違(ち)げーぬあてぃん互(たげー)に容認合(ちむあーし)ぬないる精神文化(ちむだまし)ぬ継承(ふぃちちじ)さっとーいびーん。

 沖縄県(わったーしま)が世界(しけー)ぬ恒久平和(ながゆがふーゆー)ぬ架橋(はしわたし)ないるぐとぅ一緒(まじゆん)っし目標(みやてぃ)んかい向(ん)かてぃいちゃびらな。

 We strive to make Okinawa an island we and our ancestors are proud of.

We have a history of trust that has been established through exchanges with our neighboring countries.

We bear hearts that cherish peace.

We carry on the spirit of accepting diverse values.

We,the people of Okinawa,shall together aim to be the bridge to world peace for all time.

 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、戦争に繋がる一切の行為を否定し、人間の尊厳を重く見る「人間の安全保障」を含めた、より高次の平和を願い続け、この島が世界の恒久平和に貢献する国際平和創造拠点となるよう、全身全霊で取り組んでいくことをここに宣言します。


 ※しまくとぅば・英語の訳(エッセンス)

 私たちの祖先に対して誇れる沖縄でありたい。

 私たちは近隣諸国との交流により信頼関係を築いてきた歴史があります。

 私たちは平和を大切にする心があります。

 私たちは価値観の違いを認め合う精神文化を継承しています。

 沖縄県が世界の恒久平和の架け橋となるよう、ともに目指してまいりましょう。

 

 

 

県立宮古高校3年の仲間友佑(ゆうすけ)さん(18)の「これから」と題した「平和の詩」
 

平和の詩「これから」
沖縄県立宮古高校3年 仲間友佑
 

短い命を知ってか知らずか

蟬(せみ)が懸命に鳴いている

冬を知らない叫びの中で

僕はまた天を仰いだ

あの日から七十九年の月日が

流れたという

今年十八になった僕の

祖父母も戦後生まれだ

それだけの時が

流れたというのに

あの日

短い命を知るはずもなく

少年少女たちは

誰かが始めた争いで

大きな未来とともに散って逝った

大切な人は突然

誰かが始めた争いで

夏の初めにいなくなった

泣く我が子を殺すしかなかった

一家で死ぬしかなかった

誰かが始めた争いで

常緑の島は色を失(な)くした

誰のための誰の戦争なのだろう

会いたい、帰りたい

話したい、笑いたい

そういくら繰り返そうと

誰かが始めた争いが

そのすべてを奪い去る

心に落ちた

暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ

微(かす)かな光さえも届かぬような

絶望すらもないような

怒りも嘆きも失くしてしまいそうな

深い深い奥底で

懸命に生きてくれた人々が

今日を創った

今日を繋(つな)ぎ留めた

両親の命も

僕の命も

友の命も

大切な君の命も

すべて

心に落ちた

あの戦争の副作用は

人々の口を固く閉ざした

まるで

戦争が悪いことだと

言ってはいけないのだと

口止めするように

思い出したくもないほどの

あの惨劇がそうさせた

僕は再び天を仰いだ

抜けるような青空を

飛行機が横切る

僕にとってあれは

恐れおののくものではない

僕らは雨のように打ちつける

爆弾の怖さも

戦争の「せ」の字も知らない

けれど、常緑の平和を知っている

あの日も

海は青く

同じように太陽が照りつけていた

そういう普遍の中にただ

平和が欠けることの怖さを

僕たちは知っている

人は過ちを繰り返すから

時は無情にも流れていくから

今日まで人々は

恒久の平和を祈り続けた

小さな島で起きた

あまりに大きすぎる悲しみを

手を繋ぐように

受け継いできた

それでも世界はまだ繰り返してる

七十九年の祈りでさえも

まだ足りないというのなら

それでも変わらないというのなら

もっともっとこれからも

僕らが祈りを繋ぎ続けよう

限りない平和のために

僕ら自身のために

紡ぐ平和が

いつか世界のためになる

そう信じて

今年もこの六月二十三日を

平和のために生きている

その素晴らしさを嚙(か)みしめながら

 

 

 

日本と沖縄について

Geminiにたずねた。

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沖縄県の現在の特徴


人口

  • 2020年1月1日時点の人口は1,463,822人です。
  • 全国の人口に占める割合は1.1%で、47都道府県の中では37番目です。
  • 近年の人口動向は、出生率の低下と高齢化の進行により、減少傾向にあります。

産業

  • 沖縄県の主要産業は、観光業、農業、水産業です。
  • 観光業は、沖縄の温暖な気候と美しい自然を活かしたリゾート地として人気があり、県全体の経済を支える重要な産業となっています。
  • 農業では、サトウキビ、パイナップル、マンゴーなどの熱帯・亜熱帯果物が盛んに栽培されています。
  • 水産業では、マグロ、カツオ、グルクンなどの魚介類が漁獲されています。

貧困状況

  • 2018年の全国共通調査によると、沖縄県の貧困率(エンゲル係数2倍以上)は15.1%で、全国平均(10.9%)を上回っています。
  • 貧困率が高い要因としては、低い所得水準や、ひとり親世帯の多さなどが挙げられます。

その他の特徴

  • 沖縄県は、独特の歴史と文化を持つ地域です。
  • 琉球王国時代の名残として、首里城跡や斎場御嶽などの世界遺産が存在します。
  • また、エイサーや琉球舞踊などの伝統芸能も盛んに行われています。
  • 近年は、沖縄の自然や文化を活かした移住・定住の取り組みも進められています。

参考情報

 

 

 

 

沖縄と清国の冊封関係:詳細解説


概要

沖縄と清国の冊封関係は、14世紀から19世紀にかけて存在した、両国間の政治・外交関係です。琉球王国は、中国明朝に冊封を受け、朝貢貿易を行い、名目的な君臣関係を結んでいました。

歴史的背景

  • 14世紀:琉球王国成立
  • 14世紀末:琉球王国、明朝に冊封を受け、朝貢貿易を開始
  • 1609年:薩摩藩による琉球侵攻
  • 1611年:琉球王国、薩摩藩に服属
  • 1644年:清朝成立
  • 1663年:清朝、琉球王国に冊封使を派遣
  • 1879年:琉球処分、沖縄県設置

冊封関係の内容

  • 冊封:中国皇帝が琉球王に称号・任命書・印章などを授け、名目的な君臣関係を結ぶ儀式
  • 朝貢貿易:琉球王国は中国に朝貢し、中国は貢物と引き換えに琉球王国に交易を許可
  • 政治的関係:琉球王国は名目上、清朝の支配下にあり、政治的な独立性は制限されていた
  • 文化的影響:琉球王国の文化は、中国文化の影響を強く受けていた

冊封関係の意義

  • 琉球王国は、冊封関係を通じて国際的な地位を確立し、貿易による繁栄を享受することができた
  • 中国は、冊封関係を通じて琉球王国を支配下に置き、東アジアにおける影響力を拡大することができた

冊封関係の終焉

  • 19世紀後半、欧米列強の台頭により、清朝は弱体化し、影響力が低下
  • 1879年、日本政府が琉球処分を実施し、琉球王国を滅亡
  • 19世紀末、清朝が滅亡し、冊封関係は完全に終焉

現代における影響

  • 沖縄と中国の関係は、現在も複雑な状況にある
  • 日本の植民地支配や沖縄戦などの歴史が、沖縄と中国の関係に影響を与えている
  • 近年、沖縄と中国の間の経済交流や文化交流が活発化している

参考情報

 

冊封関係とは?

冊封関係とは、中国歴代王朝と周辺諸国・諸民族が形成した国際秩序のことです。

  • 概要
    • 中国皇帝が周辺諸国の君主に称号・任命書・印章などを授け、名目的な君臣関係を結ぶ制度です。
    • 朝貢貿易と密接に関係しており、周辺諸国は中国に朝貢し、中国は貢物と引き換えに冊封を行いました。
    • 中国皇帝は「天の下の唯一の皇帝」であるという中華思想に基づき、周辺諸国を「夷狄」と見なし、冊封関係を通じて自らの権威を誇示しました。
  • 沖縄における冊封関係
    • 琉球王国は14世紀から中国明朝と冊封関係を結び、朝貢貿易を行いました。
    • 中国皇帝から琉球王に「琉球国王」の称号が与えられ、琉球王国の統治が承認されました。
    • 琉球王国は中国に対して政治的な自立性を保ちながらも、冊封関係を通じて中国と密接な関係を築いていました。

 

 

 

 

1879年の琉球処分とは?


1879年の琉球処分は、明治政府が琉球王国を廃し、沖縄県を設置した出来事です。

背景

  • 19世紀後半、欧米列強の台頭により、日本は近代国家体制への移行を迫られました。
  • 近代国家体制では、領土の明確化が求められたため、冊封関係にあった琉球王国との関係を明確にする必要がありました。
  • また、日本政府は琉球王国を自国の領土に編入することで、政治的・経済的な利益を得ようとしていました。

経過

  • 1872年、日本政府は琉球王国を琉球藩に改編しました。
  • 1879年、日本政府は琉球藩を廃し、沖縄県を設置しました。
  • 琉球王尚泰は東京に移住させられ、琉球王国の体制は完全に解体されました。

影響

  • 琉球処分は、琉球王国の滅亡と沖縄県の設置という大きな歴史的転換点となりました。
  • 沖縄は日本の植民地支配下に置かれ、政治・経済・文化など様々な面で大きな影響を受けました。
  • 沖縄住民は、植民地支配下で様々な苦難を強いられました。

 
日本本土に編入されたのはなぜ?

琉球王国が日本本土に編入された理由は、主に以下の3つが挙げられます。

  • 近代国家体制への移行
    • 19世紀後半、欧米列強の台頭により、日本は近代国家体制への移行を迫られました。
    • 近代国家体制では、領土の明確化が求められたため、琉球王国のような冊封関係は認められなくなりました。
  • 廃藩置県と琉球藩設置
    • 1868年(明治元年)の明治維新後、日本政府は廃藩置県を実施し、中央集権国家体制を確立しました。
    • この過程で、琉球王国も1872年に琉球藩に改編されました。
  • 日清戦争と沖縄侵攻
    • 1894年に勃発した日清戦争において、日本は勝利し、中国から台湾を割譲されました。
    • この戦争勝利を背景に、日本政府は琉球王国の完全支配を目論み、1895年に沖縄侵攻を実施しました。
    • 琉球侵攻の結果、琉球王国は滅亡し、沖縄県が設置されました。

植民地支配とは具体的にはどのようなことを指していますか。


植民地支配とは、一国が他国の領土を支配し、政治・経済・文化などを自国の利益のために統治することを指します。

沖縄における植民地支配

  • 政治支配
    • 沖縄県は日本の都道府県として位置づけられましたが、実際には本土とは異なる政治体制が敷かれました。
    • 沖縄県知事は中央政府から任命され、沖縄住民の政治参加は制限されていました。
  • 経済支配
    • 沖縄の経済は、日本の植民地経済として運営されました。
    • 主要産業はサトウキビ栽培であり、沖縄の土地と労働力は日本の砂糖産業を支えるために利用されました。
    • 沖縄住民は低賃金で働かされ、貧困状態に陥る人も多くいました。
  • 文化支配
    • 日本語教育が強制され、沖縄独自の言語や文化は抑圧されました。
    • 沖縄戦跡への立ち入りが制限されたり、慰霊活動が妨害されたりすることもありました。

植民地支配の影響

  • 沖縄の経済発展が遅れた
  • 沖縄の文化が破壊された
  • 沖縄住民に深い心の傷を残した

参考情報

 

1895年の沖縄侵攻の概要


1895年に行われた沖縄侵攻は、日本政府が琉球王国を滅ぼし、沖縄県を設置するきっかけとなった出来事です。

背景

  • 19世紀後半、欧米列強の台頭により、日本は近代国家体制への移行を迫られました。
  • 近代国家体制では、領土の明確化が求められたため、琉球王国のような冊封関係は認められなくなりました。
  • 1894年に勃発した日清戦争において、日本は勝利し、中国から台湾を割譲されました。
  • この戦争勝利を背景に、日本政府は琉球王国の完全支配を目論み、沖縄侵攻を計画しました。

侵攻の経過

  • 1895年3月26日、日本政府は琉球王国に対して最後通牒を送り、内政改革と日本軍の駐留を要求しました。
  • 琉球王国は要求を拒否しましたが、日本軍は3月31日に那覇港に上陸し、琉球王国軍と戦闘を行いました。
  • 琉球王国軍は装備や兵力において圧倒的に劣勢であり、数日で敗北しました。
  • 5月4日、日本政府は琉球王国を滅ぼし、沖縄県を設置しました。

影響

  • 沖縄侵攻は、琉球王国の滅亡と沖縄県の設置という大きな歴史的転換点となりました。
  • 沖縄は日本の植民地支配下に置かれ、政治・経済・文化など様々な面で大きな影響を受けました。
  • 沖縄住民は、植民地支配下で様々な苦難を強いられました。

その他

  • 沖縄侵攻は、現在も沖縄と日本本土の関係に影響を与えています。
  • 沖縄戦や基地問題など、沖縄には多くの課題が残されています。
  • 沖縄の歴史と現状を理解することは、現在の沖縄の問題を考える上で重要です。

参考情報

 

 

 

 

沖縄独特の文化

 

沖縄には、長い歴史と独自の文化が息づいています。以下、その特徴的な要素をいくつかご紹介します。

1. 琉球王朝の影響

かつて琉球王国として栄えた沖縄には、王朝の文化が色濃く残っています。首里城跡や斎場御嶽などの世界遺産をはじめ、伝統工芸である琉球ガラスや紅型、エイサーや琉球舞踊などの伝統芸能も盛んに行われています。

2. 南国ならではの自然と暮らし

沖縄は温暖な気候と美しい自然に恵まれ、人々の暮らしにもそれが反映されています。海を活かした漁業や農業が盛んで、サトウキビやパイナップルなどの熱帯・亜熱帯果物が栽培されています。また、独特の建築様式である琉球家屋や、台風対策として発達した伝統的な垣根なども見られます。

3. 独特の言葉と食文化

琉球語と呼ばれる独自の言葉があり、現在も一部の人々によって話されています。食文化も独特で、ゴーヤーチャンプルーやソーキそばなど、海産物や豚肉を使った料理が人気です。


沖縄の人々のルーツ


沖縄の人々のルーツは、複雑で多様です。主に以下の3つの要素が挙げられます。

  • 東南アジア諸島からの移住者
  • 中国や朝鮮半島からの移住者
  • 日本本土からの移住者

これらの移住者たちが、長い年月をかけて混血を繰り返し、現在の沖縄の人々が形成されました。
 

「大和んちゅー」との共通点と違い
 

「大和んちゅー」とは、沖縄の方言で「本土出身者」を指す言葉です。沖縄の人々と大和んちゅーの間には、以下のような共通点と違いがあります。

共通点

  • 日本国籍を持つ
  • 日本語を話す
  • 日本の文化に親しみを持つ

違い

  • 歴史と文化:沖縄の人々は琉球王国の歴史と文化を受け継いでいるのに対し、大和んちゅーは日本本土の歴史と文化を受け継いでいる。
  • 言葉:沖縄の人々は琉球語を話す人もいるが、大和んちゅーは日本語のみを話す。
  • 食文化:沖縄の人々はゴーヤーチャンプルーやソーキそばなど、独特の食文化を持っているのに対し、大和んちゅーは日本本土の食文化に近い。

近年では、沖縄と本土の交流が盛んになり、共通点も増えつつあります。しかし、沖縄には独特の歴史と文化があり、それを尊重していくことが重要です。

参考情報

 

 

 

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