皇霊殿は高いので、東京の市中が見えるのであります。
焼けただれ、一日千秋の思いでわが子の復員を待つ年寄りたちの姿も、見えるのであります。
貞明様は陛下にそれをお見せになり、
「陛下、国民は陛下のご不徳によって、このように苦しんでおります。
この国を一日も早う復興しようと召されず、お腹をおめしになろう(切腹しよう)
などとはご卑怯ではありませんか。
退位は絶対になりません!」
陛下は、母君の前で頭を垂れて泣かれたそうです。
どうしたらいいのかと。
「陛下の万歳を叫んで死んでいった
護国の英霊の労苦を労いなさい、
遺族の労苦を労いなさい、
産業戦士の労苦を労いなさい」
「万歳、万歳」の歓呼をもって迎えられました。
言えばやはり記録に残りましょうから、その県名と市名はもうしませんが、
北陸のある所(福井市)においては共産党が、
「朕はたらふく飯を食う。汝臣民飢えて死ね」
とプラカードを仕立て、二〇〇〇名のデモ行進をやっていました。
「陛下、お逃げなさい」
しかし陛下は、
「私に面会を申し込んでいる限り、私が会いましょう」
と言って、皆の前に頭を下げられました。
「皆様方が私を打擲することによって心が癒えるならば、ごずいにめされたがいい。
でも日本の国を一日も早う復興し、次の子孫へこの国を送り得てこそ、
はじめて護国の英霊に対し、我々が報いる道ではなかろうか」
と陛下は申されたのでした――
はっきり言ったほうが良かったのかも知れませんが、場所を。
陛下に向かっての発砲もありました。
八二歳のある老婆が犠牲になったことも、中国地方の一角でありました