この日本に対し、アメリカは原爆を投下しました。
プーチン大統領は2021年3月19日、原爆投下についてこう述べました。
ところがアメリカ国民の大半は原爆投下を正当化した教育をされています。
(古いデータで恐縮です;)
彼らが原爆は正しかったとする理由はこうです。
「日本は真珠湾を卑劣な奇襲をしたから、原爆は正当な報復だ」。
以前書きましたが、善悪判断や価値を論ずるには、「動機・目的」に照らし合わせて判断すべきです。しかし本質的な話が通じない相手には、相手の視点から説明する必要があります。
「動機・目的」に照らし合わせ、先の大戦について検証するのは次回に譲ることにして、今回は
↓こちらの元大統領の視点(写真下方)に合わせて説明したいと思います。
これは歴史の経緯を見れば満州事変前からずっとアメリカこそが宣戦布告無しに中国の背後で対日戦争を仕掛け続けていた事実が見えてきます。
アメリカは支那に戦費や武器、現役兵士を送り、
満州事変の前から日本に対し、支那兵の軍服をまとって
宣戦布告無しに攻撃し続けていました。
アメリカがこうした悪逆非道な行為を正当化するには、「日本こそが悪玉だ」となるようなブラックプロパガンダ(偽情報で正しい相手を貶める宣伝工作)が必要でした。
それが、真珠湾『奇襲』という宣伝工作であった様です。
ところが、当時の日本はなかなか 挑発にのりません。
↓日本の対日戦略はずっと『思想戦』(黒地)だったのです。信義を以てアメリカ国民に訴える挑戦でした。
対するアメリカは早くから、日本の卑怯な真珠湾『奇襲』というシナリオ(水色地)↓がありました。
アメリカの『宣伝戦』のキーワードは『奇襲』
この戦略は日本ではなく、アメリカ側にありました。
日本は、真珠湾など頭になかったのです。距離が遠すぎたのです。
日本の対米戦略は武器ではなく、思想で世論を変えようと戦略を練っていました。
しかしその遥か前から、アメリカ上層部では「日本による真珠湾奇襲」構想があったのです。日本人の中にはなかった構想が…不思議ですねぇ~
1941年1月24日、即ち真珠湾から一年ほど前
真珠湾の約一年前の1941年1月24日
フランク・ノックス海軍大臣がヘンリー・スチムソン陸軍大臣に認めた手紙(海軍が陸軍に命じた内容。)
「日米戦は必至だ。
その時、日本は必ず真珠湾を攻撃する。(させるよう、日本を追い込む!)
そしてそれは、奇襲となる。(となるよう、仕組む)」
フランク・ノックス氏はまるで占い師のように、
当時の日本の実際の状況(武器を使わない対米戦略『思想戦』)とは真逆の計略(真珠湾奇襲)を練っていました。
以前の繰り返しになりますが、この十カ月後、ロバーツ委員会報告書に残された記録を確認します。
■『ロバーツ委員会報告書』
●1941年11月26日(日本時間11月27日)、戦争をおこしたいアメリカ側から、戦争を回避したい日本側にハルノートを突き付けた。
●1941年11月27日、(下記、ドール大佐「運命的な会議(ハルノート)」の二日後)
陸軍諜報部長はハワイ陸軍司令指揮下の諜報官に宛て同じくメッセージを送る。
「日米交渉は事実上決裂した。(実際は、米国が決裂するように仕向けた)
続いて日米は戦争行為に入るかも知れない。
何等かの破壊的行為が予想される故
この旨陸軍司令官及び参謀長に上申警告すべきことを通知す。
同日、海軍作戦部長は太平洋艦隊司令長官に宛てメッセージを送り
このメッセージは戦争の警告と考えられる事。
太平洋の安定を得んとする日米交渉は終わりを告げた事。
数日中に日本は戦争行動に入るだろう事。
日本陸軍の臨戦態勢と、日本海軍部隊の(…)等により
日本軍のフィリピン、マレー半島、ボルネオ等に対する水陸両面の侵攻作戦を
(…略)かくして両司令長官はこの訓令に基づき、右メッセージの要旨を
ハワイ軍司令官に通達した。
本委員会(ロバーツ委員会)に於ける査問会の席上、
ハワイ陸軍司令官ショート中将は上記メッセージについて
「見せられたような気もするが記憶はない」と陳述した。(←とぼけて逃げた)
一方ドール大佐(ルーズベルトの娘婿)はルーズベルトが酷く日本を追い詰める動きを近くで見ていました。
ドール大佐曰く
アメリカは日本に対し、最初の一発をただ打たせるのでは物足りず
日本に『奇襲』攻撃をさせる事でより『悪玉』を演じさせたかった。
以前にも触れましたが、その為に利用されたのが、日本の優秀な商社マン新庄健吉氏(諜報員)です。
国際金融資本の動向を調査していた新庄健吉は、44歳の若さで
『偶然』病気になり
『偶然』イエズス会のジョージタウン大学の医学部の病院に入院してくれた
『偶然』アメリカが策謀を巡らせていた真珠湾奇襲の数日前に死亡した。そして
『偶然』新庄の葬式の時の牧師の話が長々と異例の長さになった。
『偶然』その葬儀中に、開戦となった。
ハルへの宣戦布告文書提出する立場の野村、来栖の両大使がその葬儀に出席しており
『偶然』牧師の話が長々と異例の長さとなった為、中座することができなかった。
焦った一等書記官が退席を促すが、野村はそれを制止し、そのまま葬儀に出続けた。
そうこうしているうちに、攻撃が始まり、ハルへの宣戦布告文書提出が遅れた。
見事にアメリカの願望『日本による先手攻撃』しかも『奇襲』が叶った
っということです。
大本営政府連絡会議の12月6日の会議において、最後通牒の「手交の時間」がワシントン時間7日午後1時と決定され、伝えられていた。
それにもかかわらず、なぜ野村大使の手渡しが大幅に遅れることとなったかは、
実は、この葬儀での牧師のメッセージの遅延にあったのです。
45歳で突然亡くなった新庄大佐の本当の死因は不明です。
そして、なぜ4日に死亡したのに、
葬式が開戦まで秒読み段階に入った非常時の7日に行われたのか、
また、なぜ野村・来栖両大使がその葬儀の日程を受け入れ、それに参加したのか。
すべてが謎です。
日本の天皇陛下や東條内閣の意向ではない真珠湾攻撃が何故起こされたか、
それはアメリカ国内の共産主義者(国際金融資本のコマ)の牙城としての太平洋問題調査会(IPR)が関係しています。これは林千勝氏によると「ロックフェラーの民間版国際連盟のような組織」だそうです。
彼ら国際金融資本家と繋がっていた日本人や左翼を傀儡として操っていました。
この両者(共産主義とグローバリズム)は同根です。
それらの人達が、アメリカの描いたシナリオ通りに演じたのです。
(下図は林千勝氏の講義より)
現在、いまだに日本はアメリカの策謀にハマり続けています。
安倍元首相、真珠湾での発言↓
こうして恩義をもって称えて下さる同志に感謝です。
三大道義を重んじる精神を取り戻しましょう!