『昔、あるおばあさんが、朝5時の早朝に寺参りに行くと、
帰りに水たまりに金貨が落ちているのを見つけました。

おばあさんは、「よっしゃ早起きは三文の徳!」
と喜んだのですが、その日は寒かったので、
水たまりが凍りついて、カチカチでした。

おばあさんには、とても氷を割ってとる力はありません。
長年生きてきたおばあちゃんの知恵で何とかしようと
「何か湯たんぽのお湯でもあれば氷をとかせるんだけどなー」
と考えますが、まだ早朝なので、周りのお店もやっていません。
ところが賢いおばあさんは、そのうちお湯を発見しました。
灯台もと暗しといわれるように、何とおばあさんの体内にあったのです。
「どっこらしょ」と、金貨の上にまたがって、ちょっと失敬すると、
氷がみるみるとけて、金貨が手に入ります。
ところが拾ってみると、ビールのフタだったので、
「あそこまで頑張って手に入れたのに……」とがっかりしているうちに
目が覚めました。
「金貨かと思ったらビールのふただったなー」
と回想していると、
手には金貨もビールのふたも残っていないのですが、
布団をめくると日本地図ができていた
という話があります。

ちょうど私たちも、それが価値あるものと思って
色々なものを追いかけて生きています。
目標にたどりつくと、喜びは一時的で、
すぐに色あせて次の目標に向かって頑張ります。
また次の目標が手に入れば、
「なんだこんなものだったのか」
とまた次の目標に向かって頑張ります。
そんなことを繰り返して生きているのですが、
死んで行くときには必死でかき集めたものは、何も持って行けません。

どれだけお金を稼いでも、
この世とお別れするときには、一円たりとも持っては行けません。
どれだけ土地や財産を持っていても、
死出の旅路には、紙切れ一枚持っては行けません。
生きるためには仕方がないと、たくさんの生き物を殺して食べた殺生罪、
お金や財産を手に入れるために、
他人と競争し、嘘をついたり、人を陥れたりして苦しめてきた
色々の罪悪だけをもって次の世界に旅立っていきます。

死んでも続いて行く阿頼耶識に蓄えられた業力だけが、
消えることなく私達についてくるのです。』