三浦春馬さんの死に反応したと言われる竹内結子さん。





竹内さんの家庭環境も複雑なものでした。






竹内さんの両親は竹内さんが小学生の頃に離婚しています。

小学生で母親と離ればなれになるというのは、その人にしか分からない大きな傷を心に残します。






学校帰りに家に帰りたくなかったときに抱いた思いを竹内さんは次のように表現しています。

「帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった。」


竹内さんの父は彼女を連れて再婚しており、高校生のときは心の拠り所がなかったのではないか。

継母のことを

「一人の人間として父が必要とした女の人」

と表していて、家族での食卓については

「晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。殺風景な自分の部屋でため息をつく」ものだった。


と述べられています。




継母側には二人の連れ子がおり、


「私は父に好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかった。」




と回想されています。





ちなみに私の知人が竹内結子さんの『姉』とお付き合いしていた事がありますので連れ子の方々は年上だったのは間違いありません。(ここで1つ私の中で点と点が線になります。)






竹内さんは「私はここにいてはいけないんだ」という想いで家出もしています。







幼少時代からここまで辛い想いをされているのは三浦春馬さん、チェスター・ベニントンさんと同じですね。





そして慈善活動も。







ロハスというボランティア団体に協力していた竹内さんですが当時の議員の方がこんな事を言われています。


「ロハス南阿蘇(熊本県)は、1カ月以上、館山市内に拠点を構えて、館山市や富津市のボランティアセンターからの依頼で、倒木撤去に尽力いただいた。遠く熊本から車で複数のスタッフが千葉に乗り込んでいただき、手慣れた段取りで依頼を次々こなしてくださった。

代表の井出さんに「活動資金はどうしていますか?」と尋ねたところ、「寄付を頂いています」との返答があり、後日、その寄付は女優の竹内結子さんからのものであること、すでに数年にわたり、毎月振り込まれていることを知ったのです。」









幼少時代の心にある深い傷は、困っている人達への深い慈悲の心に変わる事があります。








そして、、、







前述したお二人と同じく、『家族がいて仕事をバリバリこなしていても』死を選びました。







さすがに陰謀論者も家族のいる上の階でイルミナティやらCIAやらに殺されただのはあまり聞きませんが(それでも少数いる)、口を揃えて言うのが






『家族がいて子供がいるのに普通、死を選ぶか?』


です。







共感力の無さがその疑問を陰謀論に変えていきます。








次は何故、彼らは死を選んだのか?そして芦名星さんは何故亡くなったのか?










そして『例の』陰謀論を纏めた本がいかに『三浦春馬さんを忘れられない人用のために書かれたビジネス書』であるかを、エビデンスをふまえ考察していきます。












幼少時代の心の傷は一生消えることはないのです。

























続く。