涼しくなってきたり、秋雨があったり少しずつ季節の変化を感じられる日々、

育児生活もだいぶ落ち着いてきたので、

出産までの出来事をふり返って、また少しずつ書いていきたいと思います。




双子を妊娠して、つわりがようやくおさまってきた妊娠5ヶ月。

双胎間輸血症候群(TTTS)となり、

妊娠17週0日に胎盤の血管を焼くレーザー手術をして、

その翌日に双子のうちのひとりがお腹の中で亡くなってしまっていることがわかりました。

もともと心拍数が60ないくらいに、とてもゆっくりに動いて、後頚部に浮腫があった赤ちゃん。


それでも、エコーで見ると、手足をもぞもぞ動かしていたりと、 

ゆっくりながらも必死に命の炎を燃やしていました。

そんな姿を目にした数日後、

手術翌朝、突然命の炎が消えてしまっていることが告げられました。


それまでは毎朝二人分とっていた心拍モニターも、その日からは一人分になりました。

お医者さんからは、このまま順調に生きられる可能性は少ないと言われていたので、

覚悟はしていたものの、このときは事実を自分に言い聞かせてはいたものの、

しっかり受け入れきれていなかった気がします。


手術は水曜日。

仕事で来れなかった主人も、その週末には入院先の実家近くの病院まで新幹線に乗ってかけつけてくれました。

お医者さんからの説明を二人で聞きました。

手術はうまくいき、一人は何とか元気に持ちこたえて山場は越えたこと、

残念ながらもともと心拍の遅かった一人は絶えられなかったこと、

手術の影響で高位破水してしまったこととその影響、

そしてもうひとつ、

死胎児症候群にも注意しなければいけないこと

の説明を受けました。

-死胎児症候群-

亡くなってしまった赤ちゃんは、本来であればすぐに外に出してあげなければいけないところ、双子でもう一人の子ががんばって生きているのでそれはできない。

なので、もう一人の子を産むまで、お腹の中にいてもらわないといけない。

そうすると、亡くなった子の細胞が壊死して、母体の血管に入ることにより、

血液の凝固系の機能に支障をきたし、

そのことによって、母体に大量出血死のリスクがともなうものです。


そのため、手術の日から毎週血液検査を行い、

凝固系の値(Dダイマーなど)に異常がないかモニターしていくことになりました。


そのときまだ妊娠17週だった私にとっては、

高位破水で羊水が漏れてしまっていることもあって、

何事もなく出産できる週数までなんとか持ちこたえるのは

果てしなく遠い先に思えました。

毎日毎日、ただただ無事を願って

1日1日を積み重ねていくことしかできませんでした


(高位破水の経過についてはこちらの記事です。)


幸いにも問題なく日々は過ぎ、25~26週に差し掛かったところで、

血液検査の結果によくない兆候(Dダイマーが上がってきた)が見られるようになりました。

もし、基準を超えて危険ありと判断された場合は、打つ手はないので、

母体の安全のためすぐに分娩することになってしまいます。


このころは1日1日で赤ちゃんの分娩後生存率やその後障害が残る可能性が改善されていく時期で、
どうなるか心配していましたが、再度の血液検査で、数値が改善していく傾向が見られはじめました。


母体の大量出血については、入院中「産科DIC]のキーワードで調べていたりして、

非常に危険なことになる可能性もあることを理解していたので、

何事もなくほっとしました。


死胎児症候群は、胎内で赤ちゃんが亡くなってから2~3ヵ月後くらいに起こることが多いそうです。

私の場合も、ちょうどその頃血液の凝固系の値に変化が見られました。


この頃気になったのが、お腹の中にいる亡くなった赤ちゃんが、

いまどのような状態でいるのかということでしたが、

こわくてなかなか先生には聞けないでいました。


一人の子が順調に大きく育つ中で、つぶされてしまってはいないかと心配したりもしました。

そんなわが子との対面について、また別に書きたいと思います。