オレはまだ赤ん坊の時、そうだな2歳前後で捨てられた捨て子なのである 今はそんなことは思わないが始めて知った養子という言葉にかなりショックを受けた姉2人も養女であることはなんとなく意識でわかっていた だけどオレが養子なんて人生破壊されるほどトラウマになった学校では捨て子と罵られでもそれはオレには少しも響かなかった何故なら育ててくれた里親の優しさをヒシヒシと感じていたからなのだ
養父も養母もとても優しかった…本当に甘やかされてガキの頃は育ったそして保育園も行かせてもらい小学校も卒業した中學校では学校一の目立ちガリ屋になっていた応援団団長、放送局員、生徒会役員、柔道部と楽しい中學生活だったしかしオレが中學生の頃、校内暴力が盛んな時で暴走族が暴れまくってた時代だったオレもCAROLになりたいCOOLSになりたいと自然の流れで3年の時にボンタンにリーゼントにした
未来を何も怖がらない少年になっていたそれからは尾崎豊の15の夜である 酒は飲めなかったけどシンナーが身体に叡智を与えてくれた集合場所はオレん家である、ウチは広かった姉が2人とも嫁に出たから部屋が二階ががら空きだった毎日20人くらいやんちゃな奴等が集まっていた本当にシンナー漬だった シンナーって幻覚がみえるのだがその迫力に毎回興奮した後はデジャブが起きた 今あいつから電話くるぞとか玄関前にこいつが待っているとかラリった顔で平気で当てていたシンナーには不思議な感覚がやどっていたな この年齢になってもまだ不思議である覚醒剤や大麻は怖いからシンナーで収まっていたような気がする まだまだ公開したい若かりし頃の話しもあるまたPart2で話したい最後に若い頃大尊敬した矢沢永吉氏をどうぞ