「いつもお読みいただきありがとうございます」

 

旅行者には安全で便利な国だった。

7月27日から8月9日まで14日間主にハンザ同盟に属したドイツ北部の、都市を中心にベルリン等を旅した。

西欧・ドイツなどはいつテロが起きるかわからないという不安があったが、私の旅行中は全くその心配はなくいずれの地でも安心して旅情を楽しむことが出来た。

 天候の面でも一部を除き好天に恵まれたこともあり、素晴らしい景観を堪能することが出来た。

 また、ドイツ鉄道はじめ交通機関が網の目のように整備されており、旅行者にとってとても便利で行きたい所はどこでも行くことが出来た。

 

旅行者には親切な国だった。

プラン通りに旅をすることが出来たが途中では多くの人々の親切な対応に、また旅の思い出を作っていただいた方々に感謝したい。

個人旅行の醍醐味は言葉は不自由であっても地域の方々との出会いにある。

私の個人旅行の目的は拙い語学力にもかかわらず、ドイツの人々との交流にある。今回の旅は私にとって思い出深い旅となった。

 

各都市が自らの独自性を強調しさらに高めていこうと努力する国だった。

 ケルン、ブレーメンハンブルグ、ベルリンなどの大都会、アーヘン、リューベック、シュベリーン、ヴェッツラーなど歴史的な都市、リューゲン島、ターレなどの自然景観地方、などそれぞれの個性を持った場所を訪問した。

 ドイツの各都市は規模の大小は関係なくそれぞれ自分の住む都市の独自性を強調し、それに誇りを持っていること、さらにそれを高めていこうと努力していることを感じた。

 

若干気になることがありました。

 第一にドイツ鉄道の乗降時のデッキドアの開閉の困難さ。逞しい腕力のある人でないと開閉できないのでは利用者への不安感を持たせるケースがあった。  

また、発着時間の遅れが若干見られた。日本ほどではないにしても正確と言われるドイツだがその評価を下げるケースが複数回あった。

 

第二に少数だがホテル窓口担当者の旅人への対応に問題があった。接遇がなってないホテル、宿泊客が求めている情報を提供しようとしないホテル、宿泊客は遠くからやってきているのだからもう少し親切な対応を期待したい。しかしこれは「おもてなしの国」日本の要求水準が高すぎるのか。

 

第三に列車の2人座席に1人しかいなくて、もう1人分の場所に自分の荷物をおいている場合、席を探している人が来ても知らぬ顔をしているシーンがしばしばあった。

私ならすぐ自分の荷物を取り寄せ席を空ける。この点は配慮があってしかるべきだと思う。

 

終わりに

よく事情の分からない旅人の私に親切にしていただいた方々に改めて感謝いたします。旅先での親切は本当にうれしいものです。

私もドイツからの旅人はもちろんのこと海外から日本を訪問された人々に「おもてなし」の気持ちを持って接していきたいと思います。

このことが今回の旅で受けたご親切へのご恩返しになると考えます。

最後に私が殆ど追っかけに近いドイツファンになり、8度の訪独につながったきっかけとなった字句を再掲して終わりとしたい。

「ロッテは窓に肘をもたせて立って、じっとあたりを眺めていた。空を見上げ、ぼくを見たがその目には涙があった。その手をぼくの手にかさねて、クロップシュトックと言った」・・・ゲーテ作「ヴェルテルの悩み」手塚富雄訳

 

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 ラウンジに入ると帰国する人たちが大勢いた。御土産を買うべく家族・知人どうしが大声を出しながら売り場を動き回っていた。

 中国の人達の声と動きが目立った。空港では入国時も出国時も圧倒的に多い。特に若い年齢の人が目につく。

 中国と日本、国の勢いの差を感じるが、特に気になるのは若い層のギャップだ。

 ドイツでは若い中国人があふれ、若い日本人は極めて少なかった。この現象が将来どんな結果となるのかいささか心配になった。

 日本人ももちろんいたが静かな雰囲気であまり目立たない。中国人グループが出発した後のラウンジは水を打ったように静かになった。

 さて、出発時間が近づき、ゲート前に人々が集まってきた。しかし何故か私の座席が分からない。

 一部の人は搭乗口から乗り始めたがそれでもわからない。 

 担当者にどうなっているのか、再三確認したがもう少しお待ちくださいの一点張り。

 座席番号が入ったチケットを受け取った時はかなりの客がゲートを通過した後だった。機内に入り座席を確認すると希望通り通路に面していた。

行く前は身体のことがいろいろ心配で海外保険に最大限加入し、いざという時に備えたが幸い保険の世話にならず無事に帰国できそうだ。

後11時間で羽田に着くかと思うと何とも言えない達成感・感慨が湧いてきた。

他方自分の年齢・身体状況を考えれば今回がドイツ旅行の最後になるかと思うと寂しさがこみあげてきた。

飛行機が助走を始め、フランクフルト空港の施設が矢のように後ろに去っていく。機体が浮くと空港周辺の景色が見えたがすぐ雲の下となった。私にとってはドイツ最後の瞬間となった。

羽田には予定通り午後2時過ぎに到着したが空港のバス乗り場に行くと驚くほど暑かった。

 かくて2週間のドイツ北部巡りはもう終わってしまった。 

 概ね計画通り実施出来た。時には予定外のこともあり慌てたこともあったが幸い計画変更までなるようなことはなかった。

 

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 ホテルに立ち寄り荷物を受け取ると駅に向かい午後1時頃ヴェッツラー駅を発ち遅れることなく順調にフランクフルト中央駅に着いた。

 車窓から田園地帯を見ながら、この思い出深いこの旅も終わるのかとの感慨が込み上げてきた。

中央駅でのICE乗り換えもスムーズにいき空港駅には午後3時頃着いた。

 ドイツの列車は乗降する時冬の寒冷地の日本と同じくボタンを押す方式だが強く押さないとドアが開かない時がある。

 腕力に自信のない人は強そうな人がいるデッキを利用するのが安全だ。

今回の旅行中1度、押したにもかかわらずドアが開かないことがあった。その時は降りる人も乗る人も一種のパニックになる。

外の人はホームを動けばいいが内の人は列車の中を動かなければならない。これが簡単ではない。トランクを引っ張りながら他の客とぶつかりながら、しかも列車が動き出す前に下車しなければならない。

 1度この経験をすると下車する時用心深くなる。

 フランクフルト中央駅から同空港駅までICEに乗ったが全く滑稽な子供じみたことだがうまく下車できるかやはり多少不安だった。

 もしドアが開かなければケルンまで行ってしまい日本への帰りの飛行機の出発時間に遅れることになる。

 空港駅に着いたとき降りる人が私の前に2人いた。列車が停車した時ドアに一番近い女性が開けようとしたが開かないと大声で言った。

 彼女も慌てているようだ。私もまさかと思った。しかし幸い彼女の後ろにいた同僚の腕力の強そうな男性が気合を入れてやっと開けることが出来た。

ホームに降りた時これで日本に帰れることを実感した。

搭乗手続きは簡単に終わり、出国審査では検査官にドイツ旅行は大変良かったと感想を言うと顔をほころばせていた。 

保安検査ではチェックを受けた時ペットに少し残量があったため没収となり、さらに機械反応があり身体チェックを受ける羽目になった。私の履いている靴が機械に反応したようだ。

 

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奥の間では当時の家具・調理器具・家財道具などが展示されていた。

彼女の案内で2階に上がると寝室・居間が当時のまま保存されていた。2階の様子を説明してくれた後1階への階段を降りる時、手すりに手を置きながら、

私は彼女にこの階段をヴェルテルもブフも彼女の弟妹達も上り下りしていたのですねと質問した。

彼女は微笑みながらそうですよと答えた。今私は彼らと同じ階段を歩いている。

一歩一歩ゆっくりと階段を下りている。その時私は彼らの時代への強い思いが私をして時空を超えさせる、タイムスリップしたような一瞬だが不思議な感覚に襲われた。

ゲーテは当地に来てわずか4カ月でこの地を去ったこと、当地にいた時はブフの家からそんなに遠くない所に住んでいたこと、

ブフはこの後ドイツ北部ハノーバーに転居したこと、ずっと後にワイマールにいるゲーテを訪ねたこと、

子沢山で今もその子孫が「…会」を作り会合を持っていることなどを彼女は私に話してくれた。

約40分ほど彼女は2人のことについて熱心に説明してくれた。その時女子中学生のグループが来館し彼女に何か質問してきた。これをきっかけに辞すこととした。

最後にこの小説のもう一つの背景となった、人妻に失恋し自殺したイェルーザレムという人物の博物館も見るといいですよとアドバイスの話があった。

原作には自殺したヴェルテルの部屋の机上にレッシング作のエミリア・ガロッティーがあったがイェルーザレム博物館には同じ形で展示されているという。

 彼女の提案に従いそれがあるはずのシラー広場までは何とか行き、イェルーザレムの博物館のありかを数人に所在を確認した。

 1人を除いてみんな「こう行けばいい」と教えてくれるのだが、かつ道路には案内板があるにもかかわらず見つけられなかった。恐らくは目の前にあったのかもかもしれないが。

 ヴェッツラー市は観光資源としてゲーテ作「若きヴェルテルの悩み」を重視しているが地元の人にはあまり関心はなさそうだ。

滞在時間も無くなってきたので機会があればまた訪ねたいと思いながら探索をあきらめた。

 

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 とうとう今日はドイツ旅行の最後の日となった。曇り空だった。

チェックアウトした後荷物を預け午前9時半頃ホテルを出た。昨日確認したコースをとって丘を登りロッテハウスに向かった。

 目指すはロッテハウスだ。三年前ここを訪れたが定休日でない火曜日にもかかわらず休館だったため見学出来なかった。 

 このため事前にメールで火曜日は開いてるかどうか確認した。OKとの返事が来たのでそれに合わせて今回のドイツ旅行全体の中でヴェッツラー訪問を調整した。

 午前10時オープンだが10分前に着いた。しばらく待っていると担当職員らしき人がやってきた。この敷地にはロッテハウスと地元産品展示場2つの施設があった。

      <ロッテハウスの右側に隣接する施設>

 

 入口には孫と祖父2人と私合計3人のみが開場を待っていた。

 これらの施設はヴェッツラー市役所所属の博物館であり職員は市の公務員だった。

さて、ロッテハウスに入る。

   

  <壁の向こうにヴェルテルとロッテの世界があった>

 

ここはドイツが誇る最高の文学者ゲーテの処女作で1774年ゲーテ25歳の時発表され、たちまち全ヨーロッパに広がり、中国でも翻訳された「若きヴェルテルの悩み」の舞台となった施設だ。

そこに主人公ヴェルテルが情熱を傾けるシャルロッテ・ブフと彼女の家族が住んでいた。

 彼はしばしば彼女に会うためにこの家を訪ねていた。しかし彼女にはすでに婚約者がいたために彼は苦悩しながら自ら身を引き、最後は身の破滅となる。

最初私一人で見学していたが何かを質問したことから博物館の担当者は熱心に案内してくれた。

この博物館は極力当時のままを再現しているという。よくぞ240年強以前の世界を再現したものだ。1774年日本では第10代将軍家治の時代。

応接室には彼女の両親初め家系の肖像画が壁にかかっていた。それにしても広い窓を数多く取り入れた明るく庭の緑がよく見えるリビングは素晴らしい。

その部屋にはブフがよく演奏していた当時のままのピアノもあった。手前のコーナーでは世界各国に翻訳された「若きヴェルテルの悩み」が展示してあった。

すごい数だった。日本のは岩波文庫発行の竹山道雄訳のものがあった。誰かが寄付したようだ。

 

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